<真夜中のダンディ>

pressココロ上




「それは考えすぎだなぁ…」
 僕には元官僚のお友だちがいます。かれこれ知り合って4~5年経ちますでしょうか。図書館の喫煙コーナーにいたときに話しかけられたのきっかけでした。年令は僕より10才くらい年上だと思います。お互い名前も名乗っていませんのでお互いの詳しい素性も知りません。ただ、いろいろな話をする中で僕が官僚の問題点を指摘した会話の中でわかったのが、相手の方は元官僚だったということでした。
 僕は自営業者ですので、妻以外の人と話をする機会があまりありません。会社勤めをしている方ですと、同僚などと政治や経済、または世間を騒がせている事件などについて意見を論じ合う機会もあると思います。しかし一日のほとんどを妻以外の人と接することがありませんのでほかの大人の人といろいろなことを論じ合うどころか話をする機会がありません。このような僕にとって元官僚の男性はとてもありがたい存在です。
 僕は昨年末から今年に入りとても忙しかったので男性と話す時間がありませんでしたが、先日久しぶりにお話をする機会がありました。と、言うよりも僕の中でどうしても話をしたい気持ちがあったので「無理やり機会を作った」といったほうが正確かもしれません。それは、僕が以前からたまにこのコラムに書いています「山口県光市の妻子殺人事件」の判決があったからです。
 僕はどうしても誰かに話を聞いてほしかったのです。
 この事件にはいろいろな要素が混在しています。裁判における被害者の位置づけや未成年者への刑罰、そして死刑制度の存廃またはマスコミ報道のあり方などです。どれ一つをとっても簡単に答えが出るものではありません。そうした要素を含んだまま9年という月日が流れました。
 このような状況の中で僕は元官僚の男性にマスコミ報道についてから話し始めました。
 私たちは新聞やテレビなどマスコミからでしか情報を得ることができません。しかしその情報が全てを伝えているとは限りません。各報道機関によりそれぞれの視点や考え方で事件の、そして各要素の捉え方が違うからです。実際に自分で見たり聞いたりしているわけではありませんので、あとは自分の想像力で補うしかありません。その中で僕がとても印象に残ったのは被告の最後の動作でした。
 新聞によりますと、被告は「死刑」の判決を受けたあと遺族である本村さんにお辞儀をし裁判官にお辞儀をしそして最後に退廷する前に再度本村さんのほうに向かってお辞儀をした、と書いてありました。僕はこの行動に今までと違った被告の本当の心が表れているのではないか、と感じました。
 9年という歳月の間に被告はいろいろな大人と出会ったと思います。これだけいろいろな要素が混在した裁判ですからそれぞれの要素に関わる大人が接触してくるのは想像できます。中には「利用しよう」と考えていた大人もいたでしょう。まだ確たる人格ができていないであろう被告がいろいろな大人にいろいろな意見や考えを言われ、そのたびに考えや気持ちが揺れ動いたとしても不思議ではありません。
 9年という歳月の間には、被告である少年が語った言葉として、遺族である本村さんを侮蔑するような、また本村さんを憤慨させるような報道もなされました。僕にはどれが真実でどれが真実でないか、を判断することができません。しかし、いずれにしてもいろいろな大人の意見に影響されたことは想像に難くありません。
 そして最高裁差し戻し審での被告の意見陳述です。一般の人の誰が聞いても納得できないであろう「被害者に母親の面影…」または「ドラえもんがなんとか…」などの主張はあまりにも唐突でした。
 僕は元官僚の男性に言いました。
 被告は死刑判決を受けたいがためにあのような唐突な意見陳述をしたのではないか、と。それに対して男性は言いました。
「あれは弁護団が作ったシナリオに従っただけ…」
 僕も「弁護団が作ったシナリオ」には同意見ですが、それを被告が言葉にして言うときの気持ちは弁護団の意図とは違っていたのではないか、と思いました。つまり、弁護団は「刑罰を軽減させるため」にシナリオを作ったのですが、その意図とは反対に被告は「死刑判決を受けたい」がために「誰もが納得しないような唐突な意見」を述べた、と僕は推察したのでした。
 僕のこの意見に対して元官僚の男性は冒頭のように
「それは考えすぎだなぁ…」
 と答えたのでした。
 だれも他人の心の中までは入り込むことはできません。本人でさえ自分の本当の心がどこにあるのかわからないときがあります。被告人の本当の心はどこにあったのでしょう…。
 それにしても本村さんは尊敬できる人です。本村さんが記者会見で最後に述べていた
「犯罪者が生れないような社会を作るのが大切…」
 という言葉には説得力がありました。そのためには他人の痛みを想像でき理解できるような教育を子供たちにすることが大切です。決して「自分だけが幸せになればいい」などとは思わない大人が増えることが必要です。
 さて、なぜ今週の題名が<真夜中のダンディ>なのか…。
 この歌はサザンの桑田さんが作った曲なのですが、この歌の3番に次のような歌詞があります。
♪隣の空は灰色なのに
♪幸せならば顔を背けてるー
 自分が幸せならほかの人が不幸せな境遇にいても、そうしたことを見ないふり気づかないふりをしていることを婉曲的に批判した歌詞です。犯罪者が生れない社会にするには幸せな人こそ不幸せな境遇にいる人々に関心を寄せる必要があります。しかし「言うは易し行なうは難し」なのが人間の悲しさです。
 この歌が納められているアルバムは社会性のあるテーマが揃っています。このアルバムを出したころ、お金も社会的名誉も得て成功した桑田さんは悩んでいたのではないでしょうか。そんなことを感じさせる歌詞です。
 悲しいことに、この歌の最後の歌詞は
♪またひとつ消えたのは愛だった
 です。…愛は消えてほしくないですよねぇ。
 自分でも理由はわからないのですが、僕はこの歌詞を聞くと昔の日活青春映画を思い出してしまいます。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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