marusato一覧

NO IMAGE

<謝罪会見>

それに比べますと、社長の座を退きながらも「代表取締役」としてとどまっているジュリー氏は立派です。「代表取締役」は法的に責任を負うことですので事件に対する覚悟をうかがうことができます。ビッグモーターの創業者のように「責任をとる」という体で代表取締役から退くこともできたはずですが、逃げも隠れもせず「補償を終えるまで」と語っている姿はとても潔いものを感じました。

NO IMAGE

<防災の日>

僕が尊敬する森達也監督がこの時期に合わせて「福田村事件」という映画を公開しています。森監督は常に弱者に寄り添うことを信条として方ですが、「福田村事件」とは、四国から千葉へやってきた行商人達が朝鮮人と疑いをかけられ、正義を掲げる自警団によって幼児、妊婦を含む9名が殺害された事件です。朝鮮人というだけで虐殺されるのも許されませんが、日本人がデマを信じた集団心理で虐殺されたのはあまりに悲しい事件です。

NO IMAGE

<教える理由>

自分が卒業生になり先輩になったときに思ったのは、先輩として教えに来ていた人たちは自分の生活に満足していなかった人ではないか、ということです。つまり、先輩として中学に教えに来ていた高校生たちは、高校では時間を持て余していたからこそできる後輩への指導だったことになります。言い方を変えますと、充実した生活を送っていなかったので先輩面ができる後輩のところへ行っていた、では言い過ぎでしょうか。

NO IMAGE

<たまたまスマホを変えた話>

今回「買い替え」を実行したわけですが、そのきっかけはホームセンターで「UQモバイル」の催事に出会ったことです。そして、それと同じくらい重要なことがあります。それは「たまたま」声をかけてくれた販売員の方が知識が豊富で感じがよかったことです。端的に言いますと、「相性がよかった」ことですが、僕はその方に契約をお願いするためにわざわざ2回もそのショッピングセンターを訪れています。

NO IMAGE

<核抑止論>

かつて55年体制の一方を担っていた日本社会党は「自衛隊反対」「安保反対」を掲げていましたが、一般の人でその主張に同意していた人は少なかったように思います。結局、その日本社会党は消滅してしまいましたが、一番の理由は「現実的ではなかった」からではないでしょうか。 戦争反対と叫んだところで、他国が侵攻してきたならどうするのでしょう。

NO IMAGE

<気持の切り替え>

具体的に書きますと、戦争がはじまって徴兵制でも敷かれようものならビッグモーターのようなブラック企業どころの話ではありません。パワハラありセクハラありの組織で生きることになります。上官の指示に逆らうことなどできないのは当然で、軍隊というところは「腕力がものをいう」世界です。弱者は虐げられ強いものだけが生き残る組織です。そうした軍隊が闊歩する世の中にしないことが重要と思っていました。

NO IMAGE

<逃げの一手>

ビッグモーター事件では、「余計な修理」どころか「修理する箇所を作って」まで修理費用を高くしていたようです。ユーザーからしますと悪質極まりない事件ですが、車検と同じくらい消費者にわかりにくいのが自動車保険です。一般的に事故を起こした際、保険会社は事故の内容により「保険を使うかどうか」を聞いてきます。理由は保険を使うと等級が下がり保険料が高くなるからです。

NO IMAGE

<ビッグモーター事件>

先ほども書きましたように、今回大手マスコミで報じられるずっと前から経済誌では記事になっていたわけですが、ずっと報じられていなかったものが、突然大手マスコミで報じるようになった理由、背景も気になっています。もし大手マスコミが報じなかったなら、政府が実態解明に乗り出す事態にまで大きくならず、経済誌内の記事の一つとしてずっとくすぶっていたはずです。そうであるだけに、なぜこの問題が突然大手マスコミで報じられるようになったのか、がとても気になっています。

NO IMAGE

<ノイジーマイノリティ>

今回の「達郎さん炎上発言」をネットマスコミは批判的な論調で報じていますが、聴きたい人だけが聴いて、そうでない人は「聴かなくていいですよ」は、アーティストの純粋なそのままの気持ちです。中には世間・世の中におもねて、「ヒット狙い」で作品を作る人もいるでしょうが、そうした人はおそらく「嫌なら聴くな」の気持ちにはならないでしょう。あくまでアーティストそれぞれの生き方・人生観の問題です。

NO IMAGE

<神通力>

このように、「偉い人」たちというのは周りの人たちの対応によって作られていきます。こうしたときに一般の人たちが気をつけなければいけないのは、「偉い人」を勝手に「人格者」と思い込まないことです。今、ニュースでは「宗教2世」が問題になっていますが、「2世」を苦しめているのは、宗教の教祖を「偉い人」=「人格者」と思い込んでしまっている「2世の親」たちです。