<今年最後のコラムです>

pressココロ上




こんなタイトルで書いてしまいますと、3週間にわたって引き延ばされている「江川投手の凄さ」を今週も書かない気でいるのかと思われるかもしれませんが、大丈夫です。ちゃんと憶えています。やはり、いくらおっちょこちょいの僕でもさすがに年をまたぐのは憚れます。(^_-)

それではようやっと江川投手について書きます。\(^o^)/

前に少し書きましたが、僕がこのコラムで江川投手について書こうと思ったのはYouTubeの右端に表示されるおすすめ欄に「江川投手について語っている」チャンネルが出現していたからです。ただ出現していたのではなく多数出現していたからですが、その量が半端ではなかったからです。江川投手と同時代に活躍した一流の選手たちが揃って、「江川投手は別格だった」と話していました。

ですが、実は僕の心の中には懐疑的な気持ちもなくはありませんでした。なぜなら、当時のテレビ画面に表示されるスピードガンの数字が140キロ前後しか出ていない映像がたくさんあったからです。カーブのスピードではありません。ストレートのスピードです。今の時代は150キロ超えのストレートを投げる投手は珍しくはありません。今年メジャーリーグでMVPに輝いた大谷選手は日本球界にいたときにすでに160キロを超えるストレートを投げていました。

大谷選手に限らずほかにも150キロを普通に投げる投手はいくらでもいる今の時代からしますと、江川投手の140キロ前後のストレートはあまりに「遅すぎる」とは言いませんが、平凡な感があります。ただし、当時のスピードガンの精度に問題があった可能性もなくもありません。

その証拠にYouTubeには江川投手が投げている映像がたくさんありますが、その中には140キロどころか130キロ半ばのストレートしか投げていない映像もあります。剛速球のイメージがある江川投手が130キロ半ばではあまりに淋しいものがあります。やはり当時のスピードガンの精度に問題があったと考えるのが妥当のように思います。そうでなければ一流の打者のほとんどが、または一流のほかの投手たちもが「江川投手は別格」と言うはずがありません。

僕が江川投手の対戦で一番憶えているのは、1982年のヤクルト・大杉選手との対戦です。このときの気持ちの高ぶりは今でもはっきりと思い出すことができます。江川投手が段々と本気というか、スピードを上げていく様が凄かったのです。このときの感動は僕以外にも感じた人が多かったようで、YouTubeで「江川 大杉」と検索しますと、すぐに出てきます。

僕の記憶では、この対戦で140キロ後半のスピードから徐々に上げていき150キロを超えたときは思わず「おおぉぉ!」と声を上げました。当時、150キロを超えるストレートを投げる投手はほんの数人しかいませんでした。そんな中で打者と対戦しながらスピードをドンドン上げていくのですから画面に釘付けになるのも当然です。まるで「普段は本気で投げていなくて、『ここぞ』というときだけ本気で投げてるんだ」とでも言っているような感じでした。

実際、普段の江川さんは打者と対戦するとき、山倉捕手からボールが返されるとまるで普通にキャッチボールをしているかように、すぐに振りかぶり始め投球フォームに入ることが多々ありました。その間合いの早さについていけず、相手打者が思わず打席を外すことがあったのですが、相手打者を軽く見ていると取れなくもありません。そういうところも、世間に悪いイメージを与えた一因かもしれません。

しかし、今YouTubeで語られている「江川投手の凄さ」を見ていますと、そのような投球態度もむべなるかなという気持ちにさせられます。なにしろほぼ全員が「ボールがホップする凄さ」を語っているのですから、いかに凄いスピードだったかが伝わってきます。

実は、江川投手には球種がストレートとカーブの2つしかありませんでした。先ほど、「まるでキャッチボールをしているかのように、ボールを受け取ってすぐに振りかぶる」と書きましたが、それが可能なのは球種が2つしかないことも関係しているはずです。2つしかないのですから、山倉捕手も悩む必要がありません。サインを出して江川投手が首を振ったら残りの1つですから、サインはすぐに決まります。

当時、150キロ以上のストレートを投げられるのは江川投手以外にもいましたが、それらの投手はほとんどが短い選手生命で終わっていました。理由は、肘や肩などを壊して剛球を投げられなくなっていったからです。あれだけのスピードボールを投げるには、身体に大きな負担がかかることですので、肉体が耐えられなくなっていたのが大きな要因のように思います。そうした中、長期間の投手生命を務められた江川投手はやはりすごいとしかいいようがありません。言うまでもありませんが、そうしたことが可能だったのは人並外れた体格があったからです。つまり、天性のものがあったからに尽きます。

江川投手が引退を決意したときのエピソードをなにかの記事で読んだことがあります。ライバルである阪神の掛布選手に全精力を傾けて投げたストレートをライトスタンドにホームランを打たれたことだそうです。ですが、僕の記憶では江川投手の全盛期であったときも、掛布選手にはストレートをホームランされているように思います。

ほかの選手たちがあのストレートに手をこまねいていたときも、掛布選手は苦にもなく打ち返していた印象があります。掛布選手はどんなに速くともストレートにはめっぽう強かったからですが、やはり対戦相手もプロなのですから、絶対にストレートがくるとわかっている場合は打ち崩せる選手がいても不思議ではありません。それが掛布選手だったのです。

結局江川投手は名球会に入る資格である200勝を果たせぬまま現役引退しましたが、「記録よりも記憶に残る選手」ということになります。江川投手は引退後、日本テレビの解説やスポーツ番組のMCなどを務めていましたが、口悪いマスコミからは密約などと報じられていました。引退後の生活を面倒みることまで含めて、入団を決めさせたという意味ですが、それが江川さんの世間に対するイメージ悪化につながった責任は、結局は球団ではなく江川さん自身が引き受けるしかありませんでした。

YouTubeで当時を振り返るチャンネルを見ていますと、当時の江川バッシングの激しさを語っていますが、そのきっかけは「疑惑の入団方法」にあります。しかし、その疑惑を実行させたのは江川さんではなく、巨人軍です。その意味で言いますと、江川さんには責任はありません。20代前半の若者が大人に言われるままに進路を決めたとしても、江川さんを責める資格はだれにありましょう。

そうした環境の中でプロ野球選手として活躍していたのですから、強靭な精神力があったろうことは想像がつきます。今の時代はSNSでの誹謗中傷が問題になっていますが、江川さんの場合はSNSどろこではなく、球団で直接罵声を浴びせるのですから、精神的ダメージはSNSの比ではないはずです。そんな中でも、あれだけのパフォーマンスを発揮できたのですから、肉体的だけではなく、精神的にも強靭なものを持っていたように思います。

もしかしたなら、江川さんの最も凄いところは剛速球を投げるところではなく、強靭な精神力にあるかもしれません。どちらにしてもそうした環境に潰されることなく現在も活躍している姿を見ていますと、本当に江川さんは凄くて素晴らしい人だと思います。

ということで、無事に江川さんの凄さについて書くことができました。今回のコラムにて今年のコラムも終了となりますが、一年間お付き合いくださいましてありがとうございます。心よりお礼申し上げます。

次回は1月9日(日)からはじめる予定です。

それでは来年まで。

じゃ、また。




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