<ゴーン氏逮捕>

pressココロ上




日産のゴーン氏が逮捕されて約2週間が過ぎましたが、マスコミもあまり報道しなくなっています。実は先週のコラムは「ゴーン会長逮捕」について書くつもりだったのですが、元貴乃花親方の離婚が報じられましたので、ついそちらのほうを書いてしまいました。
ゴーン氏の逮捕についてはいろいろな情報や意見がマスコミに出ていますが、結局のところなにが真実なのかは今一つはっきりしないのが実際のところです。そもそも真実を突き止めるために裁判が開かれるのですから、これからが本番ということになります。
これは本題から少し離れますが、今回検察が日本人ではない、しかも社会的影響力が高い人物を逮捕したことは事件とは違う方面に影響を与えるように思っています。それは日本の司法制度における問題点です。
日本では大きな事件で容疑者を逮捕しますと勾留するのが一般的です。勾留とは「被疑者を刑事施設に留置して拘束すること」ですが、勾留する理由は被疑者が逃亡や証拠隠滅をしないようにするためです。実は、このコラムを書くにあたり調べたところ、同じ「こうりゅう」という読み方で「拘留」というものもあるそうですが、これは「勾留」とは違うものだそうです。
それはともかく、以前より被疑者の段階の人を長期間勾留することの問題点を批判している意見がありました。ですが、そうした意見はなぜかほとんど無視されてきました。それが今回ゴーン氏を勾留したことで国際的に日本の司法制度に注目が集まっています。冤罪をなくす運動をしている専門家に言わせますと、先進国の中で日本ほど司法制度において人権侵害を犯している国はないそうです。ゴーン氏の逮捕が日本の人権侵害について議論が高まるきっかけになることを願っています。
ゴーン氏逮捕から2週間も経ちますと報道も落ち着いてきていますが、報道は大まかに2つに分類できます。一つは「ゴーン氏が多額の報酬を隠していたことへの批判」であり、あと一つは「今回の逮捕は日産側のクーデターである」という指摘です。
ゴーン氏の多額の報酬については日本人の感覚からしますと、「もらい過ぎ」という印象は否めませんが、グローバル企業の経営者としては「許容範囲」とも報じられています。クーデター説については、ゴーン氏がNISSANをルノーと統合させるつもりでいたのを察知してそれを阻止するためという報道です。ルノーの売上げはNISSANよりも少なくなんとルノーの利益の半分以上はNISSANからの配当によるものだそうです。ルノーはNISSANに逃げられないように統合するつもりだったと報じられています。
ゴーン氏がNISSANにやってきたのはNISSANの業績が思わしくなかったからです。「思わしくない」どころか倒産寸前でした。僕が強く印象に残っているのはゴーン氏をNISSANに招き入れた当時の日産自動車社長・塙 義一のコメントです。
「日産は大企業なのでしがらみが強すぎて日本人では改革ができない」。
日産は赤字を垂れ流す体質を改善したくても、取引先などとのそれまでの関係があるので実行に移せないでいたそうです。その「しがらみ」を断つには「外部から人材を招き入れるしか方法はなかった」と塙氏は語っていました。
確かにゴーン氏が来てから日産はV字回復をしていますが、僕からしますと取引会社を切ったり工場を閉鎖したり従業員を解雇したり、など採算の取れない部署を削減しただけにすぎないように見えます。コストカッターに相応しいゴーン氏の手際ですが、塙氏が言うように「日産生え抜きのトップではできない改革」です。「しがらみ」のないゴーン氏だからこそできた改革です。
その意味で言いますと日産がV字回復した一番の理由はゴーン氏の手腕ではなく、単に「外部からやってきた経営者だから」ということになります。別にゴーン氏でなくてもコストカッターができる能力のある人物なら誰でもよかったようにさえ思います。
以前書いたことがありますが、ゴーン氏が来る前まで日産の業績が悪かったのは一人の労働組合のリーダーに理由があります。当時「塩路天皇」とまで言われるほど権力を持っていました。なにしろ社員の異動さえ労働組合の許可がなければできなかったのですから、力の強さがわかろうというものです。これほど労働組合が実権を握っている企業が利益を出せるはずがありません。
結局、この人物の影響力から抜け切れずにいて業績が悪化したのですが、今回もゴーン氏という一人の権力者の力によってNISSANが支配されていたことになります。NISSANは一人のカリスマ的人物に支配される遺伝子があるのかもしれません。
マスコミ報道全体を俯瞰しますと、NISSANが検察に協力していたのは事実のようです。日本初の司法取引と報じるマスコミもいますが、クーデターというよりもNISSANをゴーン氏の手から取り戻す意図があったように感じます。ですが、だからといってNISSANの幹部が正しいとは限りません。そうしたことを感じるのは昨年の秋以降に明らかになっている「品質検査関連の不正」に対するNISSANの対応に疑問を感じるからです。謝罪会見に西川社長が一度も出席していないのです。もし、企業のトップとして経営に真摯に向き合う気持ちがあるなら謝罪会見にはトップが臨むのが本来の姿です。
僕は言葉を信用しない主義です。ちょっと頭のいい人は言葉を巧みに操って、または彩って人を思い通りに動かそうとするからです。僕は行動で人を判断します。その意味で言いますと、「品質検査関連の不正」の謝罪会見に一度も出席せず部下に任せている西川社長には経営者としての姿勢に疑問を感じています。
このような状況を見ていますと、今回の事件も外部からやってきたエリートと生え抜きのエリートの争いのように思えてきます。そこには現場で一生懸命働いている人たちへの配慮が欠けているように見えます。いつも負担を押しつけられるのは現場で働いている人たちです。格差社会の原因はそこにあるのかもしれません。
そう言えば、ゴーン氏の弁護を担当するのは元東京地検特捜部長の弁護士です。今回の検察側の部長は元部下だそうです。こうした構図を見ていますと「裁判とはなんなのか」と考えてしまいます。これでは裁判が検察の元上司と部下の戦いの場にすぎないことになってしまいます。裁判が真実を求める場ではなく、単なるディベートの優劣を決める場ということです。これで公正で公平な裁判が行われるのでしょうか。
やっぱり、世の中ってエリートが支配しているのかなぁ…。
…てなことをゴーン氏逮捕事件から連想した僕です。
じゃ、また。




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