<ムラヌシ先生>

pressココロ上




 僕の年代は高校進学率はすでに95%を越えていました。ほとんどの生徒が自分の成績に見合った高校に進学していました。進学をせずに就職したのは一学年200名くらいの中ほんの数人にすぎませんでした。その数人の中の二人が僕のクラスにいました。アベ君とナカムラ君でした。
 卒業式を数日後に控えたある日、担任のムラヌシ先生は朝のホームルームの時間にアベ君とナカムラ君を皆の前に出させました。突然のことなので二人とも緊張しているのがわかります。先生はというと、普段のブルドックのような顔が柔和な表情になっています。デップリとしたお腹を突き出し眼鏡の縁に手をやりながらゆっくりと話し出しました。
「あと、少しでみんなともお別れだな。先生はみんなと出会えて幸せだった。ありがとう。みんなはこれから高校に進むんだけど、高校でもしっかり勉強して頑張ってください」
 言い終わると先生はアベ君とナカムラ君に眼差しを向けました。そして続けました。
「みんなに報告することがあります。実は、アベ君とナカムラ君は家の都合で進学せずに就職します。学校と違って会社、社会というところはとても厳しいところです。先生は二人に『頑張れー』とエールを送りたいと思います」
 話し終えると先生は包み込むように声をかけました。
「みんなにこれからの抱負でも話すかい?」
 戸惑ったようすの二人は顔を横に振りました。先生は小さくゆっくりとうなづくと二人に近づきアベ君の右手を握りました。強く握っていました。そして同じようにナカムラ君の手も握りました。強く握りました。そして先生は二人を同時に抱きしめたのです。
 たぶん、抱きしめていた時間はほんの数秒でしょう。しかし僕にはとても長い時間に感じました。僕には先生の声が聞こえました。
「どんな辛いことがあっても頑張れ…」
 安倍首相が教育再生を目指していることに相まって、新聞や雑誌などマスコミで学校及び先生について取り上げる記事が目立ちます。その中には先生を擁護する内容もありますし、反対に非難する内容もあります。
 先日、亡くなりました哲学者の池田晶子氏は言っていました。
「お金は人生の大事なものなのに学校で教えてくれない、という親がいるが、人生にとって大事なものはお金ではないことを教えることこそ教育」
 実は、僕は池田晶子さんのことを読売新聞(4月28日朝刊)で初めて知りました。それまでも本屋さんで名前だけは見たことはあります。僕が好きな中島義道氏の書籍の隣に並んでいたからです。しかし関心を示すことはありませんでした。なんとなく池田晶子という名前が僕にとってはつまらなそうな感じを持たせていたからです。ところが先ほどの文章が僕に興味を持たせました。
 調べていく途中で池田さんの「14才の哲学」を出版している会社の社長のブログに出会いました。そこには社長が「14才の哲学」の執筆を池田さんに依頼したきっかけについて書いてありました。「きっかけ」は社長の息子さんが学校でイジメに遭ったことでした。ブログには、息子さんが遭ったイジメに対する学校や担任の先生の無責任さが事細かに綴られていました。
 ブログを読みますと、学校の先生たちが一般の民間企業で働いている人たちとは考え方や常識・感覚がかけ離れている印象を持ちます。
 以前、銀行に勤めている友人と話したときも同じように「先生たちの非常識さ」を聞かされたことがあります。友人曰く、
「先生たちって民間じゃ絶対勤まらないよ」
 先週の新聞には「先生バッシング」に対する憂慮が書かれていました。「先生バッシング」は本当に先生たちに責任が、起因があるのだろうか、という内容です。
 他のメディアの記事も含めて「先生擁護論」を大まかに言いますと、「雑務が多すぎ、とにかく忙しすぎる」や「責任を押し付けられすぎる」といったことのようです。また、親が先生を尊敬していないということも多いようです。
 先生たちは批判されるべきなのか、それとも先生たちを取り囲む環境に問題があり先生たちは被害者なのか…。
 通勤途中に歩いていましたら、ワンマンバスが目に止まりました。私は思いました。
「そう言えば、バスって昔ワンマンじゃなかったようなぁ」
 住んでいた地域にもよると思いますが、僕が小さい頃、バスには運転手さんと車掌さんが乗務していました。バス会社は合理化の一環としてワンマンバスに移行したのでしょうが、その際の運転手さんや車掌さんたちの反発は激しかったに違いありません。想像するに「労働強化」とか「安全が維持できない」などと叫んでいたと思います。
 時代は変化します。そして変化した時代に適応していくことができなければ滅んでしまうでしょう。恐竜然りです。
 学校という世界に民間の意識・感覚が導入されつつあります。民間とは競争原理を意味します。「よのなか科」で有名な和田中の藤原校長は元リクルートの役員でした。藤原校長は「全国の校長を民間人から登用する運動」を展開しています。また、居酒屋を展開しているワタミグループを率いている渡邉美樹会長は学校運営も行っています。学校運営に民間のノウハウを取り入れました。
 民間出身の方々は、今までの学校運営に「無駄の多さ」を指摘しているようです。その無駄を民間の感覚で削ろうとしています。このように民間の感覚を学校に導入するという試みはまだ始まったばかりです。この試みが成功するのか、それ以前に正しく導入されるのか…。いくら民間の感覚を導入しても正しく導入されなければなんの意味もありません。和田中の藤原校長は言っていました。
「最初の頃は、自分の提案がことごとく拒否された」
 かつて民間出身の校長が自殺した事件もありました。まずは正しく導入できるかどうかが重要なポイントです。仮に、正しく導入できそして正しく民間のノウハウが運用されたとしてもそれが正解かどうかもわかりません。なぜなら民間ノウハウが導入された学校ではムラヌシ先生のような先生は必要とされない可能性もあるからです。学校、教育は本当に難しい…。
 学校の先生って最後は、個人個人の持っている人間性、資質に負う部分が多いんじゃないかな…。そしてその核心は『愛』。
 あっ、なんか鳩山さんみたいなこと言っちゃってゴメン。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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