<心の教育>

pressココロ上




 先々週の経済誌「ダイヤモンド」と「日経ビジネス」、それぞれに共済についての記事が載っていました。簡単に紹介しますと、県(都)民共済は<いい内容>で全労済は<悪い内容>が書いてありました。私は民間の生命保険よりは共済を評価していますが、全労済の<悪い内容>には落胆しました。しかし全労済は以前から「問題がある」と指摘はあったのですが…。読者の中に共済に入っている方がいましたら記事を一読あれ…。
 …というように私たちが情報を得るのは圧倒的に雑誌や新聞、テレビといったマスコミからです。今紹介しました共済の記事のように、その内容によってよい印象や悪い印象を持つわけですからマスコミの責任は重大です。
 いじめ報道に関連して「校長が自殺した」という痛ましい事件がありました。しかし、その後の報道では「校長が自殺に追い込まれた」責任の一端はマスコミにあると思わざるを得ません。
 校長の遺族の方が涙ながらに訴えていました。
「事実と違う嘘の記事がたくさん報道されていた…」
 校長はマスコミなどが糾弾したことによる心労で自殺した、ということでした。結果的に言うならマスコミが校長を「いじめ」たと言えます。マスコミから「いじめ」られることは学校で「いじめ」られることの比ではないはずです。一般の人で耐えられる人はほとんどいないでしょう。校長の苦しさ、辛さはいかばかりだったでしょう…。
 私がマスコミに対して不信感を持つようになったのはラーメン時代の経験があるからです。現在もあまり変わっていませんが、ラーメン店の実態を正確には伝えていません。ましてラーメン店での独立に関してはもっと正確に伝えていません。実際の体験者として苦々しく思っていました。そうした経験がマスコミに対する警戒感を持たせるようになりました。
 子供の自殺 → いじめ → 学校の隠蔽 といった先入観がマスコミにはあったように思います。マスコミは常に検証し中立な立場で報道しなければなりません。また、この事件の流れの中で印象に残っているのは教育委員会の会見でした。最初の報道のときは「校長の対応」を非難していましたが、自殺報道のあとは一転して「子供思いの校長」であったと話していました。その豹変ぶりに悲しささえ感じてしまいました。
 もし、マスコミが冷静に判断しいろいろな角度から検証して報道していたなら「校長が自殺する」という痛ましい事件は起きなかったでしょう。「いろいろな角度」から見ることはとても重要です。同じ事実でも見る角度が違うなら事実が違って見えるからです。
 私は今年で50才になりますが、年令を重ねるほどに「違う角度」が増えてきました。そしてそれは今でも続いています。
「へぇ、そういう角度もあるんだ…」
 また、違う角度を知ったとしてもその角度から感じる感性も大切です。せっかく違う角度を知ったとしてもそれを感じることができなかったら素通りしてしまうことになってしまいます。活かすことができません。私は「ただ知る」だけでは真実を知ることができないと考えています。私のサイト「プチアビリト」の冒頭で「全ての知識は衒学である」と書いているのはこのことによるのです。
 人間の行動範囲は時間的にも距離的にも限られていますから全てを体験することはできません。ですからせめて「いろいろな角度」を知ることだけでも必要です。私は学校教育とはこの「いろいろな角度」を教えることだと思っています。そして「どの角度が正しいか」は個々人がそれぞれの心で判断すべきです。
 ジャーン! 今週、私が主張したかったのはこのことでした。
 教育という名の下に、間違っても権力が個々人の「心」の中にまで踏み込んではいけないのです。
 じゃ、また。

紙.gifジャーック!




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