<天才>

pressココロ上




「知の巨人」と言われていた立花隆さんの訃報が伝えられましたが、実際は4月に亡くなられていたそうです。立花さんをメジャーにしたのは「田中角栄研究 その金脈と人脈」という週刊誌記事ですが、当時僕は高校生でもちろん詳しくは知りませんでした。というか、まだ政治にほとんど関心を持っていなかった時期です。

「田中角栄研究 その金脈と人脈」を簡単に説明しますと、当時の総理大臣だった田中氏の資金源を暴いて違法性を報じた記事です。田中総理は「お金を配って総理大臣に就任した」と噂されていましたが、立花さんは「そのお金をどのようにして工面したか」を徹底的に調べていきました。

結局、この記事がきっかけとなり田中総理はロッキード事件で退陣し、逮捕されることとなりました。一国の総理大臣を逮捕にまで追いつめたのですから、この記事の偉大さがわかると思います。個人的にも、政治にほとんど関心を持っていなかった僕に政治に興味を持たせるきっかけになった記事でした。

ロッキード事件は、単に総理大臣が逮捕されるという政治的な事件というだけではなく、大衆の好奇心を刺激するような幾つかのドラマが展開される事件でもありました。そうしたことも僕に政治について関心を持たせた要因ですが、それらの中でも特に週刊誌やテレビが飛びつき、大衆心理を鼓舞させたのが「ハチの一刺し」というフレーズでした。

「ハチの一刺し」とは、「(ミツバチは、一度刺したら死んでしまうことから)自分の命をかけて相手に致命傷となる一撃を与えること」という意味です。ロッキード事件の裁判の中で発せられた田中首相の秘書の妻・榎本三恵子さんという方の言葉でした。この榎本三恵子さんの美貌と経歴なども相まってマスコミが注目するところとなりました。この話を続けますと、かなり長くなりますので端折りますが、要は権力を持たない者が権力者に対して挑む構図が大衆の琴線に触れたドラマが展開されました。

政治に関心などなかった僕に政治への興味を抱かせてくれるきっかけを作った記事ですが、この記事でブレイクした立花さんに対してはやっかみなどもあったようです。それを端的に表している言葉が「あの記事の内容は、政治記者ならすでにみんな知っていた」というものです。つまり、「それほど価値のある記事ではない」ということを言いたかったようですが、誠実はジャーナリストの方々は「それなら、それを記事にしかなったほうが大きな問題だ」と指摘していました。

僕が立花さんを直接見るようになったのは、筑紫哲也さんがメインキャスターを務めていたニュース番組でした。その番組内でなにか大きなニュースがあるときにゲスト解説者として出演していました。出演していた理由は、筑紫さんとジャーナリストという立場で親しかったからですが、当時、僕が思っていたのは単に「田中総理の資金源を追及した人」ということだけでした。

正直に言いますと、話し方に特徴があり、話の内容がスムーズに聞き取れない印象を持っていました。ですので、「この人、本当に頭がいいのかなぁ」などと、今思うと大変失礼な感想を持っていたのも事実です。それくらい話し方に落ち着きがなく、聞き取りにくい口調でした。

しかも、ニュース番組では「宇宙のこと」とか「死後の世界」といった、ちょっとスピリチャル的なことについて説明などもしていました。僕が疑いたくなるのもわかっていただけると思います。僕からしますと、「ちょっとアブナイ宗教関係の人」ともとれそうな雰囲気を漂わせている人でした。

そんな僕の思い込みを一変させたのが、立花さんの訃報が報じられたあとのいろいろな記事でした。僕は「文芸春秋digital」を購読しているのですが、その中で多くの著名人が立花氏の人となりを綴っています。例えば、ノンフィクション作家の柳田邦男さん、同じく後藤正治さん、評論家の佐藤優さん、スタジオジブリの鈴木敏夫さんなど各界の錚々たるメンバーが立花さんの天才ぶりについて思い出を語っています。

よく言われることですが、実力が5の人に10の実力を持っている人の評価はできません。立花さんの「天才ぶり」を認めているのは各界の実力者の方々です。全員が10の実力を持っている人たちです。そうした人たちが立花さんの才能を称賛していました。立花さんは、やはり天才です。

立花さんの思い出を語っている記事の中でも、平尾隆弘さんという文藝春秋の社長まで務上げた方の記事が最も僕に刺さりました。その記事の中で印象的だったのが、立花さんがノーベル医学・生理学賞 受賞者の利根川進氏にインタビューをしたときの逸話です。当初、利根川氏は週刊誌記者の取材に対して「説明をしても、どうせ、表面的なことしかわからない」と見下した対応をとっていたそうです。

しかし、インタビューを進めるうちに立花さんが専門的で的を得た質問をすることで心を開くようになったそうです。10の実力を持っている人は10の実力を持っている人を見抜けるのです。平尾さんは、そうやってレベルの高い本ができたと書いています。

また、立花さんの記憶力の物凄さを物語るエピソードを紹介しています。引用しますと

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「3階の左奥に『〇〇』という本があって、〇〇頁あたりの真ん中に〇〇という記述がある。傍線を引いてあるから、見つけて持ってきて」と頼まれた。
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行ってみると本当にその本があったそうですが、「立花さんは、傍線を引いたところは全部覚えてしまうという伝説がありました」という元同僚のエピソードも添えています。

この文章を読んでいてあと一人の天才を思い出しました。以前、漫画家の手塚治虫さんについてほぼ同じようなエピソードを書いている記事を読んだことがあります。手塚さんの記憶力も有名でしたが、天才と凡才の違いはここにあるのかもしれません。天才には凡才がどんなに頑張っても届かない領域というものがあるのでしょう。

このように書きますと、天才はその才能だけで天才になっていると思われそうですが、立花さんにも手塚さんにも共通していることがあります。それは人並外れた努力をしていることです。立花さんが「知の巨人」といわれる所以はその読書量にあります。時間の許す限り読書に充てています。そして、時間の許す限り執筆しています。同じように、手塚さんも時間の許す限り資料にあたり、漫画を描いています。おそらく普通の人の何倍も努力しているのでしょう。

天才と凡才の違いは、ここにありそうです。けた外れの才能と、人並外れた努力。この二つが揃って初めて天才は誕生します。

そう、大谷翔平選手は天才だ!

じゃ、また。




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