<なんなら>

pressココロ上




選挙から一週間も過ぎますと、選挙への関心などなくなってしまいますが、僕的にはどうしても書きたいので書くことにします。

最初の感想はなんといっても、先週のコラムでも触れましたが、投票率の低さには落胆しました。僕からしますと、自民党の権力闘争があり、野党の共闘があり、と投票するに十分な要因がたくさんあったにもかかわらず53.93%でした。あまりに情けない数字です。戦後3番目に低いそうですが、今の日本の現状が「だれにとっても、なんの問題もない楽園」であるのならこの数字でもよいでしょう。しかし、今の社会状況は問題が山積しています。

それでも、投票に行かないとは…。

全体的な傾向としては、やはり年配者の投票率は高く、それ以外は低いのですが、10代20代の若者が投票しないのはなんとなく理解といっては「あれ」ですが、わかるような気がしないでもありません。わが身を振り返ってみましても、その年代は政治よりもほかのことに忙しく選挙どころではなかったような記憶があるからです。

もちろん当時からすでに選挙といいますか、政治に関心を持っていた同年代の人はいました。ですが、僕はそうした人たちを冷めた目で見ていました。なんなら政治に強い関心を持っている人は、「要注意人物」くらいの視線で見ていたように思います。

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さきほど「なんなら」という語句を使いましたが、意識的に使いました。実は、いつからかは記憶が定かではないのですが、文章に限らず言葉のやりとりにおいても「なんなら」を使う人が多くなっている印象を受けていました。正確な意味はわからなくとも文脈の流れでなんとなく雰囲気は掴めていましたが、少しばかり「違和感がなくもない」のが正直な気持ちでした。

そこでネットで調べましたところ、辞書には

①相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す。もしよければ。
②相手がそれを希望しないことを仮定する気持ちを表す。気に入らないなら。

と書いてあるのですが、「現在は違う使われ方をしているようだ」と解説している記事がありました。僕以外にも「なんなら」の使い方に興味を持っている人がいることがわかりうれしかったのですが、近年の「なんなら」は昔とは違う意味で使われているようです。

その使われ方とは、「さらにいえば」とか「しかも」という意味合いで使われることが多いそうです。そのことを知ってから思い出したのが「ヤバい」という言葉です。「ヤバい」も元々の意味とは違った意味で使われるようになった言葉の一つです。もうかなり前から定着してきていますが、「危険」という意味ではなく、いい場合でも悪い場合でも「感動」したときに使われるようになっていました。

僕が最初に実感したのは、ラーメン屋を営んでいた当時にバイトの学生さんが使っているときでした。大学2年生の男性でしたが、おいしかったりうれしかったりしたときの気持ちを表す言葉としてごく普通に「ヤバい」を連発していました。僕もいつの間にか同じように「ヤバい」を使うようになっていましたが、言葉が時代とともに変化するのはいつの世も同じです。

僕が「なんなら」を意識するようになったのは1~2年くらい前ですが、現在では十分に定着しています。そうは言いつつ、僕自身はまったく使っていません。他の人が使うのは全く気になりませんが、なぜか自分で使うのには抵抗があります。「抵抗」というのはちょっと大げさな言い回しですが、要は自分の中でしっくりこないので使っていないに過ぎません。

なんなら、しっくりこないのが今回の選挙の投票率です。「なんなら」を他の人が使うことに対してははまったく気になりませんが、「投票しない」ことに対してはとても気になっています。そうしたときに、一つの答えになりそうなサイトがあったのですが、そこに書いてあったのは「学歴」の違いでした。

『「投票に行こう!」という呼びかけは誰に届いていないのか?』という記事によりますと、学歴で大きな違いがあるそうです。端的に言いますと

・現代日本人の政治的態度や政治意識については、男性のほうが女性より積極的で、年齢が高いほど積極的で、学歴が高いほど積極的であるという傾向がある
・政治参加に消極的なのは、中高卒などの非大卒層

ということですが、この2つの要因は投票率が低い理由を的確に示しているように感じます。今の時代で社会的に不利な状況に陥っているのは相対的に女性であり、非正規雇用の状況に追い込まれている男性です。そうした人たちと選挙に消極的な人たちはちょうど重なり合います。投票に行かないことが自らの立場を悪くすることにつながっているのが想像できます。

今回の選挙結果で一番驚いたのは立憲民主党の伸び悩みです。マスコミの中には「伸び悩み」どころか「惨敗」と表現しているところもありますが、それほど数字が伸びませんでした。野党共闘を行ったにもかかわらずの結果でしたので「惨敗」もあながち間違った表現でもないように思います。

僕が選挙結果を聞いて真っ先に思った感想は「国民はリベラルに対して拒否反応があるのかなぁ」というものでした。ですが、立憲民主党が生まれた経緯を思い返しますと、完全なリベラルとはいえず、どちらかといいますと保守志向があったように思います。しかし、社会の一般的な捉え方は「リベラル」で、そのことが惨敗の要因の一つかもしれません。

僕もそれほど政治の世界に精通しているわけでもありませんので、これ以上深追いはしませんが、立憲民主党は投票に行かない人たちにもっと接近するような方法をとっていたならもう少し結果も違っていたのではないでしょうか。現在、立憲民主党は党首選びが行われていますが、国民から期待されるような党になることを願っています。

それに比べて自民党は「やはり強かったぁ」という印象です。確かに甘利幹事長をはじめとした大物議員の落選はありましたが、総合的には「良」です。実は、僕などは選挙前のマスコミ報道に感化されて「政権交代もあり得る」とまで考えていました。それが政権交代どころか「絶対安定多数」です。自らの見識のなさを嘆かずにはいられません。

実は、僕は「赤木ファイル」をずっと根に持っていて、国会で堂々と嘘を述べたことを許せないでいます。政治の世界で嘘がまかり通ることは民主主義の崩壊です。そう思っていましたので、多くの国民が自民党にお灸をすえることを期待していました。ですが、結果は正反対でした。

僕はそれが残念で残念でならないのです。主義主張は違えども、正直なやり取りをするのは民主主義の共通概念でなければいけません。それが成り立っていない政治の世界などあってはならないのです!

なんなら、じゃ、またです。




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