<足る者は言わず>

pressココロ上




 日銀の福井総裁が「村上ファンドに投資していた」ということで批判されています。マスコミの集中砲火には賛同できませんが、日本経済の頂点に立ちその一言が市場に大きな影響を与える立場にいるのですから批判されるのも当然と言えます。投資した当時にすでに副総裁という役職であったのも問題ですが、少なくとも「総裁になるときには整理すべきであった」というのが一般的な感想ではないでしょうか。
「もうお金はいらない」
 死ぬまでに一度は言ってみたい台詞ですが、庶民には遠い世界の感覚です。しかしサラリーマンの平均年収が500万円と言われる中、一日で同額を稼ぐタレントもいますしそれ以上に収入を得ている人もいます。そのような人たちは「お金がほしい」などとは言わないでしょう。一生をかけても使い切れないほどのお金を持っているのですから「いらない」と思うのも実感は沸きませんがなんとなくわかります。
「学歴なんていらない」
 この台詞もよく聞く言葉です。以前にこのコラムで紹介したことがありますが、作家の唐十郎氏は「学歴不要論を叫んでいる人は高学歴の人たちが多い」と喝破しています。全く持って至言です。社会に出ている方々は実感していると思いますが、企業社会においては高学歴が高収入に結びついているのが現実です。長州力氏の言葉を借りるなら
「高学歴が必ずしも高収入に結びつくとは限らないが、高収入を得ている人は必ず高学歴である」といったところでしょうか。
「愛なんていらない」
 多くの男性を魅了するほどの美貌を備えている女性ならこのように思っている人も多いでしょう。愛を告白されることに慣れている女性にとって“愛”はうれしくともなんともないはずです。なにかの映画の一場面で主人公の美しい女性は呟いていました。
「愛されるより愛したい」
 “愛”に満ち足りている人は“愛”など求めていないのです。もしあなたが並外れた美貌を持っている女性を口説き落としたいときは決して「愛して」はいけません。「愛させる」のが最もよい方法です。
 お坊さんが人生論を説いている本を読んでいましたら「人生はお金だけではない。お金以外にもっと大切なものがある」と書いてありました。人生の真理が書いてある気はしますが、現実社会を必死に生きている凡人としては全面的には納得しかねる部分もあります。やはりお金がないと家にも住めず食べることもできないからです。「お金がない」と「お金だけじゃない人生」さえ送れなくなってしまいます。「お金以上に大切なものがある」と言えるのもお金があるからです。
 お金に限らず、人はあるモノに満ち足りているとき「そのモノを欲しい」とは思いません。そのときの感覚は「足りてない人」との感覚とずれたものになっています。もし「満ち足りている人」の感覚でモノゴトが決められるなら「足りてない人々」は納得できる結果を得ることは難しくなってしまいます。
 今週紹介しています「デルの革命」はパソコンのダイレクト販売で成長した企業の会長が書いた本ですが、その中で会長は「成功しているときこそ危機感を持つことが最も大切である」と述べています。成功に満ち足りているときは成功に満ち足りていないときのことを忘れてしまうことを戒めた言葉です。また、「足りているとき」に「足りていないとき」の感覚を持ち続けることの難しさを表している言葉とも言えます。
 日銀総裁という役職は社会的に見ていろいろな面で満ち足りた環境にいることです。今回の出来事もそうした環境がさせたことかもしれません。社会的に高い立場にいる人は「満ち足りている環境」にいても「満ち足りていない環境」にいる人たちの感覚を忘れてほしくないものです。
 ところで…。
 欲深い僕としてはお金も学歴も愛もほしいわけですが、もし神さまから「どれか一つを捨てるのを条件に生まれ変わらせてあげる」と言われたなら、僕は「お金はいらない」と答えます。そして言葉を続けます。
「お金を儲ける方法がほしい」と。
 じゃ、また。




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