<適正報酬>

pressココロ上




 本年、1回目の<じゃ、また>です。今年もよろしくお願いいたします。
 僕は、昨年の途中から悩んでいることがありました。それは、
「人々はいったいいくら報酬をもらったら満足するのだろうか?」
 もちろん誰しも「たくさん報酬がほしい」と考えます。お金がたくさんあれば欲しいものが買えますし大きな家に住むこともできます。つまり、贅沢ができることです。これは人間が持つ自然の欲求と言ってもよいでしょう。しかし、その「度合い」は人それぞれです。その「度合い」が悩みの種でした。
 そんな僕ですので、やはり年末年始の「年越し派遣村」についてのニュースは気になりました。
 契約を切られた派遣の人たちが日比谷公園で年を越しました。そのあと厚労省宿舎に移動し、またそのあと厚労省が用意した4つの施設に移動したそうです。そのうえ、生活保護申請まで行ったというのですから驚きでした。
 僕の正直な感想は「一線を越えた」でした。厚労省が宿舎に受け入れたのは誤った対応だったと思います。生活保護申請をやることまで追い込まれたのは「入れた」段階で決まったも同然です。この全体の流れを見ていますと、年越し派遣村の主催者は、派遣切りされた人たちを救済するという目的以上の意図があるように思えてしまいます。
 ニュースでは、経団連の会合に押しかけている映像も流れていましたが、「目的以上の意図」をより強く感じてしまいました。厚労省は今回の事態をどのように収束するつもりなのでしょう。
 それはともかく、派遣切りが行われたのは企業の業績が悪化し余剰人員となったからです。今後の展開では、派遣にとどまらず正社員の解雇もあり得ます。今の経済状況では、企業が人件費を減らす方向に進むのは自然と流れです。
 人件費を減らすには、解雇により「人員を減らす」か「賃金を減らす」しか方法はありません。もし、解雇を避けたいなら賃金を減らさざるを得ません。しかし、賃金はいくらまでなら従業員の人たちは受け入れられるのでしょう。
 昨年は救急医療の問題点が表面化した年でもありました。救急車を依頼した妊婦さんが受け入れ病院が決まらず、たらい回しにされ結局死亡してしまった事件などもあり、救急患者を受け入れない病院が問題視されることも多くありました。そして注目されるようになったのが、医師の方々の悲惨な労働環境であり、それに伴う医師不足です。
 深夜のドキュメント番組で見たのですが、医師不足を解決するにはやはり報酬でした。病院は高い報酬を提示して医師の確保に奔走しているようです。番組では医師をスカウトする人が「一千万円」「二千万円」というような高い報酬額をなんの躊躇いもなく普通に口にしていましたが、一般の人たちからすると別世界です。最低でもそのくらいは提示しないと医師たちは興味を示さないようでした。そのときに僕の悩みの種が生まれたのでした。この報酬額は適正なのだろうか? そして一般の人たちは、医師のこの報酬をどのように感じるのだろうか? 納得するのだろうか?
 新聞で読んだ記事では、研修医は給料が安いのでそれを補う意味でアルバイトをするそうです。そのアルバイト料が一晩6万円。その新聞の折込求人案内で見た交通誘導のバイト料が一晩9,500円。その差、約6倍です。医師と交通誘導では仕事の「専門性」や「高度さ」などいろいろな面で大きな違いがありますので差があるのは当然ですが、それでも6倍という差を一般の人はどのように感じるのでしょう。
 高額報酬として医師のほかに思い浮かぶのは弁護士です。最近、弁護士に関する本を読みましたが、弁護士の報酬も一般の人たちとはかけ離れていました。弁護士という職業は社会の弱者のために活動するのが使命だと思っていましたが、本に書いてあった報酬額を知りますと単純にそうとも言えないようです。
 オウム事件で襲われた坂本弁護士のなどのよう報酬に関係なく弁護士業務を行っている人もいます。そうした人たちは、ほとんど無報酬に近い依頼でも弁護士の信念に基づいて活動しているようです。
