<落し物>

pressココロ上




 先週は、お店の営業時間中に片付けなければならない別の仕事があり途中で一度家に戻りました。早く店に戻るために自転車を必死で漕いで往復したのですが、店に戻り一服しようとしましたら煙草を落としていたことに気づきました。必死に漕いでいたのでその勢いで上着のポケットから落ちてしまったようです。人間は、時間に追われあまりに忙しいと「落し物」をしても気が付かないものです。皆さんも気をつけましょう。
 僕はラーメン店をFCに加盟して開業したわけですが、そのときの条件の中に本部指定の「うまみ成分の素」を使うことが決められていました。粉末なのですが、その「うまみ成分の素」を使うと「味がおいしくなる」という触れ込みでした。要はロイヤリティの意味合いがあり本部の収入源となるものですので価格は高いものでした。
 開業し立ての頃はわけもわからず言われたままに使っていたのですが1年を過ぎる頃には「おいしくなる」は「本当だろうか?」と疑い始めました。当時、ラーメンの出汁となるスープは前日からゲンコツやバラ、野菜などを入れきちんと仕込んでいましたのでそれなりにしっかりとしたベースはできている、と思っていたからです。ですので「うまみ成分の素」を「入れる必要はない」のではないかと思い始めていました。
 そんなある日、本部の店長が来訪しました。話の途中で「うまみ成分の素」の話題になり店長はしきりに言います。
「うまみ成分の素を入れるのと入れないのではおいしさが全然違うんですよ」
 最初は話を聞いていただけの僕ですが、あまりにしつこく「うまみ成分の重要性」を繰り返しますので試してみたくなりました。
「じゃぁ、実験をしてみましょうか?」
「えっ?」と驚いた店長を尻目に僕は準備を始めました。5つのお椀にスープを入れその中の1つだけに「うまみ成分の素」を入れました。それを当てたなら本当に「うまみ成分の素の価値があることになります。
 結果は「ハズレ」でした。店長の困った顔は今でも忘れられません。とは言え、「うまみ成分の素」を使用するのは加盟条件ですのでそれ以降もFCを脱退するまで使い続けました。やはり約束は守らねばなりません。「悪法も法なり」と言ったのはソクラテスでしたっけ…。
 船場吉兆で「食べ残し」を「使いまわし」していたことが発覚しました。僕はこの問題は衛生の問題ではなくモラルの問題だと思っています。「使いまわし」であろうがなかろうが、お客様は提供された料理を「おいしい」と感じるか否かでお店を評価します。その評価の中には料理の味だけでなく店の内装や広さ、従業員の態度など全体の雰囲気などが含まれています。お客様が「おいしい」と感じるのは「味」からだけではありません。
 そもそも専門家でもない一般の人は「味」のみで評価することは不可能に近いと言ってもいいでしょう。お正月にテレビで放映していました番組で、ホンモノとニセモノの料理を当てる番組がありましたが、ほぼ全員が当てることができませんでした。料理や味に自信がある芸能人でさえこのような有様ですから一般の人は尚更のはずです。
 そのようなお客様を相手にしているのですから店側のモラル遵守はとても大切です。それにしても、経営者という人種は利益だけに走りがちですので「使いまわし」の発想があっても不思議ではありませんが、料理長までもが加担していたのは残念でなりません。会見していた料理長も若い頃は「使いまわし」に反発する気概があったでしょう。しかし、その気持ちも仕事に追われる中でいつしか「馴れ」になりそしてモラルが失われていったように思います。この料理長は「モラルの落し物」をしていました。
 僕は「味」について薀蓄を語る人とは友だちになれませんが、飲食業を営んでいますとそうした人と接する機会も多くなってしまいます。「味」はあくまで個人的な主観ですから「おいしい」と思えばまた食べに行けばいいし、「おいしくない」と思ったなら二度と食べに行かなければよい、それだけです。あー、それなのになにか言いたい人種がいます。
