<昨日は終戦記念日>

pressココロ上




毎年、僕は終戦記念日近辺になりますと、戦争関連のコラムを書いています。自然と気持ちがそちらのほうに向いてしまうからですが、もちろんテレビなどマスコミが特集を組むことに影響を受けていることもあります。

マスコミが戦争の特集を組むのは、「戦争を二度と起こさない」「起こさせない」ためです。人間は忘れやすい習性がありますので、少し油断をしますと同じ過ちを繰り返してしまいます。そうならないためにマスコミは毎年「戦争反対」の啓蒙を繰り返しています。

しかし、今年はコロナの影響で、例年に比べますと反戦機運が盛り上がらなかったように感じます。戦後75年が過ぎ、戦争体験者が少なくなり、戦争のおぞましさを伝える機会が減ってきてきますが、今年のようにコロナがきっかけとなり戦争の悲惨さについて真剣に考えなくなることを心配しています。

このコラムを書くようになって15年くらいになりますが、終戦記念日にちなんで最も書いている記事があります。それは、明石家さんまさんが主演した「さとうきび畑の唄」というドラマについてです。2003年9月に放映されたドラマですが、主題歌の「ざわわ ざわわ…」を覚えている方は多いのではないでしょうか。

これまでに幾度も書いていますが、このドラマで最も印象に残る場面は、さんまさん演じる平山幸一がドラマの最後の最後に言う台詞です。上官から負傷した米兵を「殺せ!」と命令されたときの言葉です。

「私には出来ません。私は、、私には人を殺せません。

私はこんな事をするために生まれて来たんじゃないんですよ」

戦争ほど悲惨な行為はありません。普段の生活では人を殺したなら犯罪ですが、戦争時では人を殺して称賛されるのです。このような非人道的な行為が正当化されるのが戦争です。普通に暮らす人たちが戦争に反対するのは当然です。

ですが、世の中の人全員が戦争に反対しているわけではないことも事実です。少数とはいえ「戦争を起こそう」とする悪人もいます。敢えて言いますが、「悪人」です。なにしろ人間が殺しあう世界を起こそうとするのですから、「悪人」に決まっています。

ここで注意が必要なことは、普通の人たちが「悪人」に扇動されないことです。悪人たちは、なんとかして大衆を戦争する気持ちに仕向けようとあの手この手を繰り出します。普通の人たちは、そうした扇動策略に乗らないことが大切です。

でも、でも、、、もし外敵が攻撃してきたらどうするのでしょう。

先々月のことですが、新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」配備計画の停止が発表されました。「イージス・アショア」を簡単に説明しますと、外敵から発射されたミサイルをこちらに届く前に破壊する装置です。では、なぜ中止になったかと言いますと、「役に立たないこと」がわかったからです。

おそらく「前々からわかっていても、だれも言い出せなかった」のが真相だと思います。僕の個人的な感じとしては、これを言い出せたのは河野さんが大臣だったからだと思っています。それはともかく「イージス・アショア」の配備計画が中止になったことで、これまでの防衛システムの変更が求められることになりました。

そこで出てきたのが、「敵基地攻撃能力」という発想です。自民党は今月5日に「敵基地攻撃能力の保有など新たなミサイル防衛(MD)のあり方に関する提言」を安倍首相に提出しました。是非はともかく、この発想は当然といえば当然です。飛んでくるくるミサイルを迎撃できないのですから、そのミサイルを発射する基地を先に攻撃するという発想が出てくるのはわかります。

しかし、ここで問題なのは「先に攻撃する」ということです。「先に攻撃する」とは、つまり先制攻撃のことにほかなりません。専守防衛をうたっている日本が先制攻撃をすることに対して不安を多くの日本人は感じるはずです。

こうした不安を取り除くために、自民党は「敵基地攻撃」という名称を変更することを考えているようです。しかし、「先に攻撃する」ことに変わりはありません。「敵基地攻撃」も「専守」の一つであると主張する意見もありますが、無理な感じがします。

55年体制(古いなぁ)の頃はともかく、今の時代に自衛隊を認めない人はいないと思います。自衛隊を認めるということは、戦争状態になるのも仕方ないと考えることです。実際問題として、外敵が襲ってきたときは戦わざるを得ませんが、それはまさに戦争です。

戦争状況に突入するということは、さんまさん演じる平山幸一が上官に逆らえない時代になるということです。上官に「敵を殺せ!」と言われたなら従うしかない時代です。もし従わないなら自分が処罰を受けるのです。最悪の場合は処刑されることもあるでしょう。

外敵と戦う状況とは、国内で軍隊が最も力を持つことを意味します。軍隊は普通の職場とは違います。上官の命令が絶対です。転職することも、退職することも自分の意志ではできない環境になることです。そして、そうした組織では往々にして公平・平等とはかけ離れた人事が行われやすくなります。

そうした状況になる戦争が嫌だからと言って、戦わずに外敵のなすがままにしていたなら、日本は植民地となってしまいます。ほんの100年前までは、西欧諸国はいろいろなところで植民地政策を普通に行っていました。植民地となった国がどれほど辛苦をなめさせられるのかは歴史をみれば明らかです。

植民地にならないためには戦わなくてはいけません。しかし、戦争状態になった国家は軍部が力を持った社会になります。上官の命令に逆らうことが許されない環境です。普通の人が穏やかに暮らしにくい社会です。植民地となった国家も辛苦ですが、軍部に支配された社会も同様です。

政治家の中には、勇ましい言動で大衆を煽る人がいますが、こうした人には注意が必要です。自らの政策の失敗を隠すために、外敵に目を向けさせる策略が多いからです。繰り返しになりますが、戦争状況になったなら勝ち負けに関係なく、普通の人が生きにくい世の中になります。

「普通の人が生きにくい世の中」とは自由が制限された社会のことです。言うまでもありませんが、「自由」とは権力者とは意見の異なる人の「自由」です。自由に意見が言えて、自由に就職ができて、自由に移動できる社会こそが人が生きるにふさわしい世の中です。

戦争の起きない社会になることを願う8月です。

じゃ、また。







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