<普通の人とはみだした人>

pressココロ上




年末年始は普段よりもテレビを見る時間が多かったのですが、その中で印象に残る番組がありました。それはある死刑囚の息子さんにインタビューをした番組でしたが、「子供は親を選べない」という言葉がしみじみと心にしみ込む内容でした。
この死刑囚とは1997年に起きた和歌山カレー毒物混入事件の犯人ですが、当時マスコミで大々的に報じられていましたので覚えている方も多いでしょう。その犯人の子供に生まれた青年が人生を振り返るインタビュー番組でした。
端的な言葉で表しますと「壮絶」「過酷」に尽きますが、当人からしますとこの言葉でも言い尽くせないほど辛い人生だったかもしれません。それを思う時、現在普通の社会人として真面目に生活を営んでいることに尊敬の念を感じます。なにしろどこに行っても犯罪者の子供というレッテルがついて回るのですからまさに地獄にいる気分だったはずです。ある程度の大人であっても耐えられないかもしれない状況、環境の中で「子ども」だったのですから耐えられたことが不思議なくらいです。
両親がいなくなったのですから養護施設で暮らすことになりますが、そこでのいじめ体験も凄まじいものがありました。そんな中で道を外さずに今まで生きてきたことは本当に頭が下がる思いです。
年末には同じような境遇になってしまった男性のインタビューがほかにもありました。北九州連続監禁殺人事件の犯人夫婦の子供のインタビューです。こちらも視聴率が高かったようですのでご覧になった方も多いでしょう。こちらの青年についても先の青年同様に道を外さずに今まで生きてきたことに尊敬の念を感じます。
また12月半ばにはオム真理教の4女の方が「親との関係を断つ」ことを宣言する会見を開きました。こうした一連の報道を見ていますと、親子の関係について考えずにはいられません。日本は親孝行をするのが当然という意識が強いですが、これは儒教の教えが少なからず影響しているように思います。お隣の韓国では日本よりも年長者を重んじる風潮が強いそうですから、やはり儒教の教えと親孝行は強く結びついているようです。
冒頭の青年の話に戻りますと、僕がインタビューの中で最も記憶に残っているのは周りが冷たい対応をする中で唯一青年に優しくしてくれた「雇い主」の話です。結局、この「雇い主」は暴力団関係の人だったようで、それを教えてくれた仕事現場の人たちの助言がなかったならそのまま暴力団に入っていたかもしれません。その意味で言いますと、その現場の人たちの優しさも素晴らしいものがあります。
このエピソードで僕が感じたのは世の中から「はみ出した人」が行きつく先が暴力団のような悪い団体しかないという現実です。この青年も最初は暴力団関係の人ということは知らずに働くようになったのですが、優しく接してくれたことだけでうれしかったようです。もちろん暴力団は組織を維持するためにそのような境遇の人を狙い撃ちするのは問題ですが、「はみ出した人」が行く場所がそこしかないことのほうが大きな問題です。
かなり昔ですが、あるドキュメント番組で右翼に密着取材する番組を放映していました。そのときのトップはかなり高齢で歩くのもままならぬ状態でしたが、組織の今後について尋ねられたとき「若い奴らの面倒を見るためにもっと頑張らねば」と答えていました。さらに「俺がいなくなったら誰がこいつらの面倒を見るんだ」とも話していました。
右翼の団体と言いますと、大音量で音楽を流しながら宣伝カーを走らせる強面のイメージがあります。人によっては暴力団と変わりないと思っている人もいます。確かに右翼とは言いながら政治的な主義主張についてはあまり理解していない若い人もいます。その番組でもイデオロギーなどに関心はなく単に行動をともにしている若い人を紹介していました。このような若者も「はみ出した人」の一人と言えそうです。
昨年の後半、僕がよく行く本屋さんで「顔ニモマケズ 」という本が平積みされていました。著者は水野敬也さんという方ですが、「夢をかなえるゾウ」の著者といったほうがとおりがいいかもしれません。この著者は世の中のちょっと気になることを見つけだして本にするのがうまい人ですが、どの本にも「優しさ」とか「思いやり」といったものが通底しているように思います。ですから、この本の著者名を見て著者が書いた理由がなんとなくわかるような気がしました。因みに、著者は泣ける漫画で有名な鉄拳さんと組んで本を作っていますがこれも著者ならではという感じです。
この本が売れたことがきっかけかどうかはわかりませんが、昨年は顔にあざがある方に関する記事が多かったように思います。その一つを読んだのですが、顔にあざがあるせいで周りの人からいじめに遭い、生きていることに価値を見出せない女性の話でした。この女性がイジメに遭っていたときになにも言わずに受け入れてくれたのは暴走族だったそうです。もちろん暴走族の行為は悪いに決まっていますが、少なくとも人を外見で見下したり判断したりしないことは人として素晴らしいことです。間違いなく暴走族の人たちはこの女性にとっては救いになっていました。
このように見ていきますと、世の中で他人をイジメたり見下したりする人たちは普通の人が多いように思います。犯罪者の子供に生まれたのも当人の責任ではありません。外見が一般の人と違うのも当人の責任ではありません。それなのに普通の人たちは自分たちと違うからという理由で排除しようとします。
そして、排除された人たちは「はみ出した人」と烙印を押されることになります。しかし、よくよく考えてみますと、「はみ出した人」を作り出しているのは「普通の人」なのです。「普通の人」たちが「『はみ出した人』たちを作り出しているのは自分たちだ」と認識することが大切です。そうした認識がいつの日か世界を平和に導くはずです。
今年も世界を平和に導くようなコラムを書くぞ~! (^o^)/
じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする