<諸行無常>

pressココロ上




 以前、このコラムで「情けは人の為ならず」という格言の意味を間違って理解していたことを書いたことがありますが、先週同じように間違って理解していた格言があることが判明しました。それは「初心忘れるべからず」です。
 僕が理解していた意味は「最初に思っていた純粋な気持ちをいつまでも持ち続けることが大切だ」というようなことでいわゆる「いい意味」で捉えていました。しかし先週の新聞には本来の意味は「初心という未熟な状態に退歩することを戒める」、つまり「悪い意味」で使われるのが正しいそうです。
 「初心忘れるべからず」という格言は観世流の祖である世阿弥さんが書いた「花鏡」という書物にあるそうですが、伝統的な芸能を極めるために必要な心構えなのでしょう。それにしても、昔から言い伝えられる格言が時代の変遷とともに本来の意味とは異なった意味に捉えられるのは想像できるとしても「少し」ではなく全く「正反対」の意味になるのは不思議な気がします。人間の考え方、感じ方が時代とともに正反対になっているのでしょうか。
 現在、読売新聞では毎週土曜日に西武グループの創業者であり詩人でもある堤清二氏が自伝を書いています。まだ始まったばかりですが、これがとても面白いのです。偶然にも少し前に読んだ本が西武百貨店の元社長和田繁明氏の本だったのですが、この二人の確執について両方の気持ちを知ることができるのではないか、と期待しています。堤氏の自伝ではまだ和田氏が登場してきませんが、この先がとても楽しみです。
 和田氏の本には現在の西武ホールデイングス社長である後藤高志氏も登場するのですが、銀行員であった後藤氏が西武の社長になるいきさつがわかり納得できました。
 後藤氏については、たまたま経済誌で取り上げていたあとにプリンスホテルが日教組に集会会場を拒否した事件があり印象に残っていました。日教組が憤る気持ちも理解できないではありませんが、本や経済誌から推察できる後藤氏の性格からすると拒否した理由・気持ちがわかるような気がします。
 ここまで書いた文章を読み返していましたら「和田氏」「日教組」と出てきました。そうしましたらどうしても「和田中の藤原校長」のことに触れたくなりましたので話が逸れますが書くことにします。
 和田中の藤原校長は「夜スペ」でマスコミに取り上げられたが、僕もこのコラムで以前書きました。僕はどちらかというと批判的な立場ですが、最終的には「夜スペ」は実行されるようです。それに対して一部の保護者が「差し止め訴訟を起こした」と先週の新聞に報道されていました。保護者の中に僕と同じように感じる人がいても不思議ではありません。マスコミでは反対の保護者の意見があまり取り上げられませんでした。その意味では訴訟を起こしたのは意義があるように思います。
 藤原校長は反対意見もある中で「夜スペ」を実行に移したのですから強い信念があるのでしょう。どちらが正しいのか判断は難しいものがありますが、大人の対応が子供たちに与える影響が大きいのは間違いありません。子供たちにとって「よい結果」になることを願うばかりです。
 また、藤原校長はもうすぐ引退しますが、PTAという組織についても改革をするようです。こうした一連の行動を見ていますと僕は小泉元首相を思い出してしまいます。今の世の中は教育分野に限らず経済分野などでも昔の形態がそのまま続いていることによる弊害が多い、と言われています。藤原校長は教育分野における旧態依然の慣習を変えようと意識しているように思います。「夜スペ」の是非はともかく昔から続いている制度を時代に合った制度に変えようという考えは賛同できるものです。
 以前、藤原氏はテレビ番組で「校長」という役職は民間でいうなら「係長」と同程度と話していました。「係長」では組織を変えるにはあまりに力が弱すぎます。藤原氏のことですからもう少し上のレベルでの改革を目指しているような気がします。藤原氏の学校改革も藤原氏の退任とともに元に戻ってしまう可能性もあります。それほど改革というのは容易ではありません。小泉首相が進めていた郵政改革や道路公団改革も小泉首相の退任とともに尻つぼみになってしまいました。学校改革が同じ道をたどらないために藤原氏は次の行動を考えているように思っているのですが、どうでしょうか…。
 西武・後藤氏について話を戻します。
 プリンスホテルが日教組に対して集会会場を拒否したことについて僕は後藤氏を支持します。日教組が主張する考えも理解できますが、現実問題として他の宿泊客に迷惑がかかることは否めません。しかも時期が受験期です。「人生を左右する」とまで思っているであろう受験生にとって街宣車がきて騒然となったなら悪い影響が出ることは必至です。そうしたことを考えるならホテル側が拒否するのは当然だと思います。中には「ホテル側が右翼に加担した」という意見もあるでしょう。結果的にはそうなりますが、状況を考えるなら仕方のないことだと考えます。
 自分たちの主張を世の中に認めてもらうには世の中に支持されることが必要です。最近は「ストライキ」はほとんど見かけませんが、僕が子供の頃はよくありました。ストライキは働く人の当然の権利ですが、そのストが世論から支持されることが必須条件です。近年ストがあまり行われなくなったのはストによる影響が大きく世論から支持されなくなったからです。その理由は自分たちだけの主張が世論には単なるエゴにしか映らなくなったからです。周りに対する影響、もっと単純に言えば「迷惑をかけないように」自分たちの意見を主張しなければ世論には認められません。
 今回、集会会場を拒否されたのは日教組という教育に携わる団体でした。そこで僕は思うのです。教育に携わる人たちなら受験生たちのことを慮る気持ちが起きなかったのでしょうか。僕はそれが不思議でなりません。自分たちだけの意見が主張できればよい、と考えていたなら世論からの支持は得られないでしょう。
 口先だけで尤もらしい意見を言うのは容易いことです。口ではなんとでも言えます。大切なのは実際に行動に移したかどうかです。例え、その行動が偽善でも構いません。口先だけで格好いいことをいうよりはずっと意義があります。口先ではあとからいくらでも高尚なことを言えます。あとづけ理由はいくらでも言えます。大切なのは行動です。
 その意味で言いますと、堤清二氏は実際に行動に移した経営者でした。前にも書きましたが、西武グループの苦境に際して堤氏は私財を100億円あまり拠出しています。このことはやはり尊敬できることです。
 かたや和田社長は仕事の基本を従業員に求める経営者でした。昔の西武は言葉だけが踊る職場だったようです。損益を無視した浮ついた企画だけが氾濫していたようです。そこには小売業の基本が抜け落ちていました。それを戒めたのは和田氏でした。和田氏が言った「包装のできない小売業の従業員は失格」という言葉は小売業の核心を突いています。実は、僕は堤氏和田氏ともに好きな経営者なのです。ですから対立している二人の関係が残念でなりません。果たしてどちらが正しいのか。はたまたどちらも正しく単に意見のすれ違いなのか。堤氏の連載で確認してみたいと思っています。堤氏の今後の連載が楽しみです。
 格言が時代とともに意味が変わり、人間関係も時間の経過とともに変わっていきます。諸行無常は本当なのですね。
 そういえば、僕たち夫婦においても…。
 時間の経過とともに僕は年令が増え、妻は体重が増えました。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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