<msut be チルドレン>

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 先週のボクシング見ました? 僕は見ました。試合が始まるまでの時間が長いのには閉口しましたが興 奮しました。亀田興毅選手が世界と戦えるだけの実力が本当にあるかどうかの試金石となる試合でした が結果は見事なものでした。この調子で公約どおり20才までに世界チャンプになることを願っていま す。
 スポーツは全般的に好きですが中でもボクシングは僕を魅了します。自分の精神と体力を限界に追い 込んで戦う姿に感動します。今の選手はあまり言いませんが、ボクシングは減量との戦いと言われてい ます。試合前はほとんど飲まず食わずで練習するそうですから一般の人では試合はおろかボクサーに さえなれません。今はタレントとして活躍していますガッツ石松さんは現役時代「トイレの水さえ飲みたく なる」と話していました。ボクサーとはそれほど過酷なスポーツです。
 昔の選手より今の選手のほうが偉いのかな、と思うことがあります。昔も今も減量することの苦しさは 同じだと思いますが、今の選手はあまり減量の苦しさを口外しません。「当たり前」と思っているようで す。辰吉 丈一郎さんは世の女性たちが「痩せることの難しさ」を話しているのに対して「そんなん簡単や ん。食わなきゃいいんや」とサラリと言っていました。亀田選手にしてもキャラクターの強さは表に出しま すが練習や減量の苦しさについてはサラリと言うにすぎません。そうした点が今の選手のほうが偉いの かな、と思う理由です。
 キャラクターの強さでマスコミに取り上げられる亀田選手ですが、同時に親思いな孝行息子という印象 も与えています。「オヤジに世界ベルトを渡してあげなな」という言葉は亀田選手の親孝行な一端が見え ます。また「オヤジのやり方が正しいことを証明せんとな」という言葉には長男としての使命感を感じま す。亀田選手が東京のジムと契約する際に少し揉めましたが、僕が想像するところではジム側は父親 の指導について難色を示したのではないでしょうか。そうした経緯が先の「オヤジのやり方が正しい…」 発言につながっているように思います。本当のところはわかりませんが亀田選手が父親を完全に尊敬し ていることはわかります。
 いつかの新聞に「人間は遺伝子の95%以上を使わずに一生を終わる」と書いてありました。この記事 は「人間の能力は親からの遺伝子によって決まるか」という内容でした。この記事によりますと、受け継 いだ遺伝子のほとんどは使われていないのですから本人の努力次第でいくらでも能力は伸ばすことが できるそうです。例え親がどんなに平凡な人間でも子供が頑張って努力するなら非凡な人間になれると いうことです。僕はこの記事を子供たちに話してやり勇気づけてあげました。
 子供が親から受け継ぐ遺伝子についてあまり心配する必要がないとしても育つ環境により人格形成に 影響を与えることはあります。社会問題となっている児童虐待をする親は少なからず自分の親から虐待 を受けています。虐待は特別な事例としても親の影響を受けていると思う人は多いと思います。その受 け方は教師であったり反面教師であったりはするかもしれませんが、間違いなく親の影響は受けていま す。「親のような大人になりたい」とか「あんな大人にはなりたくない」などと思っているはずです。
 経営書にはよく次のように書いてあります。
「過去の成功にとらわれるな」
 過去に成功した体験から抜け出せずにズルズルと倒産に至ることを戒めた格言です。松下が復活し た理由としてもよく使われています。過去の成功にとらわれるということは「…ねばならない」と自らに縛 りをかけてしまうことで選択の幅を狭めてしまうことです。選択の幅が狭くては成功することはありませ ん。
 人間である以上誰でも親がいますが、そして教師としてであれ反面教師としてであれ影響を受けてい ます。そうした中でいつの間にか「must be」を作っています。そして優しい性格の子供であればあるほど 「must be」から抜け出すことに葛藤が生まれます。それが自分を苦しめることになるになります。
 今、読売新聞では元映画監督大島渚さんの奥様が介護に関するコラムを執筆しています。「自分を殺 してまで介護に尽くしていると自分が壊れてしまう」と書いてありました。夫の介護を完璧に「せねばなら ない」と考えることは「最終的には両方が倒れることにつながる」と書いてありました。人間は自分を大切 にしなければ他の人を大切にすることはできない、とも書いてありました。
 以前の新聞に90才の親の介護に疲れた65才の子供が親を殺害した記事がありました。何才の子供 であれ「must be チルドレン」を続けることには無理があります。「must be チルドレン」を卒業したときに 初めて本当の自分を見つけることができるのではないでしょうか。
 私には成人した子供が2人います。
 私には夢がある。将来、年をとって老衰になりあと少しで意識がなくなる寸前に子供たちに次の質問を することです。
「ねぇねぇ、僕って親としてどうだった?」
 じゃ、また。
追伸:人生のギリギリの瞬間じゃないと心配で質問できないですよぉ。




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