<性善説>

pressココロ上




 マンション耐震偽装に関する国会参考人の場で議員に追求を受けた日本ERIの鈴木崇英社長は応答の中で「これまで性善説に立っていたから」と答えていました。またニュース番組に出演した建築協会の幹部も、キャスターの「どうして偽装を見抜けなかったのか?」という問いにやはり「今までは性善説で対処していたから」と釈明していました。この「性善説」に私は「ん?」と感じます。
 もう1年以上も経つのでしょうか。ソフトバンクが個人情報漏洩事件を起こしたとき、孫社長は謝罪弁明の中で「性善説」という言葉を使い「これからは性悪説で考えるようにする」と答えていました。
 私が初めて「性善説」という言葉を知ったのは大学時代です。バイト仲間との飲み会の席で隣に座ったクロダ君に聞かれたのです。
「マルヤマぁ~、人間は性善説と性悪説、どっちだと思う?」
遊ぶことに忙しかった僕はその言葉の意味どころかその単語さえ知りませんでした。クロダ君は僕にレクチャーをしながら少し有頂天になっています。一通りレクチャーを受けたあと私は答えました。
「性善説だと思う。だって生まれてすぐの赤ちゃんは悪いことしないだろ。だから生まれつき悪い人間なんていないよ」
 結局、その日は延々朝までクロダ君と議論をした思い出があります。クロダ君は私同様軽い感じの人でした。それまでクロダ君と交わす会話と言えば遊びに関することがほとんどで堅苦しい難しい話などしたことがありません。そんなクロダ君が哲学的な話をしたことが意外でした。人間は表面上ではわからない、と実感したものです。
 表面上ではわからない人間だからこそ「人間は性善でもあり性悪でもある」と今は思っています。人生経験の長い人ほどそう思う人が多いのではないでしょうか。大切なのは性善と性悪のどちらを多く表面に出すかです。
 「戦争は人間を狂気にする」と言います。どんなに優しい性格で人格者と言われる人でも戦場に行くと鬼になるようです。戦争体験者の話を読んだり聞いたりすると思い知らされます。戦場では余程の精神力を持っていないと性悪が性善を凌駕してしまうのでしょう。そして性善を持ち続けることは自分の生命さえ脅かすことを覚悟しなければなりません。戦後記念ドラマの中で明石家さんま扮する兵士は
「私は人を殺すために生まれてきたのではありません」
と言って処刑されました。
 人間は「性善でもあり性悪でもある」と考えている私には責任を負うべき社長、幹部が「性善説」を口にしたことに違和感を持ちました。「性善説」を唱えることで責任逃れをしているように感じられたからです。「性善説を唱える人間=性善の人」という等式を見ている人に与えようとする意図が透けて見えました。さらに言うなら「人を疑わなかった自分は悪い人ではなくお人好しな人である」という雰囲気です。「お人好し」は好印象を与えます。
 しかし真に「性善説」を考えている経営者が利益を出すことは不可能でしょう。どんな企業でも社員や取引先に対する規定や罰則があります。もし規定や罰則がない企業があるならその企業はリスクに対して無防備であると評価されます。そのような企業が存続できるはずはありません。
 最近、企業の社員による着服事件が多い印象があります。先週も金融機関の担当者が億単位の着服事件が報じられていました。このとき企業側が「性善説」を持ち出すことはありません。もし「性善説」を持ち出したなら必ずやマスコミから批判されることは明らかです。大切なのは「性善説に立っていたかどうか」ではなく「不正や間違いを監視するシステムが整っているかどうか」です。ほんのちょっとの出来心が起こったとき、監視システムが整っていることが未然に不正を防ぐことにつながるかもしれません。今回のマンション耐震偽装問題でも見抜けなった理由が「性善説に立っていたから」などと言わず監視するシステムが不完全であったと認めることが第一歩です。
 クロダ君が哲学的な会話をしてきたことで僕はクロダ君を見直しました。普段は冗談しか言わないのに頭の中では難しいことを考えているんだ…と。僕としては羨望です…。
 ある日のバイト仲間との飲み会で僕は隣に座った女の子に頃合いを見て「性善説・性悪説」の話を始めました。ところがすでに彼女はその言葉と意味を知っており僕は少し戸惑いながらも彼女と議論をしました。議論をしながら少しは自分が見直されることを期待していました。いつもおちゃらけている僕も頭の中では難しいことを考えているんだ、と。
 飲み会もお開きの時間が近づき僕は最後に主張しました。
「やっぱり僕の結論としては性善説が正しいと思うな」
それを聞いた彼女はニコッと笑いながら言いました。
「でも円山君に一番似合ってるのは性愛説よね」
 じゃ、また。




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