<お父ちゃん>

pressココロ上




実は、今年の2月にお父ちゃんが他界していました。昨年、お母ちゃんが亡くなってから4ヵ月後のことでした。昔から「夫に先立たれた妻は長生きするけど、妻に先立たれた夫は余命が短い」と言いますが、お父ちゃんの場合はまさにそれに当てはまったことになります。

お母ちゃんが亡くなったときは、このコラムでお母ちゃんの思い出を人生の軌跡をたどりながら綴りましたが、お父ちゃんについてはなかなか書けずにいました。

理由は、お母ちゃんのようにきれいに文章をまとめられそうもなかったからです。不思議なもので、やはり母親というのは「産みの親」だからでしょうか、どれほど嫌な思い出があって最終的には許せるものがありました。しかし、父親に対してはそこまでの気持ちになれない部分がありました。そうした気持ちがコラムに書くことを思い留めさせていました。

「お母ちゃん」のコラムで書きましたように、僕は姉妹のことが原因でお父ちゃんと大喧嘩をして以来、連絡を絶っていました。お母ちゃんとは半年に1回くらいの頻度で会っていましたが、父とは全く顔を合わせないどころか、声を聞くこともありませんでした。

ですから、お母ちゃんが亡くなったときにお父ちゃんに会ったのは、実に十数年ぶりだったのです。控室で座っているときに、お父ちゃんが甥っ子が押す車椅子に乗って入ってきたのですが、十数年ぶりのお父ちゃんとの再会でした。

そのとき控室には僕以外にも親戚一同がいたのですが、お父ちゃんは室内を見渡し「ああ、今日はどうもありがとうございます」と小さく声を発しました。室内を見渡したとき、僕に気がついたのかどうか、僕にはわかりません。

お母ちゃんとの「最後のお別れをする」という案内が葬儀社の方よりあり、全員が遺体が安置している部屋に向かいました。室内に入ると葬儀社の方に促されお父ちゃんから順番に棺の周りに集まり、顔を覗き込むことになりました。そのときのお父ちゃんの振る舞いが印象に残っています。

お父ちゃんは車椅子から、ゆっくり立ち上がりお母ちゃんの顔を見ると、泣き声とも呻き声とも言える声を発しながら、額といい頬といい、顔全体を撫でまわしていました。僕がこれまでに聞いたことがない初めて聞くお父ちゃんの声でした。

その日は葬儀を終えたあと、お父ちゃんがこれからは一人住むことになる団地に親戚一同で向かうことになりました。僕が団地の室内に入るのは初めてです。妻は一度だけ遊びに来たことがありましたが、僕は初めてでした。3DK の部屋は意外に広い印象を受けました。

親戚が一堂に揃いますと15~16名くらいになりますが、3DKありますと、なんとか自分のいる場所を見つけることができます。僕は室内に入ると、位牌を置いてある部屋に進み端のほうに座りました。

しばらくすると、お父ちゃんがおぼつかない足取りで僕のそばにやってきて、腰を下ろすなり「今日は忙しいのに、悪いね」と話しかけてきました。実に、十数年ぶりの会話です。

僕は「いやいや、、、…」と返しました。

まさに他人行儀…。

しかし、十数年間関係を絶っており、お互いが距離を置くことを決めた父子です。わだかまりがないはずがありません。他人行儀に接することが礼儀だと僕は思っていました。おそらくお父ちゃんも同じ気持ちだったのではないでしょうか。

しばらく沈黙があったのですが、少しして遺影に目を向けながらお父ちゃんがつぶやくように話しかけてきました。

「母ちゃんとはよくケンカもしたけど、悪いことをしたよ」

70年近く夫婦を続けた、母に対する父の言葉でした。

最後にお父ちゃんに会ったのはお母ちゃんの納骨式です。お坊さんがお経を読む本堂に入りますと、もうお父ちゃんは正面の場所に座っていました。お父ちゃんは僕に気がつくと軽く頭を前後に動かし、僕が前を通るときに軽く右手を上げました。僕は「ああ…」と言いながら、お父ちゃんの手を握りました。僕としては、握手の意味も含めた対応だったのですが、お父ちゃんはほんの一瞬でしたが驚いたような反応を示しました。

この「驚いた」反応には、「お父ちゃんのうれしさが含まれている」と感じたのは僕の都合のいい思い過ごしかもしれません。

最後のお父ちゃんとの触れ合いでした。

納骨式のあと、食事会を開いたのですが、親戚の家族ごとにテーブルに分かれて座っていました。食事が運ばれてくる前に、お父ちゃんは僕たち家族のテーブルまでやってきて、僕の妻に丁寧にお礼を述べました。お父ちゃんの長男の嫁に対するけじめだったように思います。

お母ちゃんが生きていたころ、よく話していました。

「お父ちゃんの面倒は、最後まで母ちゃんがみないとね」。

自分の方が長く生きると思っていたからこそ、言える台詞でした。しかし、現実はお母ちゃんのほうが先に逝ってしまいました。ですが、お父ちゃんが亡くなる前に、僕とお父ちゃんが和解とまではいかなくても、接する機会を与えてくれました。

僕にしろ、お父ちゃんにしろ絶交のまま人生を終えてしまうのと、一言二言でも言葉を交わしたり、肌を触れ合わせたりする機会があるのでは心の持ちようが全く違います。その機会を作ってくれたのはお母ちゃんのおかげです。

その意味で言いますと、「最後まで面倒をみた」といえるかもしれません。

じゃ、また。




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