<ビジネスマン度>

pressココロ上




 やはり、書かずにはいられない。
 僕はこのコラムで幾度か光市母子殺人事件について書いています。遺族である本村氏の言動に感心し感動したのがその理由ですが、「取り上げすぎではないか」と自分自身に疑問も感じてもいました。専門家でもなく知識人でもない市井の一人に過ぎない僕ごときが、しかもテーマが「脱サラ」である僕のサイト上に書くことが、相応しいとは思えなかったからです。
 それでも、やはり書かずにはいられません。
 「なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日」。
 この本は本村氏を事件が起きた日から裁判が終わるまでを追ったドキュメンタリーです。僕は、この本を読みながら何度胸が締め付けられそして人生について考えさせられたでしょう。この本のすばらしさは本村氏のその生き方、考え方によることも大きいですが、それを読者に伝える著者の筆力にも大きくよっているように思います。決して感情的な部分を前面に出すことなく淡々と、けれど本村氏の心情をその襞の細部まで丁寧に伝えているような印象を持ちました。
 事件のあと、本村氏は自分を責めます。仕事に一生懸命励んだことが事件を起こした原因ではないか、と悩んでいました。事件当日、「もっと早く帰宅していたなら妻と子は事件に遭わなかったかもしれない」と考えたのでした。自分が仕事に一生懸命取り組むことは自己満足に過ぎないのではないか…。なんのために仕事をするのか…。
 もし、僕に一生働かなくとも生活できるだけのお金があったなら仕事などしない
で毎日好きなことをして過ごします。しかしそのようなお金はありませんので働いています。その意味では仕事は「生活するため」にしています。そして結婚して家族を持ったなら自分個人だけでなく「家族とともに生活するため」に仕事をしています。
 では、どこまで仕事に励めばいいのか?
 家族を犠牲にしてまで働く意味があるのか?
 本村氏が自分を責めた要因はそのまま「仕事に対する取り組み方をどのように考えるか」に尽きます。僕は、脱サラをしてから「仕事が一番」と考えてきました。なにをするにも仕事優先で過ごしてきました。本村氏はこの生き方に疑問を呈しています。僕はその疑問に対して自信のある答えが見つかりません。
 本の中で、本村氏の上司が出てきます。僕はマスコミなどがなにかを報道するときその報道がどこまで実態を報じているか、をいつも考えます。そのときに基準にするのは「報道される事象を取り囲む生活」でありそれを成り立たせるのに必要な「お金の工面」についてです。
 例えば、ある人が寝食も忘れて必死に努力をして成功したとします。僕はそういうとき「その間の生活費はどのようにして工面していたのか?」と考えます。これなくしては「必死に努力」などできないからです。もし、その「努力の間」をお金持ちの親から生活費を全て面倒をみてもらっていたなら「必死の努力」も興ざめしてしまいます。
 僕は事件以降の本村氏がどのようにして収入を得ているのか疑問に思っていました。仕事もせずに収入もなく、もし親の援助だけで生活し裁判に臨んでいたなら僕の本村氏に対する感動も薄いものになってしまいます。この本は僕の疑問を解いてくれました。そして「会社のあるべき姿」、そして「上司のあるべき姿」についても考えさせてくれました。
 一言で言ってしまうなら、本村氏の会社の上司は尊敬に値する人です。もし、本村氏の上司が名前だけの役職で問題が降りかかると逃げることばかりを考える管理職であったなら今の本村氏はいなかった、とまで思いました。
 僕がマスコミを通して本村氏の行動を知る限りではその上司は一度も出てきません。しかし、本村氏が自暴自棄にならずギリギリのところで、社会に自分の意見を主張できる立場でいられたのは上司のアドバイスの力です。僕は、そう思います。世間的には有名でもなく一社員に過ぎない人の中にもこんなに素晴らしい人がいます。
 本村氏が退職を決意しそれを上司に伝えたとき上司は本村氏に言いました。
「社会人たれ!」
 詳しくは本を読んでいただきたいのですが、上司の導きがどれほど本村氏を救ったか想像に難くありません。しかし、世の中を見渡してみますとみんながみんなが「尊敬に値する上司」であるとは限りません。中には「自分の保身だけを考える」上司に相応しくない上司がいるのも事実です。みなさんの上司はいかがでしょうか? しかし、部下は上司を選べません。尊敬できる上司に出会えるかどうかは運でしかありません。読者の中に若い会社員の方がいましたら、みなさんが素敵な上司にめぐり合えることを祈っています。
 また、僕は上司という存在についてと同時に「会社のあり方」についても考えました。やはり会社というのは大きいほうがよいのです。本村氏が退職を願い出たときに上司が答える言葉の中にそれが表れていました。もし本村氏が中小零細企業に勤めていたなら会社にとどまることはできなかったでしょう。そうした会社には本村氏を守る余裕がないからです。企業規模が大きいからこそできることです。
 このように書きますと語弊があります。大企業でなくともよいのです。正確に言うならば社員を守れるだけの企業規模が必要ということです。そしてもっと重要なことは会社が社員を大切にする気持ちがあるかどうかです。みなさんの勤めている会社はどうでしょうか?
 社員を大切にする気持ちがあり、それを実行できるだけの規模の企業であるためには企業の業績がよくなければなりません。そのためには企業は従業員にある程度厳しさを求めなければなりません。そうしますと従業員は厳しさに応えられるだけの労働意識が必要です。…果たして、仕事はいったいどこまで一生懸命に取り組めばよいのでしょう。最初の疑問に戻ってしまいました。
 本村氏の本は、そんなことを僕に考えさせました。
 ところで…。
 自衛官の自殺が増えているそうです。先日は自殺した自衛官の遺族が上司と防衛省を訴えた事件をニュースで報じていました。自殺した原因は先輩や上司によるイジメである、と主張しています。僕はそういうニュースを聞くたびにいつも思います。なぜ、逃げ出さなかったのか? 退職しなかったのか? 辛抱すること我慢することはとても大切です。しかし自殺するほど苦しいのであれば「退職する」という選択もあったはずです。自衛隊に限らずどんな職場であろうと、職場はただ働く場所でしかないはずです。人生を過ごす中でのほんの一部分にすぎません。そんな一部分のために人生という全てを捨てるなんて…。
 「ビジネスマン」から「ビジネス」をとってもちゃんと「マン」は残ります。
 じゃ、、また。




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