<バズり商法>

pressココロ上




緊急事態宣言が発令されて数日が過ぎましたが、いつも僕が行っているスーパーは1階の食料品売り場だけが営業をしており、2階の衣料品と3階の雑貨・寝具売り場などは営業休止になりました。
僕たち夫婦がほぼ毎日お茶をしていた1階のフードコートも閉まっていました。それでも、食品売り場にはそれなりにお客さんがいて、買い占めとまではいきませんが、ほとんどの人の買い物かごには普段よりも多いであろう量が詰め込まれていました。
東京都の小池知事は「食品スーパーは通常どおり営業し、在庫もあるので冷静に買い物をしてほしい」と訴えていましたが、それでも不安な気持ちになるのが人情というものです。本能的にたくさんの量を買ってしまうようです。
そのような消費者の行動を後押しするかのように、先日のニュースで「世界的な食料の輸出を制限する動き」を伝えていました。かねてより日本は食料自給率が37%(カロリーベース試算)と低いことを懸念する声がありましたが、その懸念が現実になりそうな気配です。
1960年当時の食料自給率は79%もあったそうですから、現在の数字はあまりにお粗末です。食料安全保障の観点から考えますと、食料自給率がここまで低いのは問題です。海外から食料を調達できなくなったときに日本は立ち行かなくなってしまいます。
以前、なにかの記事で「グローバル経済になった現在では、調達する地域を複数確保することで食料自給率の低下を心配する必要はない」と主張する意見を読んだことがあります。ですが、現在の事態はその主張を覆す状況になっています。
今から50年前に起きた石油ショックは、その「ほとんどを輸入に頼っている石油が調達できなくなりそう」という雰囲気が起こした騒動でした。もし、今回の騒動で足りなくなったものがマスクやトイレットペーパーではなく、食料品だった場合の社会の混乱は想像を絶するものがあります。
そのような事態にならないためにも、トイレットペーパー騒動が起きた経緯について知っておくことは必要です。ウキペディアより引用します。
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1973年(昭和48年)10月16日、第四次中東戦争を背景に、中東の原油産油国が、原油価格70%引き上げを決定したため、当時の田中角栄内閣の中曽根康弘通商産業大臣が「紙節約の呼びかけ」を10月19日に発表した。
このため、10月下旬には「紙がなくなる」という噂が流れ始め、同年11月1日午後1時半ごろ、千里ニュータウン(大阪府)の千里大丸プラザ(現:ピーコックストア千里中央店・オトカリテ内)が、特売広告に「(激安の販売によって)紙がなくなる!」と書いたところ、300人近い主婦の列ができ、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れた。
その後、来店した顧客が広告の品物がないことに苦情を付けたため、店では特売品でないトイレットペーパーを並べたが、それもたちまち売り切れ、噂を聞いた新聞社が「あっと言う間に値段は二倍」と新聞見出しに書いたため、騒ぎが大きくなり、騒動に発展した。
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この記事からわかるように、もし新聞社が報じなければトイレットペーパー騒動は起きなかった可能性が大です。ある大阪の一地域で起きたトイレットペーパー不足で終わっていたはずです。トイレットペーパー騒動の元凶はマスメディアと言っても過言ではありません。それほどマスメディアの力は大きいのですが、あれから50年経っている今も、マスメディアは自らの力の大きさをあまり自覚していないように感じます。
ヤフートピックスに「さよならテレビ」という映画の紹介記事がありました。この映画はテレビを制作するようすをドキュメントしている内容です。記事に寄りますと、テレビを制作する際は「視聴者映え」を意識するようです。もちろん民間テレビはスポンサーが必要ですので視聴率を求めるのは仕方ありません。ですが、それを求めるあまり「視聴者映え」を意識しすぎては真実をゆがめることになります。
「さよならテレビ」という映画は、「真実を伝えないテレビはメディアとして価値がない」ことを伝えたいようです。大分前にこのコラムで「ドキュメント」について書いたことがあります。そのときは森達也さんという監督が制作した「本当の意味で、ドキュメント番組はあり得るか」というテレビ番組について感想を書いたのですが、この「さよならテレビ」も通じるものを感じました。
現在、テレビはどこの局も新型コロナ一色ですが、独自色を出すべくいろいろと工夫をしています。その工夫が正当なものであるなら問題ありませんが、中には視聴者映えを意識するあまりメディアとしての一線を越えているように感じる番組もあります。
例えば、政治家や感染症専門家を過激な言葉で批判したり、出演者同士が言い争いをしたり、視聴者の不安を煽るような内容です。今の時代はSNSで取り上げられることが視聴率に影響を与えますが、それを狙うあまり過激になっているように感じます。僕はこうしたやり方を「バズり商法」と勝手に名付けていますが、本来のメディアの使命をゆがめるものです。
「バズり商法」を成功させるためには演出が必要です。過激な発言や出演者同士の言い争いなどはまさしく演出です。しかし、演出が入った情報は真実ではありません。そうしたことがまかり通りますと、視聴者は事実でないことを知らされることになります。
さらにマスメディアの問題点を指摘するなら「取材の手抜き」です。例えば、スーパーを取材するとき、いつも同じお店が出て来ます。そして同じ経営者がインタビューに答えています。おそらく取材先を探す手間が省かれるからだと思いますが、手抜き以外のなにものでもありません。そうした姿勢は僕に記者クラブ制度を思い起こさせます。
記者クラブは取材する側が自ら足を使って記事を書くのではなく、官邸なり行政機関または業界団体などが発表する内容を単に伝えるだけの制度です。本来メディアの役割は発表される内容が正しいかどうかを確認することのはずですが、その大切なことを怠っています。そこからはジャーナリズムの劣化が見て取れます。
「バズり商法」もジャーナリズムの劣化の表れです。真実を伝えることよりも大衆の好奇心を刺激するほうを優先しているからです。言うまでもありませんが、真実を伝えないことは、社会を間違った方向に向かわせることになります。
ちなみに、NHKは民間ではありませんのでスポンサーを気にする必要はありません。ですが、最終的な権限を国に握られていますので政権に歯向かうことは難しいのが実際のところです。このたび森友学園問題を追求した本を出した著者は元々NHKの記者でした。NHK在籍時に上からの圧力でニュースが葬られたことをきっかけに退職したようです。
僕の印象では、ジャーナリズム精神が強い人は組織に残っていられないように見えます。
じゃ、また。







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