 新規開店したお店はそうした洗礼を受けやすいものです。これから新規開業を予定している方はそうした洗礼があることを心の隅に留めておきましょう。僕も今回の開業でやはり洗礼を受けました。僕の場合は業種的に「味」についてより「新しく商売を始める」ことについて薀蓄を語られました。その方は都心の繁華街で商売をしていたそうですが、その話から今後の僕の店のやり方まで指導してくれました。話を聞いている間、僕は心の中でつぶやいていました。
「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」(チェーホフ)
 もし、この方がお客様でなかったなら僕は早々にお引取り願ったでしょう。しかしお客様ですので辛抱して付き合いました。僕が辛抱したのはお客様だからなのですが、それはお客様の立場が店側より強いからです。強い立場にいる人間は月日を重ねるにつれてつい傲慢になりやすものです。人間は、人間が持つそうした性向に常に注意を払っていなければいけません。
 なのになのに…。
 横浜市立大学で「学位取得」に関して教授らが謝礼金を受け取っていた報道がありました。報道によりますと、ある教授は「学位を出さないこともできる」と半ば脅しともとれる発言までしていたようですが情けない話です。調査では「謝礼金を払うこと」が慣例化していたようですが、謝礼金を受け取っていた教授の方々はなにも罪悪感を持たなかったのでしょうか。この教授の方々も青年の頃は謝礼金に対して違和感を持っていたはずです。その同じ人間が貰う立場になりなんの疑問もなく受け取っていたのですから「馴れ」とは恐ろしいものです。この教授の方々も「モラルの落し物」をしていたことになります。
 本当は、年を重ねるほどに物事の分別がつき人格者になるのが人間のあるべき姿でしょうが、なかなかそうはなりません。生きているとつい「濁った水」も飲むのも仕方ない、と思ってしまうものです。そんな中でもできるだけ「モラルの落し物」だけはしたくないものです。
 ところで…。
 自転車を必死に漕いでいるときに落とした煙草は、諦めるのはなんとなく悔しい思いがし、帰り道で探すことにしました。そうは言いましても自転車で約25分の距離ですから見つかる可能性はとても低い確率です。それでも挑戦することにしました。
 行きも帰りも同じ道を走ったのですが、いつ落としたのかもわかりません。つまり、行きも返りも道路の左側を走ったので道路の両側を探す必要がありました。狭い道は、僕が主に左側を見て妻が右側を見ました。広い道では僕は左側を走り妻は右側を走りました。
 目を皿のようにして道路を見ていますとコンビニの袋やカップ麺の潰れたものなどゴミがたくさん落ちていることに気がつきます。みなさん、平気でゴミを道路に捨てているのですね。ここでも「モラルの落し物」を感じました。
 そんなことを感じながら走っていますと妻が言いました。
「ねぇ、見つけるの無理じゃない?」
 確かに…。それまで約10分ほどの距離を走ったのですが、電燈があるとはいえ夜です。しかも道路の隅っこは明かりが当たりにくい場所です。その中で煙草の小さな箱を見つけるのは至難の業です。
 妻に言われて少し気持ちが萎えてきた僕ですが、やはり諦め切れません。そのまま走っていますとテニスクラブの前に来ました。このテニスクラブは店と家の中間より少し家よりの場所にあります。つまり半分の距離を走ったことになるわけです。
「無理か…」
 僕がそう思ったときテニスコートの金網の下に煙草らしきものが見えました。僕は自転車から降りその小さな箱を手にしました。
 …僕の煙草です。反対側を走っていた妻に叫びました。
「あったー!」
 妻が大きな声で聞き返してきました。
「ホントに自分が落とした煙草なのー!?」
「うん! だって2本しか入ってなかったから…」
 かくして僕は落し物を探し出すことができました。僕はつくづく思いました。落し物を見つけるコツは、来た道を丁寧に引き返すことなのですね。…どこかで落としてしまったモラルも引き返すことで見つかるかもしれません。
 じゃ、また。

紙.gif4コマ漫画
ジャーック!




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