<職業選択の自由>

pressココロ上




 僕は、毎日自サイトの分析ツールを見ていますが、そのときに気なることがあります。それは検索単語です。
 話を進める前に、少し横道に逸れた話をします。僕のコラムをずっと読んでくださっている方の中には気がついている方がいらっしゃるかもしれませんが、僕は定期的に検索について書いています。これは偶然ではなく意識的にそうしています。理由は、読者の方の参考になるような気がしているからです。なんとくなくそんな気がしてるんですけど…。
 話を戻しますと、僕のサイトは、現在、GoogleでもYafooでも「脱サラ」「ラーメン」を基本に、それプラス「開業」とか「資金」などという単語で検索されています。うれしいことに必ず上位に入っていますので、これらの単語で検索した方は僕のサイトを訪問してくださっています。
 ところが、昨年4月のこのコラムでも少し書きましたが、1ヶ月~2ヶ月に1回の割合で、「不倫」「おばさん」という単語で検索して僕のサイトを訪問する方がいらっしゃいます。それは現在も続いているのですが、当初、僕は不思議でした。僕のサイトには官能的な文章が「ないはず」だからです。しかし、実際に「不倫」「おばさん」で訪問する方がいますので、「理由はわからないけどそういうこともあるだろうな」くらいに考えていました。そのときの僕はこう考えていました。
 誰かが僕のサイトのどこかに官能的な宣伝バナーを勝手に貼り付けたのかもしれない、と。
 ところが、ある日、調べてみますと、僕のサイトに「不倫」「おばさん」という単語が含まれていることがわかりました。自分でも忘れていたのですが、小説コーナーの「お天とうさま」に入っていました。しかし、この中での使い方は決して官能的な感じではなく主人公の叔母にあたる人物が登場するときに紹介する場面で使っているに過ぎません。普通に考えて、これらの単語から連想するのはやはりエロ系です。それにも関わらず、「お天とうさま」はエロ物語ではありませんが、「不倫」「おばさん」で検索されてしまっています。しかも上位で…。
 僕は考えました。これはアルゴリズムという奴に関係しているのではないか、と。そこでアルゴリズムについて調べてみました。下記は宇野 毅明さんというHPからの引用です。
「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことなんですが、広く考えれば、何か物事を行うときの「やり方」のことだと言っていいでしょう。その「やり方」を工夫して、より良いやり方を見つけよう、というのが、アルゴリズムの研究です。同じ計算を行うんだったら、いい方法でやればより速く計算できますね、ということです。
 僕なりに解釈してみますと、たくさんあるサイトの中から自分が知りたい最適な情報を探し出す計算方法。…こんな感じですか。
 以前読んだ本に、googleは定期的にアルゴリズムを変えている、と書いてありました。また、リンクが多いサイトは支持されている可能性が高いので検索上位に表示される、とも書いてありました。このようなことから、例え官能的な単語であろうと、検索上位にくるということはそれだけ「読まれている証」になるような気がしますので、それなりにうれしくもあります。
 検索とは、天文学的にあるサイトの中から自分の知りたい情報を探し出すことですが、これはつまり「選び続けた結果」もしくは「選び抜いた結果」と言えます。googleが成長した一番の理由もやはりこれを瞬時に行うようにした点に尽きると思います。ただし、googleが成長した理由についてなにかの本に次のように書かれていました。
「若い創業者が優秀な経営者を雇い入れたことにある」
 確かにこの検索技術はすごい発明ですが、企業として成長できるかどうかはまた違う観点が必要です。「資本と経営の分離」とはよく言われることですが、「技術と経営の分離」も同じように企業にとって大切な要諦です。どんなに優れた技術や製品を発明したところでそれを販売する能力がないならなんの意味もありません。
 以前、僕はこのコラムで青色発光ダイオードを発明した中村修二氏について書いたことがありますが、僕が中村氏に対してもろ手を挙げて支持できない理由はこの点にありました。
 それはともかく、一般的には選ぶ対象が多いことは喜ばれることです。少ない範囲の中から選ぶよりは多くの範囲の中から選んだほうが自分が気に入ったものが手に入りやすいはずです。しかし、選ぶ範囲があまりに多いとそれだけ悩まなければならないことでもあります。簡単に言うなら「選ぶのが多すぎて困っちゃう」です。それでも、選べる自由があることは幸せなことです。
 さて、ここまで書いてきてやっと今週のテーマに近づいてまいりました。
 現代の日本は職業の選択が自由です。昔のように身分により制限があるわけではなくたくさんの職種の中から自分の気に入った職業を選ぶことができます。そんな中、昨年来、派遣切りが問題になっています。これは働く側にとってみますと、仕事がなくなることです。しかし、実は、ここ数年人手不足で困っている業界もあります。外食産業やヘルパーさんなど大きな括りではサービス業と言ってよい職種です。外食産業などは人手不足で閉店に追い込まれている店もあるほどです。
 一方で「人手が余り」もう一方で「人手が足りない」。これほど無駄なことはありません。政治家や評論家の方々はこういう状態を「ミスマッチ」などと表現しますが、僕はそうした単純な状態ではないように思うことがあります。派遣切りをされた方々が製造業にこだわりすぎているように感じます。工場で働く以外の職場もあるはずです。職業の選択の自由があるのですから、ほかの業種も職場の1つとして考えてほしいと思っています。僕はその点が疑問であり納得できないところです。
 僕は、いろいろな職場を経験していますが、中には人が嫌がる職場もありました。そうした職場で働いている人たちは決して「好きで」「喜んで」そこで働いているわけではありません。皆さん、収入を補うため、生きるために仕方なくその仕事に従事しているのが実際の姿でした。全員が全員、自分が好きな仕事だけを選べるわけではありません。好きでなくとも仕方なく働いている人もたくさんいます。そういう人たちを見てきますと、昨今マスコミを賑わせている派遣切りされ「職場を失った」と声高に主張している人たちに対して、僕はもろ手をあげて支持できない気持ちがあります。
 ところで…。
 学校に通っている子供たちは、ときに「なんで学校に行かなくちゃいけないの?」と質問してくることがあります。僕は、基本的には「子供は勉強が嫌いな人種」と思っていますのでこのような疑問を持つことは自然な感情だと思います。
 もし、僕が子供や学生からそのような質問を受けたなら、僕の答えは決まっています。
「職業を選ぶ幅が広がるからだよ」
 もし、子供の段階でやりたことが決まっていたなら、学校に通う、ましてや進学などしなくてもよいとまで思っています。しかし、普通は子供はやりたいことなど決まっているものではありません。そうであるなら将来の職業の選択の自由を満喫するために進学し勉強することは理に適っています。どんなことでも、選択の幅が広いことはとてもよい状態です。子供の皆さん、学生の皆さん、勉強をしましょう。もちろん、大人もです。
 じゃ、また




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