<経営者の投稿サポート>

pressココロ上




先週、ファミレスチェーン「ガスト」で提供された料理に「異物が混入していた」というニュースが報じられました。記事によりますと、「異物」の写真がツイッターに投稿されたそうですが、お店側が謝罪をしたことで一応決着はついたようです。

僕はコロナが発生するまで妻とほぼ毎日イトーヨーカドー店内のマクドナルドでコーヒーを飲むのを日課にしていました。しかし、たまにヨーカドー以外のお店、単独で営業している、いわゆる郊外店で飲むこともありました。そのお店で飲んでいたある日、席に座りコーヒーを飲みながらスマホを見ていますと、たまたま入り口から入ってきた30代半ばの男性の動きが目に留まりました。

服装的にはごく普通の方で特段問題がありそうな感じはしていなかったのですが、入店してからの行動に少しばかり違和感を持ちました。単なるお客さんには見えなかったからですが、しばらくして案の定店長らしき方が奥から出てきて、近くの席に誘導し丁寧な対応をとっていました。その男性をよく見ますと、手にはマクドナルドの紙袋を持っており、僕の推測では「異物混入」のクレームです。

手にした紙袋から察しますと、おそらく「持ち帰り」の品物で、その中に異物が混入していたのでしょう。飲食店の一番の難しさはまさにこの「異物混入」のクレームがきたときの対応です。元経験者としては「異物混入」が「いつ入ったか」には疑念を持ったとしても、お店側がそれを口にすることはご法度です。実際、先ほどの「ガスト」も「マクドナルド」も店側がすぐに謝罪しています。

このように飲食店は「異物混入」のリスクを常に抱えていますが、実際のところ完璧な対応というのは、やはり謝罪するしか方法はありません。お店を営んでいる側の間でよく聞く話ですが、ほとんど食べ終わった状態で「異物混入」を指摘してくる人がいます。こうした場合、疑念は持ちつつも最終的には「無料にする」対応をとることになります。店側からすると「無銭飲食」と思うこともありますが、余程のことがない限り犯罪として立証することは不可能です。

先ほどのガストの件では、クレームの主は写真をツイートまでしていますので、お店側としてはさらに対応が難しかったでしょう。現在ではそのツイートは削除されているそうですが、SNSが普及している今の時代はお店側の対応のスピード感はとても大切です。事実かどうかよりもそうした写真が拡散されることでマイナスなイメージが拡散することのほうが被害・損失が大きくなります。

飲食店で働いた経験のある人ですと、そうしたニュースやツイートに接したときに「真実」か「虚偽」かについて考えることもあるでしょう。しかし、そうした経験のない、特に若い方ですと、容易に「異物混入」のイメージに引っ張られてしまいます。それほど今の時代は飲食店を経営する側にとって難しい時代になっています。

飲食店では「異物混入」問題を避けることは困難どころか不可能ですが、そうしたときに重要になってくるのが日ごろからのイメージの情報発信です。普段からよいイメージを世の中に発信しておくことが、そうした問題の影響を減らすことにつながります。

実は、僕は最近企業の「情報発信」について思っていることがあります。世の中にはいろいろな仕事がありますが、時代の変化とともに仕事が消滅したり、反対に新たに生まれたりします。昔から「諸行無常」という言葉があるように、こればかりは避けてとおれませんので致し方ないことです。

そうした時代の流れの中で、最近僕がよく目にしているのが「経営者の情報発信」をサポートする仕事です。「経営者の情報発信」を具体的に言いますと、ツイートだったりもう少し長めの文章の投稿だったりです。なんのための「情報発信」かと言いますと、いうまでもなく企業の広告であり宣伝です。

数年前、家電メーカーのシャープさんのツイートが話題になったことがありますが、ツイートのいわゆる「中の人」の投稿が面白いと注目を集めました。この方はシャープの宣伝部に在籍する方のようですが、本を出版するほどまで人気者になっています。

この方の本職はコピーライターだそうですが、文章を作るプロだからこそ魅力的なツイートができたように思います。やはり素人とプロでは言葉の選び方から構成力まで格段と違って当然です。こうしたことの延長線上に、先ほど書きました「新たな仕事」が生まれています。

シャープさんの場合は文章を書くプロが投稿していましたが、中にはというかそれほど規模が大きくない企業の場合は専門の部署などないのが普通です。ですので、中には経営者が自ら投稿するケースもあります。経営者ともなりますと、企業の業績向上のためにはいろいろなことを考えるのは当然ですので、SNSの活用を考えるのも不思議ではありません。ですが、やはり「経営」と「情報発信」は別物です。経営者の情報発信は残念ながら素人の域を脱していないケースがしばしばです。

そこに新たな仕事を見出したのが「文章を書いたり編集したりする仕事」に従事している人たちです。この方々が、経営者が投稿した文章を「サポートする仕事」を生み出しました。「サポート」とは具体的には経営者の「投稿文章を添削すること」です。以前、その例を読んだことがありますが、確かにプロが添削する「前」と「あと」では文章の訴える力が全く違っていました。「さすが、プロ!」と思ったのですが、同時に少しばかり違和感を持つ部分もありました。

企業が発信する情報は当然のことながら広告・宣伝の意味合いもありますので「企業の魅力を伝えたり訴えたりする」ためのものです。ですので、見る側もそうしたことを承知で情報を受け取っています。しかし、経営者が投稿する文章は経営者自身を世の中に知ってもらうためのツールです。

そこには、経営者の「人となり」を知ってもらうことで、企業のイメージも伝えようという意図があります。そうであるからこそ、経営者が自ら作成した文章を編集者もしくはライターなどという「文章を書くプロ」がサポートすることに対して違和感を持ってしまいます。サポートとは具体的には「添削」のことですが、仕事の性格上ときには添削だけではなく文章を追加作成することもあるように想像します。

僕が違和感を持つ理由をなにかに例えるなら、「ラブレターの代行」です。どんなに熱情的で感動的なラブレターをもらおうとも、その文章がだれかの添削を受けたものとわかったときは気持が白けるどころか軽蔑に変わります。経営者が書いた文章をプロが添削することは、それと同じです。

どんなに拙い文章であろうとも、経営者自身が書いた文章のほうが添削を受けた文章よりも真実を伝えているように思うのが僕だけではないでしょう。もちろん、プロによる添削を受けたかどうかを一般の人が見抜くのは容易ではないどころか、飲食店の異物混入のリスク同様不可能です。それでも、絶対に神さまは見ている、と思います。今の時代ですので、神様がいるか知らんけど…。

先ほど、添削「前」と「あと」の文章を読んだと書きましたが、「あと」の文章は実に的確に経営者の気持ちを汲み取り的を射たアピールしていたのですが、それが整ったきれいな文章であればあるほど、添削者の「悦に入っている」情景が思い浮かんできました。その思いがさらに、ナチスやプーチン大統領を支持している人たちが、情報発信のプロたちに心をコントロールされている光景にまで発展してしまいました。

情報を安易に扱うのは危険です。

じゃ、また。




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