<亀と市場原理主義>

pressココロ上




 むかしむかしあるところにカメくんとウサギくんがいました。
 ある日、カメくんは食料を運んでおりウサギくんは寝転んでいるところにツルくんが空からやってきました。
「カメくんウサギくん、こんにちは」
カメくんが足を止めて答えました。
「ツルちゃん、久しぶり。元気にしてました?」
 ツルくんは一年に一回カメくんたちの前に現れます。ウサギくんが言いました。
「ツルちゃんは空が飛べていいよな」
ツルくんは空を見上げながら言いました。
「自分でもそう思うよ。持って生まれた能力に感謝してるんだ」
 実はウサギくんはツルくんにコンプレックスを持っていました。ウサギくんは空を飛べないからです。それに「ツルちゃん」と「ちゃん」づけで呼んでいますが、本当の年令は知りませんでした。ただ噂ではすごく長生きをしているそうです。
 ツルちゃんはカメくんたちにある情報を教えて飛び立っていきました。
 カメくんは1メートル先を見据えコツコツ歩きながら考えていました。
「ウサギくんより先にユートピアにゴールすれば幸せになれる」って言われたけど不利だよなぁ…。ウサギくんとは生まれながらに走る能力に差があるもん。こんな競争につき合わなければよかった…。でも「挑戦するものだけにチャンスは与えられる」ってなにかに書いてあったし…。それに僕の信条は「努力」だから…。
 そのころウサギくんは余裕で走っていました。
 ツルちゃんのことは苦手だけどうれしい情報くれたよな。それにカメくんをなんとか説得できてよかった。
 ツルちゃんの情報によると、西のほうに市場原理社会というユートピアあるらしいのです。そこは「勝った者が報われるという社会」です。ウサギくんはいつも思っていました。カメくんより自分のほうが走ったり動いたりといった動作が早いのに暮らしぶりがカメくんと変わらないのが不満でした。もっと優雅に暮らしたい。そんな気持ちをユートピアは満たしてくれそうに思えました。
 ただユートピアにゴールするには条件がありました。必ず誰かと競争して勝ってゴールすることでした。普通にゴールしても入れないのです。競争相手が必要でした。ウサギくんはいろいろな話法を組み合わせて必死にカメくんを説得したのでした。
 カメくんが汗をふきふき歩いているとアリくんが近づいてきました。
「なにしてんの?」
「西のほうに向かって競争してるんだ」
 アリさんは「ああ」という表情で言いました。
「ユートピアに向かってるんだね。前にもいたよ」
 アリさんはカメくんと同じ考えを持っていました。「がんばった者が報われる社会」が理想的な社会だと考えていたのです。一生懸命努力しても、怠けて一日の大半をゴロゴロしていても暮らしぶりが変わらない社会はおかしいと思っていたのです。
 カメくんが競争に参加することにしたのもそれが理由です。ウサギくんは走るのが速く要領もいいので一日の労働時間はごくわずかです。それに比べカメくんは一日のほとんどを労働に費やしています。カメくんは「がんばった者が報われる社会」を求めていました。
 ウサギくんはうしろを振り返りました。カメくんの姿は米粒ほどにも見えません。ウサギくんは想像していました。ユートピアに入って豪華な家に住み高級外車に乗って優雅に暮らすことを夢見ていました。今まではどんなに頑張っても一日に4時間は働かなくてはいけないし楽しいことが全くありませんでした。自分の才能を活かして工夫した結果が報われる社会を求めていたのです。ウサギくんの目指していた社会も「がんばった者が報われる社会」です。
 ウサギくんはユートピアまであと残り半分の標識を過ぎていました。ホッとしながら少し先を見ますと看板が目に入りました。
【あなたも空を飛べる】
 ウサギくんはスピードを緩めました。空を飛べるのか…。ウサギくんはうしろを振り返りカメくんの姿が見えないことを確認して看板の前で立ち止まりました。
 看板の下には机があり説明書と申込書が置いてありました。講習会に参加すると誰でも空を飛べるようになると書いてありました。
