<カネコ君走り>

pressココロ上




 僕が中学生の頃、同じクラスにカネコ君という男の子がいました。カネコ君は特別な親友というわけではありませんでしたが、話す機会はたびたびありました。学校というところは集団行動をさせられる場所ですが、そういうときは必ずといっていいほど整列させられます。そしてその整列は例外なく「背の順」になっていました。
 僕は小・中学と背の順番に並ぶときはいつも前から2番目以内と位置が決まっていました。つまりクラスで最も背が低いか2番目に低いかでした。そんな僕が中学3年のときは前から2番目の位置にいられました。その理由はカネコ君がいたからです。
 僕もそうでしたが、背の低い中学生は外見に共通点があります。それは制服がダブダブになっていることです。本来、中学生という時期は身長の伸びが著しいのが普通です。そうしますと親としては制服がすぐに着られなくなるのは財政的に困るので制服は大きめのサイズを買います。この親の判断は至極真っ当ですが、親の予想に反して身長があまり伸びない中学生はいつまでも制服がダブダブの状態が続く結果となってしまいます。
 親の予想を超えて身長が伸びた中学生は袖丈やズボンの長さが極端に短くなり、いわゆるツンツルテンの格好になってしまいます。それとは反対に、親の予想に反して身長が伸びない中学生は袖丈が手の甲を覆いズボンの長さこそ合っていますが、お尻回りはダボダボといった感じになっています。僕やカネコ君はその典型でした。
 僕とカネコ君は背の順では前と後ろになりますので自然と話をするようになりました。カネコ君は身長も低いのですが身体全体も痩せています。つまり全体的に小柄なのですが、顔が少しデカイのが特徴です。顔がデカイということはつまりは頭もデカイということになりますので当然「頭がいい」部類に入っていました。「頭がいい」というとエリートぶったツンッとしたイメージが湧きますがカネコ君は決してそんなことはありませんでした。よく笑い、よく照れ、適度に自己主張をし、僕の好きなクラスメートでした。
 そんなカネコ君ですが、ただ一つ苦手なものがありました。運動です。運動が得意だった僕から見ますと運動のセンスがなかったように思います。それは体育の授業になるとわかりました。例えばボールを扱う球技の種目などで顕著に表れます。どことなくドタバタしており「ボールが手につかない」状態を多く見ました。そして本人が真面目に必死にやればやるほどクラスメートの笑いを誘っているのでした。運動に限らず美術や音楽などどんなことでもセンスは大切です。
 僕は小さい頃から運動のセンスだけはあったようです。特に球技スポーツはとても得意でした。理由は自分でもわかりませんが、やはり「好き」だったとしか言いようがありません。そんな僕でしたので身体を動かすことも多く自然といろいろな筋力がついていたようです。小学3年生の頃のドッジボール遠投大会ではクラスで一番になったこともあります。その頃は算数で割り算を習い始めた頃なのですが、いつも割り算で0点を取っていたので遠投大会での一番の成績は僕をとても勇気づけてくれました。もし遠投大会がなかったなら僕は登校拒否になっていたかもしれません。
 それにしても最初に習った割り算には困りました。なにしろ割り算の意味がわからなかったのです。一言で言うなら「センスがない」ことになるのですが、先生の言っている意味がわからず「なにをどのようにやるのか」が全くわからなかったのです。最終的には割り算ができるようになりましたが、それまでにはかなりの期間を要しました。もしセンスがあったならもっと短期間で理解できたでしょう。
 小学6年生のとき同じクラスにカトウ君という野球のうまい男の子がいました。カトウ君はボールの扱いが器用で野球センスが溢れていました。ショートを守っているカトウ君のところに打球が飛ぶとカトウ君は足捌きも軽やかにボールを捕球すると流れるようなフォームで一塁に送球していました。みんなから「野球がうまい」と一目置かれる存在でした。
 カトウ君は僕と同じ中学に進学しましたが、同じクラスではありませんでしたのでカトウ君のことも忘れていました。僕は中学に入るとバスケットボール部に入部しました。中学には野球部がありませんでしたので他の球技クラブを探していました。そのとき「バスケットをやると背が伸びる」と誰かに聞いたのがバスケットボール部に入った理由です。
