<シューカツ>

pressココロ上




 昨年11月頃から、いかにもリクルートスーツという服装の若い男女が店の前を通るようになっていました。いわゆるシューカツです。マスコミ報道では、最近の就職活動は大学3年の秋から始まるそうですが、僕はそうした報道を大げさと考えていました。しかし、実際にシューカツ学生を目の当たりにするとまんざら嘘でもなさそうです。
 それでも、と僕は思ってしまいます。マスコミはある事実が全体を表していなくとも、その事実が珍しさでニュース価値があると判断するなら取り上げる習性があります。その範で言いますと、シューカツのニュースもその類いに入る可能性は多分にあります。そこで、僕はお店によく買いに来る今年4年生になった学生さんに聞いてみました。
「そんなに早くシューカツ始めたら学業に支障はないんですか?」
「ありますけど、みんながやってるから…」
 僕は社会人になってから30年過ぎましたが、その間、企業の採用活動を見ていますと同じ事の繰り返しのような気がします。企業は少しでも能力の高い学生を採りたいですから早めに動き出そうとします。そうした企業がそれぞれお互いを牽制し合い少しずつ採用活動の時期が前倒しになります。そうした動きが大学や社会から批判され経営団体が自粛を呼びかけ企業間の協定が結ばれ、そして採用活動が適切な時期に行われるように修正されます。しかし、それもつかの間いつの間にかまた採用活動が少しずつ前倒しに…。こうした流れがずっと繰り返されてきました。
 先週、企業から内々定をもらった学生が「取り消し」を不服として裁判を起こした判決がありました。結果は企業が学生に対して賠償金を支払うものでした。たぶん、企業側からすると不満でしょう。本採用ではなく、内定どころか内々定の段階でなぜ賠償する必要があるのか!と。しかし、学生の側からしますと、内々定の段階でほかの企業を回るのを控えた不満があるでしょうし、もしかすると内々定を出した企業から「縛り」を受けていた可能性もあります。そうしたことを考え合わせますと、今回の判決は妥当ではないかと第三者の僕などは思ってしまいます。
 一般的に考えて、今回の判決は企業と学生では学生の立場のほうが弱いのは明らかですしその弱い立場の学生を守ったという意味で価値があると思います。けれど、僕はあと一つ大きな価値があると思っています。それは企業の採用活動の前倒しを抑制する効果があると思うからです。
 今回の判決は、早々と学生に内定を出すことに対する責任を負うことを義務化することになりますから自ずと企業は早めの採用活動を自粛するのではないでしょうか。俗な言い方をしますと、早めに「唾をつけておいて」そのあとに「やっぱりやーめた」という安易な行動ができなくなることです。こういう意味で、今回の判決は学生にとってはもちろんのことシューカツというイベント全体にとっても意義があるように思います。
 「イベント」と僕は書きましたが、真剣に悩んでいるかもしれないシューカツ中の学生さんの方々には不謹慎な表現に感じたかもしれません。けれど、僕にはやはりそのように感じてしまいます。
 最近10年の統計では、新入社員の約3割の人が3年以内に転職しているそうです。こうした現象は、最近の若い人の意識が変わったとか終身雇用制度が瓦解したとかいろいろな意見がありますが、結局は自分の気持ちに素直な行動を起こせる時代になったことが土台にあります。もし、昔のように転職したなら仕事人として失格の烙印を押される時代だったなら3年以内の転職をすることにためらいがあったでしょう。つまるところ昔の人たちは「我慢する」しか社会人として生きて行く道がなかったような気がします。昔の人たちも自分が最も望んだ企業や職種に就いていたわけではなかったのです。
 学生は仕事のことや社会のことをほとんど知りません。情報としては知っているかもしれませんが、実際に従事するのとでは大きな違いがあります。そのような学生がシューカツをしたところで本当に自分に適した会社や仕事を選べるはずがありません。ですから僕はシューカツはイベントに過ぎないのではないかと思えるのです。
 先週、就職人気ランキングでトヨタ自動車が順位を大きく下げたことが取り上げられていました。昨年あたりまで必ず上位に入っていたトヨタが96位に落ちたのですから確かにニュースです。しかし、このランキングも果たして意味があるのか疑問です。そもそも学生が知っている企業の数などたかが知れていますし、実はそれは平均的な社会人も同じですが、世間に知られている企業名しか知りません。その中でランキングを決めているのですからなんの役にも立たないような気がします。
 そうは言いましても、やはり名の知れた企業に入社したいと思うのも学生の自然な気持ちです。かく言う僕自身もそうでした。
