<末端の労働現場>>

pressココロ上




 労働組合・連合会長が記者会見をしましたが、春闘の結果をみますと、労組側の完敗と言ってもよいのではないでしょうか。しかし、僕個人の見解としては、そもそも今の経済状況の中で賃上げを望むこと自体に無理があったように思います。大企業の多くが業績を落とし、あのトヨタさえ赤字に陥っている景況で企業が賃上げを受け入れるはずがありません。連合は本気で賃上げを勝ち取れると思っていたのでしょうか。もし、そうであったなら、連合はあまりにも世間からかけ離れた存在であることを証明したようなものです。
 僕は以前から書いていますが、労働組合と言いながらその組織率がわずか20%では労働者の代表とは言えません。連合は労働者の中のエリートだけの集団になってしまったように感じます。社会の末端で虐げられている労働者たちの声を代弁する本当の労働組合が出てくることを願っています。
 先週、農林水産省におけるヤミ専従の報道がありました。簡単に説明するなら、勤務時間中に組合活動を行っていた事件ですが、その横暴ぶりには驚かされるばかりです。労組の負の側面は「できるだけ働かない職場にすること」ですが、まさにそれを目指しているような覚書が暴露されました。昨年、似たような覚書が社会保険庁でも暴露されましたが、こうした実態を知った末端で必死に働いている労働者の人たちはどんな気持ちになったでしょう。農水省も社会保険庁も親方日の丸ですが、もし民間会社であったならこのような企業は間違いなく倒産しているでしょう。
 ヤミ専従がまかり通っていたのは、なんと言っても労働組合の力が強いからです。このように書いても読者の中にはピンとこない方もいるのではないでしょうか。普通の企業で働いていてはこのように強い組合を身近で感じることがないはずです。これほど強い労働組合は昔はありましたが、現在では民間企業ではほとんどありません。
 読者の中には「勤務時間中に仕事をせず組合活動をやること」を「なぜ、上司は注意をしないのか?」または「許すのか?」と疑問に思う方もいるでしょう。その理由は「恐い」からです。例えば、集団で組合員から吊るし上げられたなら普通の人でしたら恐怖を覚えます。僕は、中国の文化大革命の近衛兵を連想してしまいます。ヤミ専従が行われていた理由がおわかりになったでしょうか。先日の新聞に、大手航空会社の組合がストライキをすると報道されていましたが、今の経済状況でストをやるのは労働者のエリートの発想でしかないと思います。大手航空会社はどちらも組合が5つも6つもあり強い労働組合を象徴しています。これではいつまで経っても業績向上は望めないでしょう。
 こうした労働者のエリートの人たちの対極にいるのが非正規社員の人たちです。その境遇はあまりに離れすぎています。ひと口に労働者と言いますが、格差社会が定着しつつある今、労働者を一括りにはできないように思います。社会を分けるなら、経営者・労働者に関係なく上流階層と下流階層です。
 先日、鎌田慧氏の「ぼくが世の中に学んだこと」という本を読みました。鎌田氏は常に社会の弱者の立場から見た働く現場を書いているジャーナリストです。この本は少し古い本ですが、この本にはそれこそ下流階層の人たちが働く現場が書かれています。その現場の一つとしてトヨタ自動車の工場が出てきます。
 僕は経営に関する本を読むことが多いのですが、それらは全て経営者の立場から見た現場です。如何にしてヒト、モノ、カネを効率よく有効に使うかが書いてあります。中でも有名なのがトヨタのジャストインタイムやかんばん方式です。これらのノウハウは製造業の規範とされるほど賞賛され、つい数年前まで自動車メーカーの頂点を極め、現在は倒産の危機に瀕しているGMさえも取り入れていたノウハウです。このノウハウも鎌田氏の視点から見ると決して賞賛されるノウハウではありません。労働者にとって過酷で悲惨なノウハウに過ぎないことになります。
 トヨタのノウハウを語るとき「ストップウォッチで人の動きを計る」という事例がよく紹介されます。作業する人間の動きを細かく把握し少しでも無駄な動きをなくすノウハウとして紹介されます。このノウハウは製造業に限らずいろいろな業界に導入されています。例えば、りそな銀行などもこのノウハウを導入して少ないコストでサービスを向上させたなどど言われています。また、民営化された郵便局でも導入されましたが、こちらは労働組合が強く政治家まで巻き込み経営陣が思っているほど機能していないようです。郵便局はつい数年前まで国営でしたので労働組合の強さがまだ残っているからこそできた抵抗です。
 鎌田氏の本には、氏が工場で一緒に働いていた同僚を訪ねる場面が出てきます。労働者の人間性を無視した工場を中途退職した同僚を訪ねて感想や思い出を聞いて歩いていました。
 その中の一人の方のお話が印象に残っています。その方の本業は木の伐採なのですが、時代の変化で仕事が減り工場に期間従業員として出稼ぎに出たのでした。その方は鎌田氏に工場の印象を聞かれたときこう答えています。
「工場があんなに忙しいとは思わなかった」
 その方が言うには、木の伐採は重労働ではあるが仕事の流れとしては工場ほど忙しくはないそうです。工場のように時間に追われることがないことがそう言わせるのでしょう。精神的に追い込まれることがなく、重労働とは言え「木の伐採のほうが楽」という口ぶりでした。
