<40年来の友>

pressココロ上




先週は、学生時代の友だちに遭いました。なんと14年ぶりです。その友人とはかれこれ40年のつき合いですが、ひねくれ者の僕がこれだけ長い期間、つき合いが続いているのですから自分でも不思議です。

「つき合いが続く」と言いましても、実際に話をするのは年に1回の電話です。冒頭に「14年ぶり」と書きましたのは、「直接顔を合わせる」という意味での期間です。もちろんこれだけ長期間続いているのはこの友人だけですが、それができているのは彼とは長距離友人の関係だからです。

長距離恋愛は、最終的には「別れ」ることが多いのが実際ですが、友人関係は別のようです。年に1回話をするタイミングは年が明けてからすぐです。つまり、お正月ということになりますが、だいたい年明けの3日か4日くらいに僕の方から電話をかけています。お正月に前年一年間の出来事をお互いに話すのです。毎回1時間があっという間に過ぎていきます。

いつから電話をするようになったのかは定かではありません。おぼろげな記憶をたどりますと友人が結婚してからのように思います。なぜなら彼の実家に電話をした記憶はないからです。ただし、この記憶には自信がありません。

彼は北陸地方に住んでいるのですが、今回会うことになったのは彼が出張で東京に出てくることになったからです。彼と友人になったのは境遇が近かったからです。僕が入学した大学は僕の境遇に似つかわしくない雰囲気の学校でした。公立高校から進学した僕からしますと、生活レベルが一つ上の人たちが多い学校だったのです。社会を知らない僕は、もちろん入学するまでそんなことを意識することもありませんでした。

入学し周りの学生の生活ぶりを見て初めて、「世の中には生活レベルというのがあるんだなぁ」ということを知りました。しかし、あとから考えてみますと、高校時代からすでにそれは表われていたのです。クラブ活動に明け暮れていた僕がそのことに気がついていなかっただけでした。

高校も3年の10月頃になりますと、クラブ活動も卒業して暇な時間ができて、僕はクラスの友人と一緒にいる時間が増えていました。それまではクラブ活動に明け暮れており、授業以外の時間のほとんどをクラブ活動に費やしていたからです。クラブ活動中心の学校生活をお切っていますと、自然とクラブの部員以外の人とつき合うことが少なくなります。そのクラブ活動をしなくなったのですから、クラスの友人といる時間が増えることになります。

クラブでの同学年には僕を含めて5人しかいませんでした。1年生で入部した当初は20~30人くらいいたのですが、練習の厳しさから夏の合宿前には5人しか残っていませんでした。やはり残った5人は「厳しい練習に耐えた」という自負をそれぞれが持っていましたので結びつきは強かったように思います。

クラスの友人といる時間が増えますと、少しずつ身の上話をするようになります。ある友人はしきりに「どんな部屋に住んでいるの?」と聞きたがりました。しかし、自分の部屋などない僕には答えようがありません。のらりくらりと返事をかわしていました。

また別の友人は「持っている靴で一番高いのいくら?」としつこいくらいに聞いてきました。しかし、靴のブランド(当時はメーカーと言っていたように思います)や金額など考えたこともない僕には、やはり答えようがありません。その友人は「僕は1万5千円の革靴を持ってる」と自慢していました。今から40年以上前の「1万5千円」です。高価ぶりがわかるはずです。

公立高校でもこのような学生がいたのですが、当時僕は全く気がついていませんでした。貧富の差というのを知り、実感したのは大学に入ってからです。そのときに「ああ、高校時代にもう貧富の差はあったんだ」とわかったわけです。

そのような大学時代に親しくなった、というよりは親しくなれるのは同じ生活レベルに近い人です。40年以上つき合っている彼は僕と近い生活レベルの友人でした。「近い」ですけど、もちろん僕のほうが下です。それでも価値観が似ているので友人になれたわけです。

その友人と14年ぶりに遭いましたので喜びもひとしおです。僕が昔の友人と会うのは…

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話は突然逸れますが、いま文章をキーボードで打っていたのですが、「ゆうじん」と打とうとして、誤って「ゆじん」と打ってしまったところ、「ユジン」と韓国名のように変換されました。面白かったので、報告いたします。(^o^)

====== 話をもどします。

僕が昔の友人と会うのは久しぶりなのですが、「昔の友人」とは本当に過去全ての「昔」です。つまり、この14年間過去の知り合いとは会っていないことになります。理由は「昔の友人とあって楽しい時間を過ごしたことがない」からです。

少し前に、マツコ・デラックスさんが「同窓会には絶対行かない」と発言してネットで物議を醸したことがあります。直接的な理由は話していないそうですが、過去に「エリートだけが行く」という発言もしていたそうですから、なんとなく気持ちは推し量ることができます。

僕が14年前から昔の友人と会わなくなったのは、学生時代より前の友人と会っても価値観が全く違っていますし、そもそも学生時代に本当に親しかったかと言いますとそれも怪しいものです。

先週のコラムで学生時代の先輩とラーメン店の店舗の経営について意見が衝突した話を書きましたが、あれが一番の理由です。そのほかには自慢話をするために来ている人が多いからです。マツコさんが「エリートだけが来る」と指摘していたことと通ずるのですが、それとなく会話の中に自慢を紛れ込ませている話法に嫌気がさしたからです。

それ以来、「昔の友人とは無理して会う必要もない」と思い現在に至っています。せっかくの残り少ない人生をできるだけ気持ちよく過ごしたいのです。先週会った友人は僕の数少ないというより唯一の学生時代からの友人です。

ですが、これだけ長い間続いているのも年に1回の電話だけのつき合いだからかもしれません。もし、近くにいていつでも連絡がとれ、会える環境にいたなら別の感情が芽生えていたかもしれません。

彼の本心はわかりませんが、少なくとも僕は気を使わずに話せる相手です。実は、彼は僕とは違い新卒で入った会社にずっと働き続け、役員にまで上りつめています。彼曰く「中小企業だけど」ですが、それでも役員にまで出世するには並はずれた努力と辛抱が必要だったはずです。現在は役員を退いて嘱託のような形式だそうですが、それでもまだ現役で働いています。僕にできないことですので、尊敬に値します。

僕は彼を、これまでに会った人の中で「一番頭がいい人間」と思っているのですが、やはり僕の評価は正しかったようで、彼の二人の息子さんはそれぞれ東北大と京都大学に現役で合格しています。彼によると「塾に行かせたこともないし、勉強を強要したこともないし、いつ勉強しているのかわからなかった」そうですから、遺伝以外のなにものでもありません。人間には持って生まれた才能があることを教えている好例です。

僕の経験では、「親が子どもに『勉強を頑張るように』言わなかったなら、成績は落ちる」のが普通です。

じゃ、また。







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