 反対に、高額報酬のみの仕事だけを受けるだけの弁護士もいます。以前、新聞で読んだ弁護士は業界でも高名の方でしたが、自分の報酬を時給に換算すると「8万円くらい」と笑い飛ばしていました。
 どんなに聖職と思われる職業であろうと、社会がその職業に従事いる人に対して無報酬を求めるのは間違っています。仕事は自分の生活を営むための糧となるものですから当然です。けれど、やはりその「度合い」が気になります。一方で、無報酬に近くとも引き受け入れる弁護士がおり、もう一方で高額報酬でないと引き受けない弁護士がいる弁護士という職業、いったい「適正報酬」はいくらなのでしょう。
 いま紹介しました2つの職業はどちらも専門性が高く、高額報酬であっても一般の人に受け入れられやすい職業です。しかし、もしこれら2つの報酬を低く抑えたなら助かる人が増えるのは間違いありません。医師の報酬は税金からも支払われますので国の財政に有益ですし、そのことは取りも直さず国民にとって喜ばしいことです。弁護士についても、依頼する費用が安くなることは「敷居が低く」なることですので、依頼費の高額に二の足を踏んでいた人たちが「泣き寝入り」することが少なくなるはずです。
 …だからと言って、「低額に甘んじろ」というのも現実的ではありません。あまりに低額ですと、その職業に従事する人がいなくなってしまいます。
 実は、この2つの職業には共通点があります。それは規制です。どちらも国家試験に合格した人しか従事できない職業です。つまり、従事できる人数が限られていますので一般社会にはある競争がない業界です。このことは報酬という面で見ますと、国家が報酬額を決めていることにもなります。
 これらの業界で、もし、報酬額が高いという世論が高まったなら国家は報酬額を抑えるように対応するでしょう。つまり、一般の人たちが許容する範囲内に納まるようになるはずです。いったい私たちは「適正報酬」はいくらと考えればよいのでしょう。
 競争が存在する社会では自然と決まります。報酬が高額になりすぎたなら企業は人件費に圧迫され成り立ちませんのでその職業が消失するか、もしくは低額に修正されます。反対に、低額すぎたならその職業を選択する人が少なくなりますので高額に修正されるはずです。
 今から約12~3年前、ちょうど野茂選手が渡米する前年くらいですが、大リーグはストライキを行っていました。選手側と経営側が利益の分配で対立したからです。このときファンは「億万長者と百万長者のけんか」と揶揄して離れてしまいました。つまり高額報酬同士の対立とそっぽを向いたわけです。それを教訓に現在の大リーグの報酬は決まっていきました。大リーグの報酬は一般の人たちからしますと高額ですが、ファンが戻ってきたところをみますと、落ち着くべき額に落ち着いたと考えてよいのでしょう。高額であっても一般の人が受容できる額であるなら問題はないのです。
 さて、日本において、医師と弁護士、適正報酬はいくらなのでしょう…。
 ところで…。
 僕の店には90才を越えようかという年配の女性が買いにきてくれます。1回の購入額は多くはありませんが、ほぼ毎日来てくれていますので、僕にとっては感謝しても感謝しきれないお客様です。
 そのおばあさんが、僕が店を留守にしているときに買いにきたそうです。僕が店に戻ると、妻がうれしそうな顔で報告しました。
「いつものおばあさんが来たよ」
「へぇ、僕のこと、なんか言ってなかった?」
 僕の質問に妻は、笑顔になって言いました。
「あのね、わたしに向かって『おたくさんは、お父さんにそっくりね』って」
 妻が言うには、おばあさんは、妻を僕の娘と思っている、とのことです。
 そう言うときの妻のうれしそうな顔。女って単純ですぅ~。
 じゃ、また。
 今年もよろしく~。




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