 この本を読みながら僕は現在問題になっている派遣切りについて考えました。現在、派遣切りが問題になり働く現場がなくなることを憂いています。そこからは工場の労働環境の悲惨さを訴える声は聞こえてきません。これらのことを考え合わせますと、やはり労働環境をウンヌン言う前に働く現場があることがまず一番だということがわかります。
 だからと言って労働環境を無視した現場でよいはずはありません。戦争時、戦場で戦っている兵士の惨状を無視した上層部の判断がどれほど多くの兵士を死に追いやったかを考えてみれば明らかです。人間性を無視した労働環境で労働者が能力を最大限に発揮できるはずがありません。
 「失われた10年」と言われる期間がありましたが、そのときに山一證券が廃業に追い込まれたりもしました。社長が涙ながらに「社員は悪くありません」と訴えた映像は世界に配信されました。その社長の姿を欧米では半ばあきれたように感じられている、と報道されていました。その姿があまりに日本的であると見下した評価でした。しかし、その日本の経営のあり方が現在アメリカで見直されています。
 金融会社AIGが政府から公的資金を受けていながら幹部に多額のボーナスを支払っていたのが批判されています。その批判の中で「日本を見習うべき」と言ったスピーチがありました。日本人としてうれしい限りです。
 …なんか今週はとめどない話がダラダラと続いてしまいましたが、今週、僕が言いたかったのは、経営の上層部または労働者のエリートの人たちは企業の末端で働いている人たちのことも思いやって判断してほしい、ということでした。
 ところで…。
 先週、妻が自動車免許の更新に行ってきました。もちろん僕もついていったのですが、妻が手続きをしているようすを見ていて僕は前回の更新時での出来事を思い出してしまいました。
 前回、妻が更新の書類を提出し視力検査も終え別室で講習会を受けているときです。僕は会場の後ろのほうにある椅子に腰掛けて講習会が終わるのを待っていました。
 会場はそれほど広くなく僕の椅子から警察官のいるカウンターまで2~3メートルほどしか離れていません。僕はなにげに視力検査をしている中年男性を見ていました。すると男性はしきりに「なにも見えません」と連呼していました。僕は耳をこらして視力検査を担当している警察官と男性のやりとりを聞きました。
 視力検査機は双眼鏡のような形をした目を当てる部分がありそこに受験者は両目をあてて検査を受けるものです。経験のある方はおわかりでしょうが、受験者は両目をあてるだけでよく、右目左目をそれぞれ検査するのは警察官が手元で操作します。右目を検査するときは左のほうを塞ぎ左目を検査するときは右のほうを塞いでそれぞれの視力を検査するシステムです。
 警察官が「それでは左目を検査します」という言葉に続いて「欠けている部分をおっしゃってください」と言いました。検査は円の一箇所が欠けておりその欠けている箇所を「右」とか「下」とか答えて見えているかどうかを計るやりかたです。
 警察官の言葉に、男性は「えっ、なにも見えません」と少し驚いたように答えました。警察官は不思議そうな顔つきで言いました。
「そんなはずはありませんから、よく見てください」
 男性はしばらく沈黙したあと焦ったように答えました。
「やっぱりなにも見えません」
 警察官は少し憮然とした顔で言いました。
「それでは、今度は反対をやってみます。今度はどうですか?」
 すると男性は一層焦った感じで答えました。
「えっ、なにも見えません」
 僕はこのとき男性の右斜め後方の場所にいたのですが、僕の位置から男性の目のあたりの筋肉の動きが見えました。僕は注意深く男性の目のあたりの筋肉の動きを見ました。そしてあることに気がついたのです。
 なんと、男性は右目の検査をしているのにその右目をつぶっていたのです。理由はわかりませんが、右目を検査しているときに右目をつぶっていました。たぶん、左目を検査しているときも左目をつぶっていたのでしょう。
 誰でも警察での検査というものは緊張するものです。男性は警察官の「それでは左目から」という言葉についつられてつぶってしまったのでしょう。
 僕は男性を見ながら心の中で叫んでいました。
「違う違う。右目を開けるんだよ。つぶんるんじゃなくて開けるんだよ」
 僕が何度も心の中で叫んでいる間も、警察官と中年男性の「見えるはずです」「えっ、見えません」のやりとりは続いていました。
 結局、男性はなにも見えず、しびれを切らした警察官は不機嫌そうな表情で「少し、休みましょう。あそこの椅子で少し目を休めてください」と男性を奥の椅子に促しました。
 妻が講習会を終え出てきましたので僕は立ち上がり中年男性が座っている椅子のほうを覗きこみました。男性は落ち込んだようすで両手でこめかみをマッサージしていました。人間ってパニックになるとなにをしでかすかわかりませんよねぇ。僕も気をつけよぉ。
 あの男性は試験に合格したのでしょうか…。
 じゃ、また。




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