<ファーストの選択>

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現在コロナの影響で経済的落ち込みが厳しくなっていますが、そうした報道の際に必ずと言っていいほど比較されるのが「リーマンショック」です。「リーマンショック」とは2008年に起きた経済的落ち込みのことですが、その落ち込みの原因が米国の投資銀行・リーマンブラザーズだったことからこの名称がつきました。

この当時僕はコロッケ店を営んでいたのですが、その経済的落ち込みがあまり記憶にありません。ただ一つだけ覚えているのは、リスクの高い証券が世界中にばらまかれていて、そのリスクが現実化して世界不況が起きたという解説です。

ニュース番組などではその解説が盛んにおこなわれていました。僕は、そのこと自体は記憶にあるのですが、なぜか経済的落ち込みに関してほとんど覚えていないのです。「覚えていない」というよりは実感がなかったのです。

僕がリーマンショックの経済的落ち込みを実感したのは、それから数年後にいろいろな人から「リーマンショックのときは、大変だった」という話を思い出話のように聞かされたときです。そうした話を聞いて、「そうだったのか」と実感していました。

僕がリーマンショックを実感しなかった理由は、おそらく一日のうちのほとんどの時間をコロッケ店の作業に費やしていたから、と思われます。お店を運営するということは、仕事以外のことに時間をさけないことを意味します。

例えば午前10時から開店するお店ですと、仕込み時間などを考慮しますとどんなに遅くとも午前9時には作業をはじめる必要があります。自宅とお店が離れていますと、通勤時間もありますのでさらに早く家を出る必要があります。閉店を午後9時としますと、あとかたづけなどがありますので、お店を出るのは早くても午後9時半くらいです。なにかしら特別な作業がある場合は、さらに遅くなります。

このように細かく時間を見ていきますと、お店を運営している人が日々の作業にいかに時間をとられているのかがわかります。自分の自由になる時間はほんのわずかです。そのわずかな自由時間にニュースなど社会情報に接しなければいけないのですから、自ずと社会情報の量は少なくなります。当時は、今のようにスマホもありませんので、情報を得るのには限界がありました。

コロッケ店の場合でさえこうなのですから、コロッケ店よりもお店の運営に時間を費やさなければならないラーメン店の場合は、さらに得られる情報の量が少なくなってしまいます。睡眠時間を確保するだけでも一苦労するのが実態です。

ネットを見ていますと、ときたま現役でお店を営業している方が情報を発信しているサイトを見かけます。ですが、お店を運営していた経験者からしますと驚きです。「そんな時間など確保できないはず」というのが正直な気持ちです。もちろん自らは経営者の立場で、現場での作業は従業員に任せている場合は別ですが、自らが現場での戦力になっている場合は不可能です。ネット情報は真偽が不明なことが多いですが、こうした点も真偽の目安になります。

ネットは情報を収集するにはとても便利ですが、弊害を指摘する声もあります。そのひとつに「関心のあることしか見ない」、言い方を変えますと「見たいものしか見ない」ということがあります。よく例に挙げられるのがアマゾンですが、利用者が購入したり関心を持った商品に関連するものを「紹介」または「おすすめ」する機能があります。

数年前からこうした機能が問題視されてきましたが、現在その問題が最高潮に達しているように感じます。超IT大手企業として「GAFA」と揶揄されますが、その問題点はまさにこの「消費者の情報を収集できること」に尽きます。今の時代は、消費者の情報が十分な商売の種になり得ています。

人間が本来備えている本能である「見たいものしか見ない」という習性をうまく活用するなら大衆を思い通りに動かすことにつながります。現在米国は大統領選の真っただ中ですが、前回の大統領選のあとに「ネット活用の問題点」がいくつか指摘されました。

先ほどの「消費者の情報を収集すること」が、まさにそれです。選挙の場合は消費者ではなく「投票者」即ち「国民」ですが、トランプ氏はそれぞれの国民が持っている主義主張、考えを収集して選挙活動をしていたそうです。

具体的に説明しますと、民主党支持者にいくら「トランプ支持」を訴えたところで意味がありません。トランプ陣営は保守的な思想の持ち主はもちろん、民主党政権に不満を持っている人に狙いを定めて選挙活動を行っていました。そうした人を選別する方法として「個人情報」が活用されたのですが、結局その戦術でトランプ氏は大統領に就任しています。

今週のシネマクラブのコラムでは「戦場のピアニスト」を紹介していますが、この映画はナチスがユダヤ人を迫害していく過程を描いています。映画を観ますと、ユダヤ人に同情する人たちもたくさんいたようですが、表立っては言えない社会の雰囲気が出来上がっていきました。この「社会の雰囲気」がとても重要で、結局、この「社会の雰囲気」がナチスの暴走を許す結果となりました。

こうした「社会の雰囲気」を醸成する手段として「個人情報の活用」があります。現在の全体的な流れとしては、「個人情報の活用」に制限をかける方向に進んでいるようですが、個人としても情報収集の危険性には注意を払う必要があります。

僕の印象では、米国では数年前までは人種差別は嫌悪の対象だったように思います。しかし、今年に入りいろいろな場面で、現実には黒人差別が行われていることが表面化してきました。例えば、「黒人のほうが警官からの職務質問を受ける頻度が高い」などです。こうした実態が報じられるきっかけとなったのは、警官が黒人男性の首を押さえつけたことによって死亡した事件でした。

この事件を契機にして、一気に「Black Lives Matter 」運動が盛り上がり、デモが行われるようになりました。そのデモにおいて過激な人たちが商店を襲ったり略奪行使をしていたのですが、それに対してトランプは力で抑え込もうとしています。そのやり方を支持する人と支持しない人で分かれているのですが、かつては「支持する人」が表立って意見を表明することは憚れていました。それが表立ってできるようになったのはトランプ氏が大統領になったからです。

僕にはトランプ大統領のやり方が、バラエティー番組のある種の手法のように思えてなりません。そして、そうしたやり方が通用している米国社会に疑問を感じています。不安も感じています。

「隠れトランプ」という表現があることからわかるように、一般的な米国市民は差別主義的な発言が多いトランプ氏を支持することは「恥ずかしいこと」という意識があるようです。それでもトランプ氏に投票してしまうことに問題があります。

以前、作家の塩野七生氏が「人間は食べられることができてから、政治のことを考える」というようなことを書いていましたが、トランプ氏が大統領に就任したことで利益を得た人たちからしますと、差別主義かどうかよりも明日食べるパンのほうが大切です。

さて、「アメリカファースト」か「ソーシャルファースト」か…。

じゃ、また。







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