<お釣り>

pressココロ上




 新年度がはじまりました。人によっては、新しい環境に変わった人もいるのではないでしょうか。新しい小学校、中学校、高校、大学に進学した人もいれば学生という身分から社会人になり緊張した気持ちで日々を送っている人もいるでしょう。人間は誰しも未知の世界に対して恐怖心を抱くものです。みなさんが新しい環境に慣れ、楽しく充実した日々を送ることを祈っています。
 僕自身で新しい環境と言えば、やはり転業をしてお店を始めたときです。そのときは緊張もしましたし不安もありました。どうにか数年が過ぎましたが、まだ不安が消えたわけではありません。早く売上げが上昇し安定した利益が確保できることを願い奮闘しています。
 そんな僕ですが、転業以来困っている、というか悩んでいることがあります。以前、このコラムで「我が娘が偶数と奇数の区別がつかない」ことを書いたことがありますが、それは父親譲りのようです。僕が困っていることはまさしく算数の計算についてです。数字に強い人からしますと笑い話になりますが、僕はどうも引き算が苦手なようです。「ようです」と自分で言っているのですから、自分でも自覚がないのです。ですが、実際に引き算がすぐにできず困っています。
 当店でもお金の精算はレジを使っています。ですから本来は困ることはないはずですが、現実問題として困っています。
 普通の流れとしては、お客様が購入した商品を一つ一つレジに打ち込みそれを合計した金額がレジに表示されます。そしてお客様からお預かりしたお金をレジに打ち込むとお釣りが計算され表示されます。このように書きますと、読者の方は「いったいどこで困るのか?」とお思いでしょう。確かに、この流れの中では僕でも困ることはありません。しかし、たったこれだけの流れの中でも、僕は「困ること」はなくても「間違えること」があります。それは単純に、お釣りを渡すときにレジからとるお金を間違えるのです。これは自分でも不思議ですが、レジに表示されている金額と違う金額をとってお釣りとして渡してしまうのです。まぁ、簡単に言ってしまえば単純ミスですね。
 以前、五千円札を出したお客様にお釣りを少なく渡したことがありました。正しいお釣りは4,680円でしたが、なぜか4,600円しか渡さなかったのです。そのお客様もお釣りを受け取ったときに気づかず、しばらくしてから戻ってきて「80円少ないこと」を言いにきました。僕自身の中でもなんとなくそんな記憶がありましたので、すぐに謝罪し80円を返しましたが、そのお客様はそれ以降来なくなってしまいました。それまでは週に二度くらいの頻度で来店していたので、僕としてはやはりショックでした。
 そのお客様が、再度来店したのは4ヵ月後です。機嫌を直してもらうのに4ヶ月かかるということです。失った信用を取り戻すのは大変ですが、久しぶりであっても戻ってきてくれたことはうれしいことです。
 「久しぶりに来店したお客様」で、ある女性を思い出しました。
 その女性は六十才半ばといった年齢でしょうか。新しく開店したお店には「一癖ある」お客様が来店することは以前から書いています。その女性は典型的な一癖お客様でした。
 来店するたびに、「こんな人通りの少ない場所に開店して大変よ」とか「陳列のやりかた」とか「メニュー構成」などを自分の体験を交えなら話すのが常でした。その女性は若い頃に自分で飲食店を営業していたようでした。
 その女性がある日、「もう少し勉強してからお店を始めればよかったのに」と僕に言いました。それまで女性が語る経営話をおとなしく聞いていただけの僕ですが、つい「商売を始めてもう20年以上経つんですよ」と言ってしまいました。そのとき、女性の驚いた表情と顔色が変わったのがわかりました。すると、女性は嫌味たっぷりに「じゃぁ、なんでこんなところで…」と言い、そして質問してきました。
「ここのは手作り?」
 僕が「違うんですよ」と答えると、「そうだと思った。やっぱり手作りじゃないのはわかるよわ」と言い捨て去って行ったお客様でした。
 その女性が先日、約1年ぶりに買いにやってきたのです。しかも笑顔で「ここのお店のはおいしいって聞いたから」と言ったのです。僕はその女性が帰ったあと、自然とニンマリ顔になりました。みなさんに、僕の勝ち誇った笑顔をお見せできないのが残念でなりません。
