<名ばかりリアリティ>

pressココロ上




今から10年以上前ですが、「痛快!ビッグダディ」というテレビ番組が人気を博していました。ご存じの方も多いでしょうが、大家族の生活ぶりをドキュメントふうに紹介する番組でした。

僕がこの番組を見ていて不思議に思っていたのは、なにかしら問題が起きるときに必ずそこにカメラが入っていることです。あまりにもタイミングがよすぎで、番組はドキュメント風に作られていましたが、かなり演出が入り込んでいる印象を受けていました。

ですから、その番組は好きではなかったのですが、その当時はちょうど「ドキュメント」と冠した番組に違和感を持っていた時期でもありました。ですので、「仕方のない面もあるのかな」と割り切って理解していたように記憶しています。

ドキュメントについて考えさせられたのは、1992年に放映された「NHK『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』というドキュメンタリー番組の「やらせ疑惑事件」についての報道です。当時大きな社会問題となりましたが、この番組は、ネパールのムスタンという地区で暮らす人々の生活を紹介する番組でした。しかし、翌年朝日新聞が主要な部分が「やらせ」だったと報じました。

この騒動に際して「ドキュメント」という意味が問われることになったのですが、ドキュメント映画の大御所・原一夫監督は「ドキュメンタリーにはヤラセがつきものであり、ヤラセを乗り越えることにより、事実が見えてくる」とコメントしました。

言われてみれば「一理あるよな」と納得したのですが、オウム真理教のドキュメント映画「A」を撮影した森達也監督はあるテレビ番組で「完璧なドキュメントなどあり得ない」と語っていました。

ちょうど、こういう意見を目にして頃でしたので「痛快!ビッグダディ」という番組も「仕方ないのかなぁ」と思い、似たようなほかの番組も許容範囲と思うようになって今に至っていました。

ですがつい先日、リアリティ番組に出演していた若い女性が、番組に関連する理由で亡くなったというニュースがありました。この事件から世の中は一気に「リアリティ番組」に対する批判が高まっているのですが、「痛快!ビッグダディ」はまさに「リアリティ番組」に当てはまる内容でした。

では、「リアリティ番組」とはどのような番組内容なのか…。

製作する側であるテレビ局の見解では、リアリティ番組を「台本も演出もないドラマ」と説明しています。ですが、ネット上には「大まかなキャラ設定や演出は行われている」と指摘されています。

「リアリティ番組」は数年前から隆盛しているのですが、その一番の理由は制作費が安く済むことです。名前を知られていない新人を起用する上に「台本も演出もない」のですから、普通のドラマを制作する10分の1の費用で済んで当然です。

「リアリティ番組」の一番の根幹である「台本も演出もない」は「なにが起こるかわからない」というハプニング性のほかに、制作側にとってはコストの面でも魅力的です。一石二鳥というわけですが、ハプニング性について視聴者はどのような気持ちで見ているのでしょう。

「作られたドラマ」と思っているのか、「現実のお話」と思っているのか判断に迷うところですが、常識的に考えて番組が用意した室内で決められた時間だけ生活するのですから、現実であるはずがありません。間違いなく「作られたドラマ」です。

ですから、ほとんどの視聴者は「あくまでドラマ」として理解しているはずです。報道に寄りますと、亡くなった直接のきっかけは「SNSによる誹謗中傷」とのことですが、視聴者がドラマの出演者になにかしらの反応や働きかけをするのは「現実と思ったから」とは限りません。

例えば、あるドラマに悪役で出演していた俳優に「嫌がらせの手紙」を送ったり、アイドル男性の相手役を務めている女優に「カッターの刃」を送りつけたりする視聴者は昔から存在していました。今の時代は「嫌がらせの手紙」や「カッターの刃」がSNSの誹謗中傷に変わったに過ぎません。

つまり、実際の話ではなくドラマと理解していても、自分が気に入らない出演者に嫌がらせをする行為は昔から普通に行われていたことになります。ですが、SNSが「嫌がらせの手紙」や「カッターの刃」と違うのは、行動に移すことがすぐにできることです。

SNSがない時代は、行動を起こすために手間と時間がかかりますので気持ちを冷静にする一定の期間がありました。しかし、SNSは気持ちが高まったならすぐに行動を起こすことができます。

また、番組制作者側がそうしたツールを巧みに利用していた責任も無視できません。いわゆる「バズる」ように仕組むことですが、視聴者の気持ちを操るテクニックを使っていたことの責任は大きなものがあります。このように双方の思いが合致することで、その直接のはけ口となるのは出演者です。視聴者の怒りや嫌悪感をまともに受けるのですから精神的に疲弊するのは当然です。今回の事件はその究極の結果と言えます。

日本ではリアリティ番組の出演者が亡くなる事件は初めてですが、海外ではすでに幾人かの出演者の自殺事件が起きているそうです。こうした事例を見ていますと、マスメディアに容易にコントロールされる大衆の姿が思い浮かびます。こうした現象を見ていて、ナチスを思い起こすのは考えすぎでしょうか。

今回の事件に関連していろいろな記事を見ていましたところ、トランプ大統領が誕生した経緯にも似たような流れがあったそうです。トランプ大統領もリアリティ番組で人気を博していたそうです。つまり、架空の番組から出てきた人物が現実の大統領に就いたことになります。

もし、本当にトランプ大統領が当選した理由にリアリティ番組での人気が影響を与えていたなら、米国民の民度の低さを証明したことになります。そういえばトランプ氏が立候補したとき、当初は泡まつ候補の扱いでした。討論会にも出席していませんでしたし、政治には素人という評価だったはずです。

それがあれよあれよという間に共和党の候補に上りつめ、さらに民主党の候補まで倒し、大統領に就任したのですから、まさしくチャーチルが言っているように「民主主義は完ぺきではない」ようです。

何度かコラムで紹介していますが、ボスニア紛争に対する国際世論について書いている「戦争広告代理店」は、情報操作の恐ろしさを解説している本です。情報操作と言いますと大げさなイメージがありますが、自分たちが有利になるような「振る舞い方」を伝授する広告代理店のことです。

つまり「自分たちが弱者であることを訴えることで、正義が自分たちにあること」をアピールしたのですが、国際世論は最初はこの戦略に乗せられてしまいました。「戦争広告代理店」についてはとてもわかりやすく解説している記事がありましたので下に記します。是非ご覧ください。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60220

リアリティ番組は現実を装うことで視聴者の好奇心を刺激しています。視聴者はそのことをしっかりと押さえておくことはとても重要です。そうでなければ簡単にマスメディアにコントロールされる大衆になってしまうからです。

その意味で言いますと、「#検察庁法案に抗議します」のハッシュタグは、大衆がマスメディアに簡単に扇動されないことを示した動きとして画期的です。このハッシュタグで関心が高まるまで新聞・テレビが大きく報じることはありませんでした。黒川検事長の定年延長が閣議決定された1月の時点では、これほど関心を持たれていませんでした。それが結局辞任に追い込まれたのですから、このハッシュタグの意義がわかるというものです。

トランプ氏はSNSで大衆を動かすことに成功しましたが、反対にSNSで正しい民主主義を生み出すこともできるはずです。そのときに大切なことは「事実を見抜く目利き力」です。

「名ばかりリアリティ」に気をつけよう!

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする