<思い込み>

pressココロ上




僕は今、車でアパートやマンションなどを巡回する仕事をしていますが、先週は情けない勘違いをしました。車は空いている駐車場に停めるのですが、たまたまそのときは一番左端の場所が空いていましたのでそこに停めました。隣には似たような色の軽自動車が停まっていました。

物件を一回りしてから駐車場に戻ってきて、車のほうを見ますと、後ろのバンパーが傷ついているのが目に入りました。見た瞬間、ショックを受けました。10センチくらい擦ったような痕があり、近づいてよくよく見ますと意外に深く削られていました。

自分ではいつどこでぶつけたのか記憶はありません。これまでうしろのバンパーを意識して見たことがありませんので思い出しようもありません。ですが、細い道を曲がるときに切り返しをしたことは幾度もありますし、また道路脇に停車する際にはガードレールや建物の塀ギリギリに停めることもあります。ですから、そうしたときに擦った可能性はあります。

今の車を購入したのは約半年前ですが、どうしても車をぶつけたとは思えません。ですが、現実問題として傷はついています。指で傷跡をさすりますとギザギザしており、それほど古い傷とも思えません。また、その傷以外にも小さな細かい傷がいくつかありました。

そうした傷を見ますと、自分の運転技術の未熟さを痛感します。本来なら、少しぶつかっただけで絶対にわかるはずです。それなのにどうして擦った箇所がこれほどあるのか…。自分の運転技術といいますか、感覚が鈍くなっている可能性なども考えました。時代は、高齢者の運転に厳しい目を向けるようになっています。それだけに傷が僕に与えた影響は大きなものがありました。

次に僕が考えたのは、自分で修理をする方法です。ある程度目立つ傷ではありますが、ホームセンターなどに行きますと、修理キットなどが販売されています。それらを使って自分で修理できそうな感じもします。

これまでにも前の車や前の前の車を自分で修理したことがあります。修理という言葉を使いますと大層な作業のようですが、要はペンキを上塗りするようなことです。プロのように「傷があった」とわからないような修理というよりは、目立たないようにする程度の修理です。言葉を変えるなら「補修」といったところでしょうか。

そのためのキットを揃えるとなりますと千円前後かかりますが、それで済むかどうか指先で触りながらいろいろと考えていました。そこで、正確な傷の状態を見るために車の中から雑巾をとろうと立ち上がりました。そのときです! 僕はあることに気がつきました。

その車は僕の車ではなく、隣の車だったのです!

人間というのは本当にトンマな生き物です。人間といってはほかの方々に申し訳ありませんので、「僕は」と訂正しますが、僕は本当にトンマな生き物です。傷に目を奪われてしまい、その車が自分のものかどうかもわからなくなっていたのです。

物件を一回りして、駐車場に戻ったときの立ち位置が、たまたま傷が目に飛び込んできやすい角度だったことも影響しています。ですが、それでも冷静になって見てみますとすぐに違う車とわかるはずでした。思い込みです。そのあたりに停まっているのは自分の車という思い込みがあったのでした。

人間、もとい僕はなんと愚かな生き物なのでしょう…。

∞∞∞∞∞∞

僕の年代の人間からしますと、野球界に大きな足跡を残した人のひとりである野村克也氏がお亡くなりになりました。テレビなどではいろいろな番組が特集を組んでいますが、メディア受けの重要性を熟知していたひとりでもあります。

その理由は、選手として立派な成績を残しながらパ・リーグにいたことであまり注目されなかったことが影響しています。「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」はあまりに有名なセリフです。

その野村氏についてサンデーモーニングで張本氏が思い出を語っていました。野村氏は張本氏に年齢的にも成績的にも意見できる数少ない一人でした。先だっては400勝投手の金田正一氏もお亡くなりになっていますので、張本氏はさみしい思いをしているはずです。