 中学のクラブ活動は小学校とは比べものにならないほど厳しさがありました。腹筋や腕立て伏せなど基礎体力の鍛錬もあり、また先輩や顧問の先生の指導のもと厳しい練習が課せられました。しかし、小学校の頃に「巨人の星」や「あしたのジョー」を読んでいた僕はそれが楽しくもありました。毎日、家に帰ってからも腹筋や腕立て伏せなどをやり自分の肉体の変化を喜んでいました。
 1年を過ぎようとする頃、クラブの練習に向かうため校舎の出入口に差し掛かりますと偶然カトウ君を見かけました。同じ学校にいながらクラスが違うとほとんど会う機会もないものです。僕は声をかけました。
「久しぶり…。なに部に入っているの?」
 カトウ君は気後れした雰囲気で答えました。
「えっ、どこにも入ってないよ…」
 その言葉はどことなく元気がなく寂しさがありました。カトウ君のうしろ姿からは小学校の頃に醸しだしていた「運動が得意」なオーラはなくなっていました。
センスは活かしてこそセンス足りえます。
 小さい頃、小学校の頃まで「頭がよい天才」「スポーツの天才」「絵がうまい天才」などと各分野で抜きん出ていた才能も中学校、高校と進学するにつれ天才から凡才になる姿はよく見かける光景です。自分自身を振り返ってみても同様ですが、それは進学するにつれ世界が広がるからです。世界が広がるにつれ多くの天才と出会い自分の能力の限界を思い知らされます。小学校の頃までに天才と褒められたのはセンスがあったからですが、さらに広い世界でも天才と言われるためにはセンス以外にも必要なものがあるようです。
 さて、カネコ君の話に戻りまして…。
 ある日、体育の授業で100m走がありました。足の速さのセンスがある子は余裕があります。僕はというと球技のセンスには自信があったのですが、「走ること」に関してはセンスはありませんでした。特に遅いということでもありませんでしたが、特別に速いというわけでもありませんでした。
 僕は5人で走って2着でした。それでも自分の最高の力を出し切り納得はしていました。ゴールのあと肩で息をしながらスタート地点を見ますとカネコ君がスタート位置に立っているのが見えました。先生の笛の合図ともにスタートした5人が一斉に走り出しました。遠くから見ていますと、走っている姿はみんな同じようなフォームです。上半身を少し前屈みにし腕を肘から曲げ前後に振っています。そして足はモモを上げ両足を回転させていました。走っている姿はみんながそんなフォームで走っていました。…たった一人を除いて。…カネコ君です。
 カネコ君の走るフォームはとても目立っていました。ほかのみんなと大分違うのです。上半身を必要以上に前に突き出し胸を張り、腕は肘を曲げてはいるのですが前後にではなく横に振っているのです。「足は」と言えば少しガニ股になり無理やり大またにしている感じで走っていました。僕の心の中で有名な「カネコ君走り」です。
 みんなはカネコ君の走る姿を見て笑い出しました。その走るフォームがとても滑稽に見えたからです。第3コーナーを回り第4コーナーに差し掛かるとカネコ君の姿がよりはっきりと見えてきました。その姿を見てみんなからさらに笑いが起こりました。カネコ君の表情は必死そのもの、目はほとんどつぶっているようで歯は食いしばり顎を上げ前に突き出していたのです。みんなはその表情、そのフォームに笑い転げました。
 でも、僕は笑えなかったのです。「笑う」より鳥肌が立ってきたのです。その懸命に走る姿に感動していたのでした。
 カネコ君は3着でした。ゴールしたあともみんなが笑い続けているのを気にするふうもなくゴールの先でうずくまり身体全体で息をしていました。僕はカネコ君に近づくと声をかけました。
「走ってる姿、カッコよかったよ」
 顔を上げたカネコ君は火照った顔で苦しそうに笑いながら数回うなづきました。
 あれから約40年が過ぎていますが、カネコ君の走る姿はいつも僕の原点です。
 ところで…。
 僕は娘や息子に「ウケる」ことを日々の命題としていますが、今までのギャグで評価が高かったのが先ほどの「カネコ君走り」です。家族4人で外食をしたあと歩いているときに「カネコ君走り」を披露しました。娘と息子では笑いの感度が違うのですが、息子に「ウケる」のは至難の業です。その息子が「カネコ君走り」には「大ウケ」だったのです。そのときのうれしさと言ったら…。
 センスは活かしてこそセンスです。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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