<立憲民主党>

pressココロ上




先週の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で、主人公の安子さんが一人で朝から晩まで働きづめしている姿を見ていて、つい「商売は一人でじゃ、無理だよなぁ」とつぶやいていました。どんなに気を張りつめていても、人間の能力には限界というものがあります。事故に遭ったときの安子さんの状態は肉体的にも精神的にも限界を超えていました。それがあの事故につながったのではないか、とドラマながらも、そんな気持ちが沸き起こってきた僕です。

来週からは岡山に戻って新生活がはじまる模様ですが、先週の最後の場面からしますと、さらに困難が待ち受けているようで展開から目が離せません。今回の朝ドラは展開の早さが魅力の一つですが、今後の岡山編もますます楽しみです。その岡山に関連して気になったニュースがありました。それは、「日本維新の会」の片山虎之助共同代表が体調不良を理由に共同代表および議員を辞職する、というニュースです。

実は、僕は片山虎之助さんを尊敬していました。もちろんお話ししたこともお会いしたこともありませんし、特段に片山さんの政治活動に詳しいわけでもありません。それでも僕はある光景に接してから、片山さんに好感を抱くようになりました。

そのある光景とは、今から10年以上前の2007年の参議院選挙でのことです。当時、片山氏は自民党・党参院幹事長を務めるほどの党内で重鎮と言われるほどの立場にいました。それにもかかわらず、選挙で落選してしまいました。その理由は当時の世の中の風、雰囲気にありました。「民主党ブーム」がうねっていたのです。その大きな渦の中に吸い込まれてしまい落選したのですが、その片山氏を破ったのは民主党の姫井由美子氏という新人候補でした。本来の実力では負けるはずのない選挙でしたが、「民主党ブーム」が席捲した結果でした。

誰が見ても、姫井議員の当選は実力というよりは時代の流れが起こした結果ですが、片山氏は決して時代の、風のせいにはしませんでした。姫井氏を軽んじる姿勢などみじんも見せずに当選したことに敬意を示していました。政治家の格としては段違いの差があるにもかかわらずそんな素振りは全く見せずに姫井氏を認めていました。僕はその姿勢をみて、片山氏に好感を抱くようになりました。信頼できる政治家…。

その片山氏がとうとう議員を引退することになったのです。僕からしますと、「良心の政治家」と思っていましたので悲しくて残念でなりません。ただ「お疲れ様でした」という言葉をお送りしたいと思います。

実は、今週のコラムは昭和時代にプロ野球選手として活躍していた江川卓投手について書くつもりでいました。僕はYouTubeでスポーツ関連のチャンネルを定期的に見ているのですが、その際のおすすめチャンネルコーナーに「江川さんの凄さ」について触れているチャンネルがたくさん出てくるのです。

それがきっかけとなり、今週のコラムは江川さんについて書くつもりだったのですが、出だしで片山氏の引退のニュースを書きはじめたところ、思いのほか長くなってしまいました。最初は、片山氏のニュースはお知らせ程度に小さく触れるだけにするつもりだったのですが、いざ書きはじめてしまいますと、予定より長くなってしまい、そういえば立憲民主党の代表選挙もあったな、などといろいろと政治について思い浮かんできましたので、予定を変更して政治について書いていくことにします。

というわけで、立憲民主党の代表選に関してですが、結果は下馬評どおり泉 健太氏に決まりました。少し話は逸れますが、前回の衆議院選挙の投票の際に気になることがあり、それについて先日報道がありましたので、そのことを先に書きます。

それは投票用紙に書く「民主党」という略称に関しての取り扱いについてです。僕も投票用紙を書く台のところに行って驚いたのですが、立憲民主党と国民民主党の両方の略称が「民主党」と同じになっていました。あとからの報道で知ったのですが、これは法律的には問題がなく、略称の「民主党」という投票は、法律に則って両政党に按分されるそうです。どちらの政党もこうした扱いのほうが「不利にならない」と考えてのことでしょうが、国民としては納得できないものがあります。こうしたところに、野党が勢力を伸ばせない要因があるように思えて仕方ありません。

話を戻しまして、立憲民主党の代表選です。泉氏が代表になったことに異論のある人は少ないように思います。外見といい、話し方といい、経歴といい、年齢といい、代表にふさわしい人物です。候補者は4人いましたが、この中で僕が最も知っているのは「君なぜ」の小川淳也氏でした。理由は単純で「君なぜ」の映画を観たことがあるからです。

小川氏は、映画の中で「野党の中でも要職につけない自分が、総理大臣など夢の夢」と語っていましたが、「総理に近づいた」とは言いませんが、一歩進んだことにはなっています。夢は儚いものですが、現実味が増したのは間違いありません。まさしく一歩進んでいます。

小川氏が今回の代表選に立候補できた一番の要因は、なんと言っても自民党の平井候補に勝利したことです。そして、その勝利を手繰り寄せることができた要因は、なんと言っても映画の力です。こう言っては失礼ですが、小川氏の日ごろの地道な努力や選挙活動が実を結んだわけではなく、映画の影響力以外のなにものでもありません。それが現実です。その意味で言いますと、小川氏の当選の一番の貢献者・サポート者は「君なぜ」を撮った大島新監督ということになります。あとから知ったのですが、この大島監督は昭和時代に活躍した大島渚監督のご子息ということで驚きました。

こうした経緯で議員になった小川氏ですので、当然やっかむ人も出てきます。報道によりますと、小川氏は代表選の立候補に必要な推薦人を集めるのにも苦労したそうですが、そうしたことも関係していると想像します。なにしろ、立候補を断念するギリギリの状態だったのですから、政治の世界の難しさを感じずにはいられません。

社会の一般的な感覚からしましても、小川氏の立候補には少しばかり無理があるように思えます。もう少し、党内の要職を経験してからでないと周知の理解は得られないでしょう。やっかみと経験不足では、本来立候補すらできなくても当然です。しかし、最後の最後に起死回生できたのは、やはり「なにかを持っている」ともいえなくもありません。そもそもですが、映画の対象者に選ばれた時点で「持っている」ともいえることになるのですから、この「持っているもの」を活かしてほしいものです。

代表選を振り返ってみますと、意外に立憲民主党にも人材がいるように感じました。逢坂氏は落ち着いた語り口が信頼性を醸し出していましたし、西村ちなみ氏も当初は数合わせと女性という立場のアピール一員と思いましたが、いろいろな発言を聞いていますと、政治家としての土台が備わっている印象を受けました。泉氏はほかの候補者を要職に任命しましたが、この4人が揃っているなら、それなりの野党になるような気がしました。

安倍元首相は民主党政権を「悪夢のような政権」と表現していましたが、悪夢とは言いませんが、あまり成果を上げられなかったようには感じています。やっぱり、「批判だけするのと当事者になるのは全然違うんだなぁ」と思ったことを覚えています。

僕は、ここ10年近くの自民党の政権運びには大きな不満がありますが、自民党に代わる政党がないことも事実、と思っています。立憲民主党には是非とも頑張っていただき自民党と交代で政権をとれるくらいの政党になることを願っています。そうでなければ、森友事件でお亡くなりになった赤木俊夫さんも浮かばれません。

じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする