<重要文化財>

pressココロ上




 公正取引委員会が新聞に対する「特定指定の見直し」を提言したことに対して日本新聞協会は反対キャンペーンを展開しているようです。建設業などに対しては談合を批判しているのを見ますと「総論賛成、各論反対」の言葉が頭に浮かびます。
 
 ある日、お天気がとてもよいのでひとりでサイクリングに出かけました。澄みきった空、ここちよい風を 全身に受け「生きてるって幸せだなぁ」などとペダルを踏んでいました。地図を持ち行き先を決めずに出かけたサイクリングです。日祭日と違い平日の住宅街は人影も少なく落ち着いた雰囲気が漂っています。専業主婦を除けば皆さん職場や学校に行っているのでしょう。静けさは人に安定した気持ちを与えてくれます。
 地図は持ちましたが勝手気ままに走っていましたので1時間を過ぎたあたりから初めてみる景色となりました。車で1時間走るのと違い自転車での1時間ではそれほど遠いところへは来ていません。それでも「へぇ~、こんな建物があるんだ」などと感動することが多いものです。誰でも知らないものに遭遇するときは心がわくわくします。
 しばらく走っていますとちょっとお腹が痛くなってきました。昨晩野菜ジュースを飲んだのが原因です。以前から野菜ジュースを飲んだ翌日はお腹が痛くなることがありました。それでも健康のためにはよいと思い飲んでいました。
 電車を利用しているときやビジネス街、繁華街にいるときはトイレは容易に見つけることができます。し かしそれ以外のところでは中々トイレは見つからないものです。そういうときに探すのは公園です。公園 には公衆トイレが設置されていることが多いからです。
 地図で公園を探しますと現在地から少し離れたところに「○○広場」と書かれた場所がありました。長年の経験で「広場」は公園であることが多く、そこにはトイレも設置されている可能性が高いものです。早速、広場に向かいました。
 広場の入り口に着きますと大きな門構えがあり扉は開放されていました。見た感じは一般の公園とは 趣が違っていました。中を見渡しますと母親らしき女性と2才くらいの子供がベンチで戯れています。門の横に立っている掲示板には「旧○○家贈呈」と書いてありました。説明文によりますとこの広場は昔の資産家が地域のために無料で供出したもののようです。広場にある建物は「重要文化財」に指定されている、とも書いてありました。
 自転車を入り口に停め、中に進んで行きますと先ほどの親子以外に70才過ぎと思える女性が木々を眺めていました。広場の中は時間がゆっくり流れている感じです。そんな雰囲気ではありますが、私の目的はあくまでトイレです。トイレの案内板を探しましたが、それらしき看板はありません。その間にも私のお腹は痛みを増してきました。
 危機感を覚えながら建物のほうへ歩きますと造園士の出で立ちをした65才くらいの男性が枯葉を集めていました。男性は私の足音に気がつくと顔を上げ、私と目が合うと微笑みました。私は軽く会釈をすると尋ねました。
「あのぉ、ここにはトイレはないんでしょうか?」
 男性は一瞬考えたあと答えました.
「あそこの中にありますよ。案内しましょう」
 男性が指差した先は重要文化財に指定されている建物です。男性は歩き始め私はあとに続きました。私はまた尋ねました。
「一般の人が使ってもいいんですか?」
 男性は答えました。
「まぁ、緊急の場合ですから…」
 建物の玄関―重要文化財とはいえ元々は普通に生活していた家ですので入り口というより本当に玄関なのです―に着きますと男性は引き戸を開けながら言いました。
「そこの廊下をまっすぐ進んだ突き当りを右に曲がった先にトイレがありますから」
 私はまた尋ねました。
「本当に使っていいんですか?」
 私が躊躇った理由は玄関の上がった踊り場がいかにも観光客のために作られたふうになっていたからでした。そこには台が設置され
「(建物を観賞した)感想をお書きください」と書かれたプレートがあり、その下には大学ノートが2冊置かれていました。1冊は感想用でありもう1冊は住所氏名を書くようになっていました。
 急を要する私としてはそんなことは関係なく教えられたとおりトイレに急ぎました。幅1.5メートルほどの廊下に面している襖は全て開けられており、いかにも観光客のために展示されている、といった雰囲気です。「昔のお金持ちはすごいなぁ」などと感心しながらトイレの前に立ちますと一般の人用でないことがわかりました。そこにはトイレという表示がないのです。私の家のトイレに表示がないのと同じです。もち ろん男性用女性用に分かれているはずもなくドアを開けますと手前に小用その奥に大用のドアが見えました。昔の建物を保存しているとはいえ、トイレ回りは改修しているようで大用のトイレは洋式の便器でした。私はホッとして中に入りドアを閉めますと、ないんです。…鍵が。私は一瞬迷いましたが時間がありません。仕方なく左手でドアを押さえながら用を足すことにしました。そして便座に座ったのですが、ふと不安がよぎりました。
「水は流れるのだろうか…」
 結局、誰が来るでもなく水も無事に流れ私は満足して重要文化財をあとにしました。それにしても重要文化財のトイレを使った人ってそうはいませんよねぇ、感激! 帰り際、感想ノートに次のように書きまし た。
「ドキドキしました」
 新聞社が宅配維持のために「特定指定」を重要と考えるのはわかります。でも重要だからといって昔のものをそのまま使い続けるのは問題があるんじゃないかなぁ…。重要文化財のトイレのように…。
 じゃ、また。




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