<成果主義と出来高制>

pressココロ上




 アスベストが原因で亡くなっていた方の人数がどんどん増えています。調査をした企業はいわゆ る親会社にあたる大手の企業だけですので子会社や孫会社を含めたならもっと増えるだろうと思 われます。しかし子会社や孫会社の場合、その実態を調査することはほとんど無理だと思います ので実際に被害に遭った人数を把握することは不可能でしょう。
 それにしても世の中は不条理です。会社から、社会からなんの補償も受けられずアスベストを扱 っていたという理由で亡くなった方々の気持ちは如何ばかりだったでしょう。世の中の辛い仕事は いつも末端の現場で働いている方々に押し付けられます。
 数年前、原子力関係の仕事で放射能を浴びながら仕事をしていた方々もいました。その危険性 を知らされず仕事をしていたのですから企業の罪は大きいと言わざるを得ません。今から30~40 年前の高度成長期であったなら従業員という一個人が犠牲になることもあったかもしれません。し かし今のこの時代に従業員を人として扱っていない事例に憤りを感じます。
 以前、「富士通の成果主義」という本が売れましたが、これは企業が取り入れた成果主義に対し て疑問を呈した内容でした。最近では成果主義の見直しも言われるようになってきましたが、それ でも仕事の業績の結果によって報酬が決められる流れは変わらないように思います。私は自営業 者ですので業績の結果によって収入が変動するのは当然と思っています。しかし会社に属している 会社員までが結果によって報酬が変動することには異論があります。
 なにが違うか? と言えばそれは選択の自由です。例えば会社がAという商品を販売する計画が ある場合、自営業者の立場であるなら容易ではありませんが拒否することもできます。しかし会社 に属している場合、計画に従う義務があります。ですから会社に属している人が結果だけで報酬が 決められることは、義務だけを押し付けられ見返りとしての報酬には業績という結果だけが反映さ れることです。これでは「義務に従うことに対する見返り」が全くないことになってしまいます。これは 企業はリスクを負わずに利益だけを求めることを意味します。これほど不平等なことはありませ ん。
 報酬に関して成果主義に似たものとして出来高制というシステムもあります。よく知られているの は宅配便の仕事です。1個配達すると120円~150円が支払われる仕事です。私はかつて大手宅 配便の仕事をしたことがあるのですが、ここにも不平等を感じました。ご存知ない方のために大ま かな仕事の流れを説明しますと、朝の7時半頃から荷物を積み始めますが、まずその前に地図で 配達の順番を確認します。順番どおりに積み込んでいきませんと荷物を取り出すときに時間がか かってしまいます。荷物を積み終えるのがだいたい9時頃、それから現地に向かって配り始めるの が9時半頃です。基本的には請け負った荷物は責任を持って配り終えなければなりませんので留 守のときは2度3度と再配達をすることになります。ここまでは仕事を委託で請け負っているのです から納得はできます。しかし最近は時間指定というサービスもあり、夜の8時を指定されている場合 その時間がくるまで仕事を終えることはできません。私が不平等と感じた点はここです。出来高制 とは数によって収入が決まるものですが時間指定というサービスにより会社は委託ドライバーに対 して同時に時間の拘束もしているのです。しかも無報酬で…。
 これからの時代は、企業はますます企業自身は負担を負わずに利益を追うようになるでしょう。 そのときその負担は必ず末端の現場で働いている人たちに押し付けられるでしょう。
 最近、私は左側の考えに傾きつつあるかもしれません。ニュースを見ていますと憤ることが多く、 そのニュースは必ずと言っていいほど末端で働いている方々に負担のシワ寄せが押し付けれられ ているからです。本来の私の考えは企業の側に立っています。それは企業があるからこそ雇用を 生み、そこから収入を得て人々は生活ができるからです。しかも企業は厳しい競争に晒されていま す。そのような中で企業として存続していることは個人事業の立場からすると「すごい」と思えるので す。尊敬できるのです。
 しかしその企業が自らが生き残るために末端の人たちにリスクや負担を一方的に押し付けるよう になることには疑問を感じます。
「人間の顔をした市場主義」は実現できないのでしょうか?
                                           じゃ、また。




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