 僕は、大学受験のときに模試で示された偏差値に見合った大学を受験しましたが、それと同様に大学の偏差値に見合った企業に照準を合わせて就職を考えていました。とは言いつつそれほど真剣に就職活動をしたわけではないのですが…。それはひとまず置いておいて、僕のこの考えは学生の一般的な考えだったように思います。例えば、超一流の企業に入社できるのはやはり超一流の偏差値の大学だけなのが現実ですから当然です。たぶん、現在の状況も同じなのではないでしょうか。
 仮に、平凡な偏差値の学生が超一流の偏差値の人間が集まった企業に運よく入社できたとしても勤めだしてから苦痛になるはずです。企業で働くということは、一日の、そして一年の、さらに言うなら一生の大半を職場で過ごすことです。そうした職場が苦痛であったならどんなに高い給料であろうと幸せな人生とはいえなくなってしまいます。
「人間のほとんどの悩みは人間関係である」という格言があります。どんなに有名な一流の企業に勤めていようが、職場での人間関係がうまくいかないなら気持ちよく働くことはできません。ましてや自分の実力を発揮することなど望めません。シューカツをしているみなさんが、自分が気持ちよく働ける職場にめぐり合えることを願っています。
 しかし、問題なのはシューカツの段階では職場の雰囲気がわからないことです。実際に現場で働いてみないとわからないのです。仮に、当初は同僚や先輩や上司に恵まれ人間関係がスムーズにいっていたとしても、転勤することもあります。そうしたとき同じように恵まれた環境になるという保証は全くありません。そうなのです。環境は常に変化するのです。ドラッカー氏の言葉を借りるなら「変化はコントロールできない」のです。
 どんなに一生懸命考えてシューカツをしようが、実際に働いてみないと吉とでるか凶と出るか誰にもわかりません。シューカツのあとの仕事人としても同様です。僕がシューカツをイベントに過ぎないと思う理由はここにあります。シューカツ中のみなさん、あまり悩まず気楽にマイペースで活動してください。
 最後に、僕の知り合いの娘さんのお話をしましょう。
 彼女はマイペース人間というか、ノンビリ屋というか、3年の終わりごろから周りの学生が就職活動を始めても一向に就職に向けた活動をしませんでした。ある友だちは先輩が勤める企業を訪問したり、またある友だちは企業セミナーに参加したりしていましたが、彼女はそうした活動を全くしていませんでした。
 そして4年の夏を過ぎ秋を迎えようかいうときに、彼女はようやっと就職活動を考えるようになりました。そして、実際に動いてみて彼女は知ります。ほとんどの企業ではすでに当年の採用活動を終了していたのです。彼女はいろいろな企業に問い合わせてみましたが、どこも面接さえしてくれませんでした。そこで彼女はある行動をとりました。
 電話でアポイントとっても埒があかないので直接会社を訪問し、面接を受けさせてもらったのです。大手の名の知れた超一流と言ってもよい企業です。
 彼女はある程度英語が話せます。それをアピールしとうとう入社試験に合格してしまったのです。彼女には英語が話せるという特技がありましたが、それを割り引いても採用活動が終わった時期に積極的に動き入社を勝ち取ったのですからやはり褒められるべきでしょう。
 シューカツ中のみなさん、彼女を参考にして最後まであきらめずに自分を追い込まずに頑張ってください。
 ところで…。
 僕の就職活動はあまり褒められたものではありませんでした。もうかなり昔のことなので記憶が曖昧ですが、当時は4年の夏くらいから就職活動を始めるのが一般的だったような気がします。僕が動き出したのは秋くらいでしょうか、とにかく熱心ではありませんでした。
 周りの友人たちが必死に動き回る中、あまり気が進まず、一応会社訪問を幾つかはしましたが内定をもらうこともなく日々が過ぎていきました。そんな僕を見て心配した友人が「誰でも受かるスーパーがあるからそこにでも行ってこい」とアドバイスをしてくれました。
 僕は言われるままそのスーパーに面接に行きました。すると友人の話したとおり「応募するだけ」で採用が決まったのでした。このように僕は真剣に考えることもなくそのスーパーに就職しました。僕は安易に就職先を決めたので若い方の参考にはならないでしょう。
 しかし、適当に就職を決めたとはいえ、僕はそこで今の妻と知り合い結婚したのですからそれほど悪い選択ではなかったように思います。人生はなにが幸いするかわかりません。
 …あっ、幸いじゃなかったんだ…。
 じゃ、また。




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