<正義がなくなる>

pressココロ上




実は、先週の月曜日から体調を崩してしまい、以来安静にしています。先々週から倦怠感があり動くのも辛く熱も38度くらいありました。もちろんこれだけコロナウイルスがマスコミで騒がれていますので、その可能性についても考えました。しかし、自分自身も含めて、僕の周りにはウイルスに感染しそうな行動をとっている人は皆無です。

僕の仕事は一人で作業する業務ですので他人と接することはありません。こうした僕を取り巻く状況から考えますと、コロナウィルスに感染している可能性はゼロに近いはずです。ですので、僕の体調悪化は「風邪かインフルエンザ」だと思っていました。ですが、朝方に熱が一度治まっても、夜になりますとまた高熱になるパターンが2回続きましたのでインフルエンザの可能性が高いと考えました。

風邪ですと安静にしているだけでも回復しますが、インフルエンザの場合は抗生剤を服用するしか対処法はなく、受診することにしました。それが先週の月曜日です。

僕にはかかりつけの医師がいます。かかりつけ医の安心なところは僕の病歴をすべて把握していることです。呼吸器疾患も心疾患もすべてご存じです。この先生との出会いは、僕が呼吸困難で受診したことです。それまで僕は「呼吸器内科」という診療科があることを知りませんでした。ですが、たまたま出先でこの診療科名を知り、自宅近くを検索して見つけた診療所でした。僕の心疾患はこの先生が見つけてくれました。

心疾患のときは、熱はなかったのですが前日からお腹のあたりに鈍痛があり、僕は「食あたり」か「風のウイルスがお腹に入った」程度に考えていました。しかし、先生は問診をしたあとに僕をベッドに寝かせ、上半身を触診しました。そして、「心電図をとりましょう」と言い、その結果救急車で大学病院に運ばれることになりました。

その半年後に心臓の手術を受けることになるのですが、こうしたことがありましたので、基本的に僕はこの先生を信頼しています。その先生が僕の症状を聞きますと「このご時世ですから、検査をしますね」と、レントゲンと血液検査をしました。その結果「コロナではないけど肺炎」と診断しました。

「1週間の安静」を言い渡され、強めの抗生剤の服用を指示されました。「安静」とは文字通り「安らかに静かにしていること」ですので、具体的には布団に横になって身体を動かさないことです。それはつまり、仕事を休むことを意味します。そして、木曜日に再度検査をして、数値が改善されていなかったなら「そのまま入院してもらいます」と脅されてしまいました。

自営業の悲しさで、最初に「1週間の安静」を言い渡されたときに、つい「3日だけにしてもらえないでしょうか」と口から出てしまいました。それに対する先生の答えは「木曜日に再検査…、そのまま入院」というものでした。しかも「肺炎で仕事場に行っても周りの人も困るでしょ」と追い打ちをかけられた始末です。

結局、取引先の人に事情をお話して仕事を1週間休むことにしたのですが、自営業者は有給があるわけでもないので収入減という痛い目に遭っています。そして、本日を迎えているわけです。

そんな最中に飛び込んできたのが、「自殺した財務省近畿財務局職員の手記」でした。森友学園関連で文書を改ざんした官僚が自殺した2年前の事件です。この事件は結局誰も処罰を受けることなく収束してしまっています。この官僚ひとりが自責の念に堪え切れず自殺をしているのです。

少し前にも書きましたが、今の官僚からは「官僚の矜持」というものが全く感じられません。かつての威厳のある官僚なら政治家を恫喝してでも「自らの信念」を貫く覚悟がありました。もちろん私利私欲に走って過った行動をとる人もいましたが、根本にある信念は「公務員としての使命」がありました。ですから、例え、自らの地位や立場が危うくなろうとも「国家のために」と考えて行動する矜持があったはずです。

それが今では「官邸に気に入られることだけ」が行動の指針になっています。亡くなった近畿財務局の方は「国民と契約した」と手記に書いているそうですが、これほど公務員としての使命感の高い方が「総理大臣の答弁に合わせるために」文書を改ざんしたことはとても苦しく辛いことだったのではないでしょうか。

しかも、手記を読みますと改ざんという行為も「わけもわからぬまま」「知らぬ間に」共犯者に仕立てられたようです。さらにその改ざんが自殺した方ひとりの責任になされていたのも驚きでした。これではまるで犯罪小説と同じです。

また、改ざんという犯罪をなすりつけられる過程に特捜部まで絡んできているようですが、周りをすべて悪人に取り囲まれているようなその状況に絶望して当然です。こうした状況を見ていますと、今回検察庁の人事において定年延長が物議をかもしていますが、そのことと無縁とは思えません。

本来「巨悪を捕まえる」のが仕事のはずの検察までもが「悪の一味」に成り下がろうとしていますが、マスコミのジャーナリズムの劣化も目に余るものがあります。3年ほど前から、東京新聞の社会部の女性記者が菅官房長官の記者会見で執拗に質問する姿がニュースになったことがあります。

望月 衣塑子さんという記者ですが、ドキュメンタリー映画まで作られています。望月さんが注目されたのは菅官房長官が答えにくいような質問でも堂々と聞くからです。逆に言いますと、記者会見に出席している大手マスコミの方々はジャーナリズムと感じられる質問をほとんどしていないことになります。

望月さんが必死に追及しているときに、官房長官の真ん前に陣取っている記者連が冷めた表情で望月さんを眺めていた映像が忘れられません。ジャーナリズムの劣化をまざまざと見せつける様としか言いようがありません。

ツイッターで「100日目に死ぬワニ」が人気を博し、書籍化、映画化と大きくなるにつれて、「実は、裏で大手広告会社が絡んでいる」という批判が沸き上がっているそうです。作者が涙ながらに否定したそうですが、そうした噂が起きることは仕方のないことかもしれません。少し知恵が働く人なら、そのくらいの想像はできるからです。

そうした想像ができる人が多い日本であるにもかかわらず、どうして「公文書改ざん」という本来あってはならない犯罪が堂々とまかり通っているのか不思議でなりません。検察までもが「不起訴にした」のが不思議でなりません。財務省の調査機関が「不正が見つからなかった」というなら、それはある程度想像できることです。身内をかばうのは自然な心情だからです。

ですが、検察は単なる調査機関ではありません。悪いことをした人間を罰してもらう最後の砦です。ここがきちんと機能しない社会が平和で安全な世の中になるはずはありません。

森友学園問題。今回こそは国民のだれが見ても納得できる形で調査・捜査を行ってほしいものです。そうでなければ亡くなった官僚の方も浮かばれません。安倍首相は「桜を見る会」でも公文書の書き換えを行っていますが、森友学園問題で味をしめたのかもしれません。

「事実は変えることができる」と思っていますね。

じゃ、また。







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