<不遜>

pressココロ上




僕はパフォーマンスが好きではないのですが、立場やタイミングによってはパフォーマンスも必要とされる場面もあると思っています。それでもあまりにパフォーマンスが過ぎるとやはり白けてしまいます。財務省の福田事務次官が辞職しましたが、野党の女性の皆さんが黒い衣服を着てセクハラ批判のために行進をしている映像は白けてしまいました。
僕の率直な感想としては、安倍政権を退陣に追い込む手法が政策や不適切な行動を追及するのではなく、官僚のセクハラ発言を批判することで追求するやり方に違和感を感じています。健全な政治を行うために野党が与党を批判するのは当然ですが、その批判の対象は政治案件であるべきです。もちろんセクハラも重要な問題ですが、元々の核心である森友学園問題や家計学園問題で責任を追及するのが筋というものです。
野党の女性議員のパフォーマンスを(映像では男性議員がひとり映っていましたが)見ていますと、マスコミ受けを狙って行動しているように感じるのは僕だけではないはずです。このようなやり方しかできないことところに安倍政権が6年も続いている理由があるように思います。
ここ2ヶ月くらいにいろいろな問題が連続で起きていますのでごちゃごちゃしてなにが問題なのか、わからなくなっている人もいるかもしれません。ですので、今週は若い読者の方のために時系列で説明しようと思います。
まず、一昨年あたり前から前森友学園と家計学園の問題が起こりました。簡単に言いますと、前者は国有地を相場よりもかなり安く森友学園に販売したことが問題となりました。売却の際に森友学園の籠池理事長が安倍首相もしくは昭恵夫人の後押しがあることを臭わせたことで安倍首相の関与が疑われた問題です。このときは昭恵夫人が名誉会長に就任してスピーチしている映像も放映されています。
ここで証人喚問された佐川元理財局長が出てきます。安倍首相が国会で「自分が関与していたら、国会議員を辞める」と発言したことで財務省と森友学園のやり取りが書いてある決裁書の書き換え問題が起こります。これはまだ決着がついていません。
次に家計学園ですが、これは安倍首相と個人的に親しい財界人が獣医学部を新たに開校することが問題の核心です。つまり、親しい知人に便宜を図ったかどうかが焦点となります。この問題では「岩盤規制」とか「首相案件」などという言葉で出てきましたが、つまりは新しい獣医学部を作ることの是非が問題の核心です。
これは僕もどちらが正しいのか今一つ分かりかねるのですが、これまでの行政の考え方は「獣医の数が多いので新たに獣医さんを養成する大学を作る必要はない」というものでした。これが岩盤規制です。しかし、主に関西地域では「獣医は足りていない」と主張する人もいます。あまりテレビでは放映されなかったようですが、元文部官僚でその後愛媛県の知事をやっていた加戸守行氏は「10年以上前から家計学園を誘致していた」と参考人として証言しました。
つまり「岩盤規制」自体が間違っているのだから、それを改めようとする動きが「首相案件」です。ですから、本来「首相案件」というのは「便宜を図る」ことを意味するのではなく「岩盤規制に風穴を開ける」といういい意味でつかわれていました。それなのに現在は「首相案件」が「違法に便宜を図った」こととして捉えられているのが僕としては不思議です。
もちろん安倍首相が親しい友人に便宜を図るのはいけないことですが、加戸守行氏の証言が真実であるなら「誰もが引き受けないことを、お願いしてやってもらったこと」になります。もしそうであるなら、家計学園問題の見方も変わってきます。
今後、当時安倍首相の首席補佐官をやっていました柳瀬さんという方が証言することになりそうですが、結局は柳瀬さんがとった対応も「便宜を図った」ことになるのかそれとも「岩盤規制を正した」ことになるかで判断が変わることになります。
こうした問題が解決しないうちに、財務省事務次官のセクハラ発言が起こりました。今の状況は森友学園問題や家計学園問題よりもセクハラに焦点を集めているように見えます。政治家の中で生き残るテクニックを身に着けている人はそのときどきでマスコミに取り上げてもらうコツを知っています。それが透けて見えますと、僕は白けてしまうのです。
確かに、高級官僚の傲慢さは見ていてみっともないですが、傲慢なのは高級官僚だけに限りません。実は、官僚を批判している大手マスコミで働いている人たちも高級官僚に負けないくらい傲慢です。その証拠に記者クラブでは大手の人が自分たちのやりたいように仕切っていますし、政治家との親密さを誇示しています。
さらに言うなら、傲慢な人たちというのはどの業界にもいます。そうした人たちに共通しているのは競争に勝ち続けていることです。大手企業で働いて出世している人たちは受験競争に勝ち、そして社会人になるときは入社試験競争に勝ち、会社では社内競争に勝った人たちです。大企業である程度の役職に就いている人たちはこのような人たちです。ですから、大企業でそこそこの役職に就いている人が傲慢でないはずがありません。
ある意味、この世の中は傲慢な人が動かしています。世の中を動かすには権力が必要ですが、権力を持つには競争に勝つ必要があります。つまり、競争に勝ち続けた人が社会を動かすことになりますが、そのような人が動かす社会が弱者にやさしい社会になるはずがありません。
元衆議院議員山本譲司氏の著作に「獄窓記」という本があります。この方は秘書給与をごまかしたことで服役までしたのですが、この方が刑務所で経験したことをつづった本です。当時話題になり、ドラマ化もされていますのでご記憶のある方もいるでしょう。僕はこの方の潔さに感銘したのですが、さらに刑務所内で障害のある受刑者たちの世話役に従事することで人間的にもう一回りも大きくなったように思えました。
この事件のとき、山本氏以外にも秘書給与をごまかしていた政治家がいました。その方たちが見逃されたのに対して山本氏は服役までしたのですが、ある意味、見せしめと思えなくもありませんでした。ですが、それを受け入れた度量に人間としての大きさ素晴らしさを感じずにはいられません。現在は政治家ではなく福祉関連の仕事をしているそうです。ちなみに、秘書給与をごまかしながら罰則を逃れた政治家は今も政党のポストについてマスコミに登場しています。
僕がこの本の中で印象に残っているのは、痴呆が入った老人の囚人を介護する場面で排泄物を手で処理をしているときに刑務官から「とうとうおまえも落ちたな」と言われる場面です。刑務所の中では刑務官が権力者です。大げさに言うなら、山本氏はこのとき初めて権力の持つ不遜さを感じたのではないでしょうか。権力というのは持ち続けていると権力の大きさを忘れてしまうようです。
セクハラもパワハラも突き詰めて考えますと、力を持っている者の不遜さが具現したものです。そして、その不遜さは勝ち続けることから生まれます。もし、読者の中で勝つ続けている人がいましたら、是非一度わが身を振り返ってみてください。
以上、負けたことが多いおじさんの意見でした。
じゃ、また。




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