<62回目の誕生日>

pressココロ上




「おめでたい」のか、「悲しい」のかわかりませんが、本日は僕の62回目の誕生日です。あっという間の62年間でした。このコラムを書き始めておそらく14~15年が過ぎましたが、毎週日曜日に書いています。ですから、年間で50回くらい書いていることになり、少なくとも14年ですのでこれまでに700回書いていることになります。そして、僕の記憶では誕生日とコラムが書く日が重なるのはそうなんどもありません。少し調べてみましたところ、2012年の8月19日が日曜でした。つまり、6年に一度くらいの割合でコラムと誕生日が重なることになるようです。
そこで、せっかくの誕生日とコラムの重なり日ですので、今回は62年を簡単に振り返る日にしようかな、と思います。しかし、「ただ振り返る」だけですと、取り留めもないことになりますのでなにかしらテーマを決めることにしました。
いろいろ考えた結果、僕が物心ついたときとテレビが普及した時期が同じですので、「僕が見てきたテレビ」をテーマに振り返りたいと思います。
僕が初めてテレビを見たのは5才の頃です。ですから、テレビが我が家にやって来るまでは外で遊ぶ以外にやることはなかったことになります。ラジオを聞いていた記憶はありません。当時、僕の家は田んぼが広がっているところの端に建てられていたアパートに住んでいました。やることと言ったら、稲刈りが終わったあとの田んぼで走り回ることくらいです。
ある日、父が『今日テレビを買ってくる」と言って出かけたのですが、持ち帰ってきたのは「ラジオだった」という記憶があります。テレビはまだ高価で買えなかったからです。若い皆さんもテレビやネットで昭和を振り返る番組やサイトなどで見たことがあるかもしれませんが、テレビが一気に一般家庭に普及したのは今の天皇陛下がご結婚をしたときと言われています。そして、東京オリンピックもきっかけになっています。当時の三種の神器は「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」で、それから新・三種の神器として「カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car)」が登場しています。
我が家は貧しかったので普通の家庭よりも数年遅れてブームがやってくるのが常でした。ちなみに、父は当時郵便局に勤めていたのですが、九州の田舎から出てきた学歴もない男性が安定した仕事を考えるとき公務員になるしか術はなかったように思います。
今では考えられませんが、その頃の公務員は薄給の象徴的な職業でした。公務員は解雇されることがありませんので、その代わりお給料を低くするという発想です。僕には10才くらい年長の従妹がおり、彼女は大手化粧品会社の工場に勤務していたのですが、高卒の彼女のほうが30代半ばの公務員男性よりもお給料が高かったそうです。ボーナスも含めますと、従妹の年収は父の倍くらいあったそうです。当時は、それくらい公務員のお給料は低いのが普通だったのです。
話は少し逸れますが、公務員のお給料がその後一気に高くなるのですが、それを実現させたのは田中角栄首相でした。田中氏は公務員の社会的地位を向上させることで官僚をコントロールすることに成功しました。
「逸れ」ついでに話を進めますと、政治家の能力は究極的には「官僚をいかにうまくコントロールするか」にかかっていました。なぜなら、いくら政治家が政策を決めたにしても実行するのは官僚だからです。しかも、実際は政策を決めるのも官僚が行っていたという事実があります。今ではなくなりましたが、かつては各省の事務次官が週に1回会議を開いて政策を議論し、決めていた時代がありました。それほど官僚は力を持っていました。
2009年に民主党が政権を取りましたが「失われた3年」と揶揄されるほど、失敗の烙印を押されてしまいました。その原因は「官僚をコントロールできなかったこと」に尽きると思っています。
「逸れ」が長くなってしまいました。話を戻します。
ある日、父が「今日、テレビを買ってくる」と言って出勤しながらラジオを持って帰ってきたのですが、そのときの落胆した気持ちは今でも覚えています。僕がテレビを見ることができたのは、隣の家にテレビがきたときです。晩御飯を食べ終わったあと、隣の家に行き正座をして見させてもらっていました。
僕が自分の家で初めてテレビを見た日のことは記憶にないのですが、僕の頭に強く刻み込まれているテレビの映像は「鉄人28号」が暗闇の中を「ノシ、ノシ」と歩いている姿です。もちろん白黒でしたが「鉄人28号の影が映し出されてから、音楽がはじまっていた」ように記憶しています。
次に覚えているテレビ番組は「スーパージェッター」です。流星号という空を飛ぶ乗り物を腕時計に向かって命令を出し、操るジェッターに夢中になっていました。ここから先もすべてアニメになりますが、「鉄腕アトム」「エイトマン」「狼少年ケン」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」「魔法使いサリー」「マッハGoGoGo」、一応年代順に紹介しています。
この頃は小学生でしたが、この後中学生になってから登場するテレビ番組には少なからず自分の人格形成に影響を受けました。「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「サイボーグ009」「サスケ」「妖怪人間ベム」「タイガーマスク」といったところでしょうか。いやぁ、書きながら懐かしんでおります。
夏休みになりますと、午前中にアニメを放送する時間があり、それを毎日見ていました。再放送でしたが、午前中の1~2時間はテレビアニメに首ったけでした。
中学生になりますと、「ぎんざNOW」しか記憶にありません。夕方5時からのバラエティ番組でしたが、ここで関根勤さんとか小堺一機さんとか竹中直人さんなどを知ることになります。
この番組で僕が一番覚えている場面は「とんぼちゃん」というフォークデュオが出演したときです。「とんぼちゃん」は若い女性に人気のあるデュオで、歌い始める前のMCのときに自分たちのコンサートの告知をしました。そのときにたくさんの人にほしいという意味で「男性も女性も若い人もお年寄りも」と言ったあとに「足のない人も…」と続けてしまったのです。
このときは場内から軽い笑い声が起きただけだったのですが、歌い終わったあとに司会のせんだみつおさんから「不適切な言葉がありました」とお詫びの言葉がありました。ですが、そのとき二人は「そういうつもりで言ったのではないので…」といい訳めいた発言をしました。するとせんださんは真面目な口調で「いえ、しっかりと謝罪するべきですよ」と二人に注意をしたのです。
当時、せんださんはお笑いタレントとして活躍しており、今で言いますと出川哲郎さんのような立ち位置にいました。つまり、おちゃらけて笑いを取るのが本来の役割ということになります。そのせんださんが真面目な顔で二人に注意をしたのがとても好感で新鮮な気持ちになった記憶があります。
その場面は、僕が初めてテレビとかタレントについて考えるようになったきっかけになりました。このあと高校時代はクラブ活動に土日も含めて明け暮れていましたのでテレビの記憶はありません。夏休みもほとんどクラブ活動をしていたように思います。
こうして僕の中学高校時代までの人生が過ぎて行ったのです。あれから47年、あっという間の人生ですね。今週は誕生日特別コラムでした。
じゃ、また。




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