<窓>

pressココロ上




 スマップの草薙さんが逮捕され騒がれていますが、事件の内容から考えますと、大手新聞までもが社会面でデカデカと取り上げるほどのものではないように思います。それよりも僕は次の事件のほうに心を奪われました。
 大阪市で母親が犯人である女児遺棄事件がありました。僕はこういう事件にとても強く反応してしまいます。本当に悲しくてやりきれません。まだ9才という年齢で誰からも助けられることなく殺されてしまった女の子…。報道では日頃から虐待があったようですが、正に地獄にいるようだったでしょう。生きて行くことの楽しさを全く知らずにこの世を去ってしまったのかと思うと、心が痛みます。
 このような事件では、ある特定の個人を責めてはいけないと思いますが、なぜ周りの大人は助けることができなかったのでしょう。学校の担任の先生は「親から叩かれた」と相談も受けていたようです。なぜそのときに適切な対応をできなかったのでしょう。
 担任は、女の子に痣を見つけたとき母親に連絡をしたそうです。そのときの「子供はたまに嘘をつく」という母親の言葉をどうして鵜呑みにしたのでしょう。今までに何度こういう事件があったでしょう。子供に接する機会が多い先生という職業を持ってしたならばこういう状況からすぐに虐待を連想しないほうが不思議です。非難をしたくはないですが、先生として大人として「事なかれ主義」「怠慢」と言われても仕方ないのではないでしょうか。僕はそう思ってしまいます。
 僕は連想してしまいます。担任が母親に連絡したあと、女の子はさらに虐待を受けたのではないのかと…。どうして担任は自分の行為が及ぼす危険性を想像できなかったのでしょう。子供に接する職業に就いていらっしゃる方、どうか子供と接するときは緊張感を持ち感性を研ぎ澄ませ適切な対応をしてくださいますようお願いいたします。これ以上書きますと、もっとひどいことを書きそうなので…。それにしても僕は悲しい…。
 痛ましい事件と言えば、先週「毒物カレー事件」の最高裁判決がありました。結果は有罪だったのですが、僕はこの判決に不満です。理由は「状況証拠」だけでの有罪判決だからです。以前、なにかで読んだ記事に「疑わしきは罰せず」という言葉がありました。民事事件と刑事事件では判決に至る基準が異なり、刑事事件では「疑わしきは被告の利益」とするのが通常なようです。
 一般の感覚でもこの「疑わしきは罰せず」は理解できる理念です。人ひとりの自由を奪うのですからその判断は慎重でなければいけません。ましてや過去に冤罪事件もありました。僕が最近で記憶に残っているのは富山県の事件で犯人として処罰された男性についてです。
 この男性はなんと服役し刑期を終えたあとに真犯人が見つかったのでした。この真犯人が見つかったのも偶然のできごとでした。他の事件で逮捕された犯人がその事件を自白したことからわかったことでした。もし、この偶然がなければ男性は一生犯罪者として生きていかなければならなかったのです。人ひとりの一生を左右する判決を「疑わしきは被告の利益」という理念で下さなければならない理由が納得できます。
 …と、このように僕は日々のできごとに対して自分の感想をウェブ上にて綴っているのですが、この行為について佐々木尚俊さんというジャーナリストが「フラット革命」という本において評論分析しています。
 僕はネットに精通しているわけではありませんので、この本はとても勉強になりました。佐々木氏によりますと、インターネットの普及はマスメディアや知識人の権威を失墜させることにつながるそうです。今まではマスメディアに選ばれた大学教授や有名知識人だけが意見や考えを発表する場を与えられていましたが、ネットの普及により誰でもが自分の意見や考えを世の中に発信することができるのです。僕がコラムに書いていることは正にそれを実行していることになります。
 佐々木氏は言っています。ネット上では大学教授とか有名知識人といった「誰が」言ったかではなく、言った「内容」だけで評価される、と。今回のカレー事件においても社会的地位が高いマスメディアに選ばれた有名人でなく、名が知られていなくとも専門知識があり日頃から熟考している人たちが自らの考えを発信しているでしょう。そして一般の人たちから評価されているはずです。こうした現象は決して悪いことではありません。それを可能にしたのはネットという発表する場ができたことです。
 先週のガイアの夜明けをご覧になったでしょうか。番組では地方の特産物を如何にして流通に乗せるかを取り上げていました。いくらおいしく素晴らしい特産品でもそれを販売する場を確保できなければなんの意味もありません。流通専門家が特産品を手にしてスーパーや商店を回り店先に置いてもらえるよう奮闘している様子が紹介されていました。
 「販売する場」に関連して、先週はマンガ業界において画期的なことがありました。「ブラックジャックによろしく」などの作者である佐藤秀峰氏が自作品をネット上で販売するそうです。元々、佐藤氏は出版社や編集者に批判的なようですが、氏は作品を発表する場を自分で作ることを考えているようです。マンガ家も出版社という発表する場がなければなんの意味もありません。特産品同様、いくら面白く素晴らしい作品でも読者が目にする場があってこそ生活できるというものです。
 このようにどんなに素晴らしい作物や作品であっても、消費者や読者といった最終需要者が手にする場、例えるなら生産者が最終需要者に手渡すことができる窓のようなものを持っていなければなんの意味もなく役にも立たないことになります。今までは、その窓がスーパーであり出版社だけでした。生産者や製作者は最終需要者に評価される前に、窓となるスーパーや出版社から評価を得る必要がありました。しかし、インターネットの出現によりその窓を自分たちで持つことが可能になりました。フラット革命は、そう意味においてとても大きな意義があります。
 しかし、いくら窓を自前で持ちえたとしても、その窓の存在を知ってもらうのは並大抵のことではありません。誰でもが窓を持てるのですからそれだけ数が多いことになります。その中から最終需要者に知ってもらわなければならないのですから至難の業です。知ってもらわなければ評価を得るもなにもありません。
 そうなりますと、大切なのは如何にして多くの人に知ってもらうかが問題です。ここまで考えて読者の中には気がついた方もいらっしゃるでしょう。そうです。この問題は今までと全く同じなのです。今までスーパーなど生産者の窓となっていた業者が常に苦闘していた問題と同じです。
 ここまで考えて、さらに読者の中には気がついた方もいらっしゃるでしょう。そうです。こうした生産者が自前の窓を持つことは製造小売業の業態です。そして製造小売業が成功することが難しいのも今までと同じです。このように考えますと、ネットの普及によっていろいろな変化があったとしても問題点はいつも同じなのですね。人間の世界って進歩がないですよねぇ。
 ところで…。
 今週は、生産者や製作者が最終需要者に届けるための窓を持つことの意義を書きました。これまでは生産者や製作者は最終需要者に認められる前にこれら2つの間に入っている中間業者に認められることが必要でした。このことは生産者の方々は自らの意向や最終需要者の要望よりも中間業者の意向に沿った仕事をせざるを得ない状況を生み出していました。そうしたこれまでの流通概念を覆す可能性があるのがインターネットの力です。ネットによって最終需要者に対する窓を生産者でも持てるからです。
 このように考えますと、ネットの影響力ってすごいですよねぇ。でも、よく考えてみますとこうした流れは当然の成行かもしれません。何故って、パソコンを普及させたのはwindowsですから。
 じゃ、また。




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