<軸>

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 車を運転しているときに気になるのが自転車です。歩道のない道路では特に注意が必要です。高年齢の方の乗り方を見ていますと「いつ自転車が倒れるかもしれず」と思い、また年配でない方でも「いつ進路方向を変えるかもしれず」と不安感が出てきます。それに比べ歩道と車道が分かれている道路はやはり安心です。
 普通は、歩道と車道に分かれている道路ではほとんどの自転車が歩道を走っていますが、たまに車道を走っている自転車もあります。車道を走っている自転車でも進路方向が同じ場合はそれほど奇異には感じません。ところが、進路方向が反対であるにも関わらず車道を走ってくる自転車があります。車に対して向かって走っているのですから違和感を覚えます。運転者からしてみますと危険を感じますしやはり非常識な乗り方と思ってしまいます。
 なぜ、わざわざ逆方向なのに車道を走るのか?
 僕は長い間そんな疑問を持っていましたが、最近になり理由がわかりました。
 僕は通勤時駅まで自転車で通っています。所要時間は約20分です。その途中には歩道と車道に分かれている道路を走る区間もあります。進路方向が車と同じ場合はたまに車道を走ることもありますが、ほとんどの場合歩道を走っています。特に進路方向が車と反対のときは必ず歩道を走っています。
 ある日、卵をお店に持っていく必要があり自転車の前カゴに乗せました。卵ですので割れやすく注意をしながら自転車を漕いでいました。するとそれまではあまり気にならなかったのですが歩道を走っていると段差が多いことに気づきました。歩道は路地のあるところでは途切れます。そのたびに歩道と車道の段差を降りそして上る必要があります。その段差はかなりの衝撃ですので卵が割れないか不安になります。
 そこで考えました。「車道を走れば段差を気にせず済む」
 そのときはたまたま車の進路方向とは反対の方向に自転車を漕いでいたのですが、道路の先を見ますと車が走ってきません。僕は車道に出ました。すると楽なのです。走っていて楽なのです。
 今までにも車と進路方向が同じときは車道を走ることはありました。当然車道ですので段差の乗り降りはないのですが、そのときは歩道の段差がないことの「ここちよさ」をそれほど感じることはありませんでした。ところが「必ず歩道を走らなければならない」ところで車道を走ると、段差のないことの「ここちよさ」を思う自分がいるのでした。不思議です。
 一度その「ここちよさ」を感じてしまうと、向かってくる車が走ってきても歩道に戻る気持ちが失せてしまいました。そしていつしか、自分が車を運転しているときに違和感を持っていた自転車の走り方に自分がなっていたのでした。
 そうなのです。感覚が麻痺してしまったのです。感覚ほど移ろいやすいものはありません。
 さて、今年も早いものであと1ヶ月を残すのみとなってしまいました。毎年、この時期にはこのように感じるものですがやはり今年も感じてしまいます。一年って早いですねぇ。
 先週は朝青龍と亀田家の次男が謝罪会見をしていました。その中で意地悪な質問をする記者がいましたがあまりよい印象ではありませんでした。なにかを期待して挑発しているように感じられました。もう少し相手の立場を配慮した質問の仕方をしてよいのではないでしょうか。謝罪するしかない立場の人間をさらに追いつめるようであまり褒められた質問ではなかったと思います。まるで倒れた関取に全体重を乗せて押し潰そうとしているようであり、ダウンした選手にとどめをさすように殴りつけるようであり人情のかけらも感じられませんでした。
 謝罪と言えば、今年印象に残っている謝罪は食品関連の偽装問題です。多くの企業が謝罪を繰り返していましたが、僕の想像では表面に出たのはまだ氷山の一角ではないかと思っています。それにしても普通の感覚で考えるなら「やってはいけない偽装」ですが、「少しくらいなら」がいつの間にか常態化し、そしてそれに対してなんの罪の意識も感じなくなってしまったのでしょう。感覚というものほどアテにならないものはありません。
 先月、僕に保険会社からハガキが届きました。現在、保険会社は保険金不払いで批判されていますが、それに関連したハガキでした。不払いの大きな原因は保険の説明が契約者に適切にされていないことです。ハガキは火災保険の保険金額の確認が主な内容でした。詳細は省きますが、僕の場合は保険金額が適切でなく保険会社の担当者と数度話し合いの電話をする必要がありました。ご存知の通り僕は以前は保険代理店を営んでいましたので保険会社の言い分もわかります。ですのであまり追求するつもりはなく適当な落しどころで決着しました。
 しかし、担当者と話していて気になったのが「契約者をうまく丸め込んだ社員が優秀な社員」と評価される風潮が保険会社にはあるのではないか、ということです。この感想は自分が保険会社の社内実情を一般の人より知っていることからくる「勘ぐり」もあるのかもしれません。
 僕の数年間の保険業界での感想は、ほかの製造業や小売業、流通業とはかけ離れたお客様に対する感覚です。近年の金融庁の厳しさにより少しずつ保険業界特有の感覚は修正されつつあると思いますが、今回の対応では「まだまだ」というのが実感です。保険業界特有の感覚も保険業界に長い間いることによる一般の感覚との乖離です。その証拠に若い社員ほど保険会社の感覚に違和感を持っているようでした。
 「少しくらいなら」がいつの間にか常態化して一般感覚とずれてくることが大きな問題に発展する原因です。その感覚を常に修正するには自分自身の中に軸を持っていることが必要です。社内や周りの雰囲気に流されず自分の軸に照らしていつも判断しているなら大きな問題の共犯者にならなくて済みます。
 自分の軸は自分で決めることができます。もちろんそのためには世の中の流れを知ることも必要ですし、社会勉強することも必要です。そうして作った自分の軸を信じて生きていきましょう。
 ところで…。
 12月に入ったある日、道を歩いていますと正面からウルトラマンが走って来ました。なにやら忙しそうに走って来ます。僕は、ウルトラマンは地球上に3分間しかいられないので忙しいのかなぁ、と思いました。でも、本当の理由が知りたかったので尋ねてみることにしました。
 そうは言いましても、ウルトラマンは日本語がしゃべれないはずです。う~ん、僕はちょっと迷いました。でも、尋ねたいし…。
 僕は意を決して尋ねることにしました。ウルトラマンがもうすぐ僕の目の前に来ます。僕はタイミングを見計らって大きな声で尋ねました。
「どうして走ってるんですかー?」
 勢いよく走っているウルトラマンでしたが、僕の声が聞こえたようです。僕の前を通り過ぎて10メートルほど先で立ち止まると振り返りました。そして手を十字にすると言いました。
「シュワッシュ…シワッシュ…シワッス…師走…」
 そのときの恥ずかしそうに右手で頭をかきながらちょっとうつむいた表情が忘れられません。
 このお話…、僕の軸です。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!





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