 カメくんは申込書にサインしようか迷いました。空を飛べたらツルちゃんと対等になれます。コンプレックスもなくなります。でも説明書が真実かどうかわかりません。説明書といってもメールを印刷しただけものでした。このメールを信じて大丈夫かな…。
 ウサギくんは悩んだ末に申し込むことに決めました。やはりコンプレックスを持ったままユートピアに行くのはプライドが許さなかったのです。それにカメくんがまだ当分やってきそうもなかったのも理由です。署名をし印鑑を押し申込書受付のポストに入れました。するとその瞬間上から金網が覆いかぶさってきました。ウサギくんは焦りました。金網を持ち上げようとしましたが全く動きません。天井のほうによじ登ってみましたがやはりビクともしません。ウサギくんは途方にくれました。
 カメくんは相変わらず1メートル先を見据えコツコツと歩いていました。残り半分の標識をチラッとだけ見ました。ちゃんと標識を見なかったのは顔を上げることによるエネルギーを浪費することを避けるためです。それに残り半分といってもカメくんにとってはまだまだ時間がかかります。自分のペースで進むだけです。一心不乱にただ前を向いて…。
 このときもしカメくんが少しでも横を見ていたなら金網の中で寝ているウサギくんに気がついたかもしれません。しかし前だけを見ていたカメくんにはウサギくんが見えませんでした。
 カメくんが出発してから何日が過ぎたでしょう。カメくん自身もわかりませんでした。もしかしたらウサギくんはとうにゴールしているかもしれません。それでもカメくんは歩くことをやめていませんでした。それは持って生まれた忍耐強さからきていました。結果がわかるまで諦めない根性がありました。
 カメくんは無心になっていました。競争に勝つとか負けるとかは関係がなくなっていました。ただ歩くことに意義があると思っていました。無心です。まるで雲水の境地です。
 ただひたすら歩いていたカメくんに遠くから声が聞こえてきました。ふと顔を上げると大きなのぼりが見えます。カメくんは急ぎました。さらに近づくと横断幕が見えました。
【がんばれ。君は勝者だ】
 横断幕に書かれていた文字を見てカメくんは確信しました。ウサギくんはまだ到着していないんだ。カメくんはさらに急ぎました。ゴールに近づくと皆が声援で迎えてくれました。カメくんは諦めなかった自分がうれしくて仕方ありませんでした。自然に涙が出てきます。
 とうとうゴールの目の前にきたとき出迎えの声援も最高潮となりました。カメくんも笑顔笑顔です。いよいよテープを切ろうとしたときテープになにか書いてあるのがわかりました。
 カメくんは足を止めました。文字を読み返しました。漢字で四文字です。カメくんはそれ以上前に進めませんでした。顔もうつむき加減になりました。出迎えの人たちも不思議そうに見ています。声援も静まってしまいました。カメくんはみんなに向かって叫びました。
「ごめんなさい!」
 そう言うとカメくんは来た道を戻り始めました。ゴール付近にいた人たちが囁きあっています。
「たまに引き返すケースもあるよね」
「そう。そう」
「やっぱりテープに直接的な表現はよくないよね」
… 格差社会へようこそ …
 あれから1年が過ぎたころまたツルちゃんがやってきました。
「あれ? ウサギくんは?」
「去年ツルちゃんが教えてくれたユートピアに向かったきり帰って来ないんだ」
「そうか。うまく入れたのかなぁ」
「さあ、わかんないけど…」
「今度ツルちゃんが来たら聞こうと思ってんだけど、ツルちゃんはユートピアに入ろうと思わなかったの?」
「思ったよ。でも行ってみて僕とは考え方が違うかなって思ってやめたんだ」
「ふーん」
「ユートピアはウサギくんみたいなタイプには合ってるけど僕やカメくんには合わないよ」
「どういうこと?」
「なんて言うか…、人生を長いスパンで考えるタイプと短いスパンで考えるタイプの違いかな」
「どっちがいいの?」
「それは一概に言えないよ。自分に合ってるほうを選べばいいんだ。人生はそれぞれ自分のものだからね」
「でも僕やツルちゃんとウサギくんは違いってなんだろ?」
「昔から言うでしょ。鶴は千年亀は万年」
 じゃ、また。




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