<著名人>

pressココロ上




実業家ホリエモン氏のツイッターが一騒動を起こしていました。ことの顛末は、ホリエモン氏が知り合いと3人で餃子のお店に入ったところ、「マスクをつけていない」ことで店側と言い争いになり、そのときの不満をツイッターに上げたことです。

単に、ツイッターでつぶやいただけですと、さして問題はなかったのでしょうが、お店を特定できるような内容だったことが炎上につながったようでした。その投稿以来、お店に嫌がらせの電話や無言電話が頻繁にかかってくるようになり、結局、そのお店は休業を余儀なくされたそうです。

少し深読みをしますと、ネットニュースがその出来事を取り上げたこと自体が、ホリエモン氏を批判的に捉えていることになります。つまり、この騒動においては餃子店のほうに理があると判断したことを示しているのですが、ホリエモン氏を批判したい感情がどこかにあった可能性も考えられます。

深読みの部分はともかく、元ラーメン店主の僕からしますと、ネットニュースが今回の騒動を取り上げたことには賛成です。ホリエモン氏にはホリエモン氏なりの考えがあり、餃子店を貶めようという意図ではなく、純粋に「餃子店の対応に納得できない」と思っている模様です。しかし、お店側の対応にも一理はあると僕は思っています。

ホリエモン氏の「どうせ食べるときはマスクを取るのだから、つけなくても同じでしょ」はまさに正論ですが、お店側にはお店側の考えというものがあります。お客様とお店側では、どう考えてもお客様の立場のほうが強くなります。そうした関係性があるときに、お客様が自らの要望を実現させようと強行に出る姿勢は傲慢以外のなにものでもありません。

このようなトラブルを見聞きするときに、思い出す出来事が2つあります。一つは明石家さんまさんがスーパーで体験した出来事です。ある番組でさんまさんが愚痴っていたのですが、「レジでお金を払う前の時点で、ジュースの栓を開けて飲んだら注意された」というものです。

さんまさんの論理は「どうせこれからお金を払うんやさかい、いいやろ」というものです。しかし、お店側からしますと「お金を払う(会計を済ます)まではジュースはお店のもの」です。ですから、盗みと同じです。さんまさんには販売する側の気持ちに寄り添う気持ちになってほしいと思いました。

あと一つ思い出すのは、五体不満足で有名な乙武洋匡さんのレストラン騒動です。今から3年ほど前のことですが、乙武さんがイタリアレストランに食事に行ったときに、お店側の対応があまりに失礼なことに憤慨して、お店が特定できるようなツイッターを投稿しました。ホリエモン氏の餃子店と同様にレストランに非難が殺到したのですが、後日、乙武さんはそのときの自らの対応を反省し謝罪しています。しかし、のちのちまで騒動は引きずられました。

この騒動では、乙武さんを擁護する意見とレストランを擁護する意見と相半ばでしたが、僕が気になったのは「お店側はお客様を第一に考える義務がある」ことが前提になっていたことです。市役所など公共機関ですと、潰れることがありませんので利用者を大切に扱う発想は当然です。ですが、レストランは民間です。お客さまが来店しなくなると潰れてしまうのです。

そうしたことを踏まえるなら、お店がどのような対応をしようが、それはお店側の自由なはずです。乙武さんにしても、その視点が欠けているように思いました。単に、自分が大切にされなかったことに対して怒りをぶつけているだけで、その心の奥底には「自分は大切にされて当然」という発想が潜んでいるようで残念です。

僕はラーメン店時代、車いすを押した5~6人の人から要望を受けたことがあります。その内容は、「店内を車いすでも利用できるように改善してほしい」というものでした。もちろん圧力的なふるまいではありませんでしたが、それでも個人でお店を営んでいる僕からしますと容易には受け入れられない要望です。

正直に言いますと、車いすで当店に食事に来る人はわずかです。その人のためにわざわざ店内を改装するのではお店の儲け的にはかなり不利になります。冷たい対応と指摘されたとしても、それが現実です。僕のお店がつぶれたとしても、だれも責任をとってはくれません。自分が損失を受け入れるしか術はないのです。

今回、ホリエモン氏の出来事が物議を醸したのは、ホリエモン氏が著名人であることが根本にあります。おそらく同じような出来事は、日本の至るところで起きているでしょうが、表ざたになったのはホリエモン氏が著名人だからです。もしかしたなら、ネットニュースが取り上げたのは、そうした理不尽なお客様をたしなめる意図も含まれていたのかもしれません。

ネットニュースの真意はともかく、著名人は、その一言一句が社会に影響を与えることは間違いありません。今の時代はインフルエンサーという職業と言いますか立場がありますが、インフルエンサーになっている方はその立場にいること自体が広告の役割を担っています。そのことをしっかりと認識して活動する義務があります。

著名人も全く同様です。インフルエンサーが著名人とは限りませんが、著名人は否が応にもインフルエンサーになっています。先日、大野更紗さんという方の本を購入しました。この方は「困っている人」という著作でデビューしたのですが、この本は難病に侵されながらも必死に生きている人の実話です。

この方の存在を知ったのは糸井重里さんの記事を読んだときです。糸井さんはツイッターでいろいろなつぶやきをしていますが、その内容を見ていますと、糸井さんが推薦したい人をつぶやいているように感じます。そして、僕からしますと、そうしたことはとても効率的です。

今の時代は、インターネットのおかげでたくさんの情報に接することができますが、それは反対に考えますと、本当に自分の感性にかなった情報に出会う機会が少なくなることでもあります。本来必要とする情報が情報の渦に沈んでしまうからです。そうしたときに、その選別をしてくれるのが著名人の紹介であり、インフルエンサーさんです。

あらゆる情報の中から探すのと、ある程度絞られた情報の中ら探すのでは、時間的にも精神的にも損失を避けることができます。以前、インフルエンサーの方がステルスで問題になったことがありますが、純粋なつぶやきはフォローをしている人たちに意義がありますが、広告の意図が少しでも含まれているつぶやきは有害でしかありません。

その意味で言いますと、著名人の方がCMに出演する際も注意が必要です。宣伝する商品について、しっかりとした調査・認識をすることは重要です。CMに出演することははインフルエンサーと同じことをしていることになるからです。まかり間違うと、気がつかない間に詐欺の片棒を担ぐことになりかねません。著名人には著名人なりの社会的責任があります。

じゃ、また。







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