<インフラ>

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 今週の本コーナーではインドと中国に関する本を紹介しています。この2つの国については今まで疑問に思うことがありましたのでいつも気になっていました。そんな中先日、偶然にも、同じ日にそれぞれの国について書いてある本を見つけましたので購入し読んだ次第です。
 まず、インドの疑問について。
 僕がインドについての一番の疑問は「貧しさ」と「IT産業」の不釣合いさです。一般的にインド=貧しさと連想しますが、その連想とは正反対である世界の先端を走っているIT産業も有名です。アメリカでパソコンなどのヘルプセンターに問い合わせると遠く離れたインドで受けていることは以前より知られていることです。それほどIT産業が進んでいる国と貧しさがどうしても結びつきません。しかし、貧しい人がいることも事実です。
 インドという言葉から連想するものとしては、貧しさとともにカースト制があります。そのほかに仏教発祥の地としても有名です。僕は貧しさとカースト制は一対になっていると思っていました。因みに、現在ではインドにおける最も信仰されている宗教はヒンズー教だそうで、仏教は数パーセントに過ぎないそうです。
 僕がインドに関する本で最初に読んだのは「女盗賊プーラン」という本です。10年ほど前にベストセラーになった本ですのでご存知の方も多いでしょう。カースト制の最底辺に属していたプーランさんが普通の人では乗り越えられない試練を乗り越え最後は国会議員にまでなった自伝ですが、驚きと感動なしでは読めません。
 プーランさんは日本に来たこともありますが、残念ながら2001年に射殺されています。僕はプーランさんの死を新聞の片隅の記事で知ったのですが、そのときプーランさんの人生について思いをめぐらせてしまいました。
 インドで最近最も話題になったのはアカデミー賞受賞でしょう。こうしたことから考えますと、貧しさも事実ですが、豊かであることも事実のようです。豊かでない国の映画がアカデミー賞をとるわけはありません。
 結局、この本を読んで思ったのはインドは貧しさと豊かさの両面を持っている国、それがインドです。カースト制についてこの本はわかりやすい例えをしていました。インドにおけるカースト制は日本でいう同和問題と似たような面を持っているそうです。そういう目で見るとインドの貧しさと豊かさが同居しているのも理解できるような気がします。
 次に、中国です。
 この本は旧三和銀行が中国で奮闘している様子を紹介しているのですが、銀行の経済社会における本来あるべき姿が書かれているように感じました。80年代後半から銀行は本来の姿からはずれた道を進んでいったのかもしれません。銀行はあくまで経済活動の黒子でなければいけないのではないでしょうか。金融は産業界の血液に例えられることがありますが、血液が前面に出てしまっては産業界も死んでしまいます。
 以前、本コーナーで文化大革命に関する本を紹介したことがありますが、僕が中国について感じる疑問はやはり文革に関連します。しかし、この本は文革には直接触れていませんが、その期間にも三和銀行は営業を営んでいました。つまり、文革期間中であっても文革は中国の一部分でしかないようでした。日本人が思っている文革と中国の方が感じている文革は違うのかもしれません。
 中国が資本主義を導入しているのは衆知の事実ですが、この本によりますと、社会主義の中の資本主義であることがわかります。純粋な資本主義ではないのですが、最近の資本主義の金融不安を考えますと、もしかすると中国の資本主義が理想の資本主義ではないか、とさえ思っていまいます。しかし、新聞を読みますと中国も問題が山積しているようですから世界が幸せになる資本主義は簡単に見つかりそうもありません。ただ、今後中国が世界の経済界において重要な位置を占めるのは間違いないでしょう。なにしろ広大な土地と13億の民がいるのですから…。
 僕は今回、インドと中国の本を読んだわけですが、どちらにも共通する感想を持ちました。両国とも経済発展が著しいのですが、その理由は外資導入に成功しているからです。欧米から、日本もですが、工場などがどんどん進出していることが発展した理由です。そして大切なことは外資が進出を希望するだけのインフラが整っていることでした。両国とも発展しているのは国の一地域に限られています。その一地域とはインフラが整っている地域でした。
 進出する企業にしてみますと、電気が通っていて、道路が整備されていて、通信施設が完備されていない所では活動などできるものではありません。インフラが整っていることは進出する企業にとって必須な条件です。
 このように企業にとってインフラはとても大切な条件ですが、新しく店舗を開業するときも同様です。店舗の場合のインフラとは人通りや立地条件なども含みますが、インフラが整っていない場所でいくら工夫をしても成功することはできないでしょう。
 インフラとは新たなものを受け入れるために整えておく必要があるものです。それを怠るならいつまでも新たなものは入り込んできません。なぜなら、入るべき環境がないからです。
 世の中には、いろいろな人間がいます。優しい人や心配りが細やかな人や、思いやりがある人などさまざまです。反対にいじわるな人な横柄な人や、傲慢な人もいます。人間は生きているといろいろな体験をします。そしてその体験の中から他人に対する自分の行いを学んでいきます。優しい人や思いやりがある人たちは、そうした経験から学んで自己を形成してきた方々です。
 例えば、他人から意地悪をされたなら、そのときの悲しい気持ちや辛い気持ちを実感し「自分は他人に対して優しい人間になろう」などと考えます。しかし、同じような体験をしながら同じように考えない人もいます。反対に、「他人に同じ辛い目にあわせてやろう」などと考える人もいるかもしれません。この違いは、その人の持つ心のインフラにあるように思います。新しい体験をするとき、その体験を受け入れるに足る心のインフラが整っている必要があります。もし、心のインフラが整っていないなら、いくらいろいろな体験をしようがそれを活かすことはいつまで経ってもできないでしょう。
 みなさん、心のインフラは整っていますか?
 ところで…。
 僕は販売業を営んでいますので、感じの悪いお客様というのも経験しています。ですので自分がお客さんの立場になったときは売る側の人の気持ちにも心配りをするように心がけています。具体的には、お店の人に挨拶をしたり会釈をしたりなどお店の人が感じよく働けるように振舞います。
 しかし、僕と同じ経験をしているはずの妻はそうではありません。決して傲慢というわけではないのですが、僕からするとどこか冷たい感じがしてしまいます。そんな妻を見ていますので、僕はことあるごとに「もっと笑顔なお客さんでいろ」と話しています。しかし、なかなか実行に移してくれないんですよねぇ。
 僕は考えました。このままでは僕たち夫婦は死んだあとに離れ離れになってしまいます。もちろん、僕は天国に行けますが、この調子では妻は天国には行けそうもありません。そこで、今回僕は新しい委員会を立ち上げることにしました。その名称は
「妻を天国に行かせる委員会」。
 どこかで見かけたら、委員長は僕です。
 じゃ、また。




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