 話が逸れてしまいました。今週のテーマは「お釣り」でした。
 「お釣り」で僕が困るのは、お客様がヘンテコなお金を出すときなのです。普通は、購入した合計額が262円のときは500円を出したり1,000円を出したりします。こういうときは僕でも困りません。そして中にはお店の手間を考え、端数である「62円」を出してくれる人もいます。先ほどの例で言いますと、562円とか1,062円を出してお釣りを出しやすくしてくれることです。こういう場合も、僕は困りません。
 ところが、合計額が262円のとき、320円を出したりする方がいます。こういう出し方は、つまり50円玉がほしい場合なのですが、僕はこういうお金の出し方に困惑してしまうのです。最近は少しは慣れましたが、それでも262円で10,020円などを出されると一瞬固まってしまいます。
 お客様がいくらヘンテコな金額を出そうが、その金額をレジに打ち込めばレジが正しいお釣りを計算してくれます。ところが、不思議なことにそういうときに限って僕は「預かり金額」を間違って打ち込んでしまうのです。やはり一瞬固まってしまった頭が指の動きまでおかしくしてしまうようです。間違って打ち込んでしまったときに計算されて出てきた数字を見たときの僕の焦りようったら…、みなさんにお見せできないのが残念です。
 最初の頃、262円の購入合計額のとき320円を出すお客様に「えっ、300円で足りますけど」とよく言っていました。すると、お客様は「あきれたように」もしくは「あきらめたように」20円を財布にしまっていました。お客様が帰ったあとに、妻に言われました。
「あれは50円玉のお釣りがほしくて20円を出してるの」
 いやぁ、お客様たちに申し訳ない…。
 今でもやはりお釣りの受け渡しは苦手です。文科系の僕は、たぶんいつまで経ってもぎこちない「お釣り受け渡し」をするような気がしています。
 前に、人生指南について書いてある本を読んでいましたら、「人生を終えるときお釣りが出てくるような一生を送れるように頑張りましょう」といったような文章がありました。そのとき僕は思いました。お釣りの計算が苦手な僕はほかの人より不利だよなぁ…。
 ところで…。
 ある日、やはりお客様にお釣りを間違えてしまったことがありました。そのときは妻が気がついてくれたので助かったのですが、自分の心の中で落ち込んでいました。
 なんで僕は計算を間違えてしまうのだろう…。
 そんな思いがずっと心に残ったまま、仕事を終え帰りに妻とスーパーに行きました。妻が買い物をしている間、僕は喫煙所で煙草を吸うことにしました。煙草を吸いながら僕が考えたのは、やはり昼間の「お釣り間違え」についてでした。なんとかもっと計算に強くならねば、などとずっと考えていました。
 煙草を吸い終わり、喫煙所を出るときに煙草販売機が目に止まりました。ちょうど、煙草がなくなりそうでしたので、僕はポケットから千円札を出し販売機に入れセブンスターのボタンを押しました。最近のセブンスターはいろいろと種類が増え買うときに気を使います。以前、間違って同じセブンスターでも口当たりが軽い煙草のボタンを押したことがあり、それ以来慎重にボタンを押すようにしていました。その日は、お釣りを間違えたこともあり、いつもより慎重にボタンを押し出てきたセブンスターを確認し喫煙所をあとにしました。
 家に帰りご飯を食べ、食後の一服をしようとスーパーで買った煙草の封を切ろうとしたときです。僕は「あっ」と思い出しました。僕、自販機からお釣りを取るの忘れた…。昼間の「お釣り間違い」を気にしていたあまり、そして慎重にセブンスターのボタンを押すことに神経を集中させ過ぎたためにお釣りのことをすっかり忘れていたのです。…ショックでした。
 人生でも、せっかくお釣りが出るような一生を送っても、お釣りを取ることを忘れては意味ないですよねぇ。…あっ、違う、違う。よく考えたら、人生が終わるんだから元々お釣りなんて取れないんだ。そんならお釣りが出る人生送っても意味ないんですよねぇ…。
 じゃ、また。




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