その張本氏はこの番組でいろいろと物議をかもす発言をしていますが、僕が感心するのはそのたびに番組側がいつも張本氏を擁護していることです。「擁護」は言い過ぎかもしれませんが、張本氏の発言を不問にしています。その証拠に、張本氏が訂正を発表したことは一度もありません。僕の想像では、「注意」「意見」をするというよりは、張本氏の評判が悪くなりすぎないように今の時代の雰囲気を伝えている程度ではないでしょうか。

そこには、番組側もしくはプロデューサーの慮りがあるように感じます。今から10年前のことですが、ジャーナリストの江川紹子氏が番組内で張本氏の意見に反論したことで番組を降板するという事件がありました。

事件というほどのことでもありませんが、当時はマスコミがかまびすしく騒いでいました。張本氏が怒って「江川氏の番組降板を迫った」とか、反対に江川氏が「張本氏がいる限り出演しない」とか噂されていました。どちらが正しいのか真相はわかりませんが、それ以来江川氏が番組に出演していないのは事実です。

当時僕は、この一連の流れ動きを見ていて、番組側に批判的な感想を持っていました。いろいろな意見を見せるのがマスコミの役割と思っていたからです。江川氏はオウム真理教と戦っていた気骨あるジャーナリストでしたので江川氏のほうに肩入れする気持ちがありました。

ですが、最近は少し違った気持ちになっています。それは張本氏に対する番組の姿勢に共感する気持ちです。番組もしくはプロデューサーは張本氏に敬意を払っているように感じています。例え、時代遅れの意見であっても年長者を大切にするという姿勢です。マスコミがいろいろな意見を出させる場であるなら、時代遅れの発想を表明させるのも間違った対応ではありません。

大分前、確かオウム真理教事件が解決したあとあたりですので25年くらい前でしょうか。サンデーモーニングと同じTBSで深夜に興味深い番組をやっていました。「プロデューサーに東大出身が多い理由」のような番組だったですが、司会を務めていたのは、今では「ほぼ日」で有名な糸井重里さんでした。

番組の進行具合から察しますと、企画したのも糸井さんのように感じましたが、番組の意図は「テレビ業界が東大出身に牛耳られていること」への違和感のようなものでした。実際に当時のTBS局には東大出身者がかなりいました。ドラマでは久世光彦さんや鴨下信一さん、柳井満さんら錚々たるメンバーが揃っていました。

ドラマ部門だけでこれだけいるのですから、ほかの部門にも東大出身者はいたはずです。そして、そうした流れというのは途絶えないのが特徴です。つまり、現在も東大出身者が上層部を占めているはずですが、そうした中で「年長者を大切にする」という風潮があることに不思議な感じを持ちました。

「年長者を大切にする」という発想は、僕の年代では「浪花節調」とつながるものがあります。東大出身者と浪花節はつながりにくいものを感じます。「頭がいい人は冷たい」という思い込みがあっただけに張本氏を大切にしている姿勢に好感した次第です。

今の話はTBSのいい話でしたが、悪い噂も記憶に残っています。やはり大分前ですが、ダウンタウンが番組内でTBSに怒りをぶちまけている映像を見たことがあります。深夜の12時過ぎに放映されていた30分の番組だったのですが、僕がたまたま見たのはその最終回でした。

その映像では、松本さんが番組の制作側に怒りを露わにしていました。浜田さんがどうにか諫めながら、番組を進行させていましたが、浜田さんからも怒りの雰囲気が伝わってきました。実際、その後ダウンタウンは長い間TBSに出演していないはずです。

そのときの状況について、昨年ダウンタウンは日本テレビの番組で話していましたが、仲たがいしたきっかけは、浜田さんが番組内でTBSの偉い人をひっぱたいたことのようです。エリート意識がさせた情けない対応ですが、どんな人が偉い人になるかはテレビ局にとってとても重要です。

追伸:一昨日、車の前のバンパーを傷つけてしまいました。(^_^;)

じゃ、また。




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