<空気>

pressココロ上




 先々週のことですが、僕は通勤途中に自転車事故に巻き込まれてしまいました。ことの顛末はこうです。
 車が一台通れるくらいの道幅の道路を自転車でのんびり走っていますと、T字型の交差点に差し掛かりました。その交差点は信号がなく僕の道路が優先道路で進行方向左側に道がありました。僕が交差点に入り左側の道を見ますと、70才過ぎの男性がペダルを踏み後ろの荷台には同年齢くらいの女性が乗っている自転車が目に入りました。
 僕は自転車を漕ぎながら、そのおじいさんの自転車のスピードと自分の自転車のスピード、そして交差店内のそれぞれの位置などを考え、自分が先に交差点を通り抜けられるだろうと考えました。しかもおじいさんが走っている道路脇には交差点のところに一時停止の標識もありました。僕はそれほど深く考えることもなく自分が先に通り抜けるのが当然のように感じていました。仮に、僕の判断が甘くお互いの自転車が接触しそうなときはおじいさんがブレーキをかけスピードを緩めるはずという意識も僕の中にはあったように思います。
 さて、僕がそのような心持ちで交差点を通り抜けようとしたとき、僕の自転車の後輪スタンドになにかが接触した感覚が微かにありました。そして数秒後、後ろのほうから「あっ」という声が聞こえてきました。僕が振り返るとおじいさんの自転車が横倒しになりおじいさんとおばあさんが倒れていました。僕はとっさに自分の自転車にぶつかったんだな、と思い自転車を止めおじいさんたちのところに駈け寄りました。
 僕が側までいくと、たまたまそこを通りがかっていた小さな子供を連れ夫婦の父親らしき男性がおじいさんたちを助け起こしていました。すると、またたまたま近くを通りがかった自転車に乗った30才前後の主婦らしき女性が近くまで走りより自転車を止めおじいさんたちに声をかけました。すると、また一人同じような年恰好の女性がやはり近寄ってきておばあさんの衣服などを直してあげていました。その間、起き上がったおじいさんは声こそ出しませんでしたが、僕のことを指差ししきりになにか言いたげでした。
 このとき、おじいさんたちを助けようと近づいてきた人たちは口々に二人のケガについて心配し、子供連れの父親らしき男性は「なんだったら僕が車で病院まで送りましょうか?」などとまで口にしていました。
 実は、この間僕の心中は穏やかではありませんでした。そのときの状況では、なんとなく僕がおじいさんたちの自転車を転倒させたような空気になりそうだったからです。
 僕は、おじいさんたちに近寄った際に、ケガを気遣う言葉はかけましたが、それ以外は言葉を発していませんでした。老夫婦を気遣い近寄ってきた人たちと老夫婦のやりとりをただ聞いていただけでした。幸いにも大したケガもなかったようで僕も一安心したのですが、その場の空気は僕を不安にさせました。助けにきた人たちと老夫婦のやりとりが一段落すると、おばあさんのほうが僕に声をかけてきました。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
 僕はなんと答えてよいのか迷いました。過った言葉遣いをすると僕が責任を負わされる気がしたからです。
「あのぉ、この場面で自分の正当性を主張するのも気がひけるのですが…」
 僕が戸惑いがちにこのように言うと、おばあさんは僕の言葉を遮るように口を開きました。
「いえいえ、こちらが二人乗りですし、全面的に悪いんですからあなたを責めたりしませんよ。ただ、なにかのときのために連絡先を教えていただけないでしょうか?」
 ここで、僕は一瞬躊躇しました。教えていいものかどうか…。「責めたりしない」のなら僕の連絡先を知る必要はないはずです。しかし、そのときの空気で連絡先を教えないのは僕にとって不利な状況が生まれる感じがしました。また、その日は朝一番に大口の予約が入っており遅刻するわけにはいきません。ここで連絡先を教えないことで一悶着するのも僕にとっては好ましい展開ではありません。僕は連絡先を教えることにしました。僕が連絡先を教えたことで一応その場は収まり僕は店に向かうことができました。
 その日は、一日中心が晴れませんでした。やはり連絡先を教えたことが気になって仕方なかったのです。ものごとを悪いほうへ悪いほうへ考えるのは僕の得意技ですからいくらでも悪い想像が思いつきます。
「老夫婦があのあと病院へ行き、なんか重い後遺障害が残って賠償を求められたりとか…」
「老夫婦は悪い人でなくとも、その周りに悪人がいて、なんだかんだ言いがかりをつけて慰謝料を請求されたりとか…」
 そんな不安な気持ちのまま仕事を終え帰宅しますと、なんと留守番電話の赤いランプが点滅していました。僕の不安な気持ちが的中したようです。僕は恐る恐る留守番電話を聞きました。声を聞いた瞬間、僕はドキリです。僕の予想通りその声はあのおばあさんの声でした。
「先ほど、自転車事故に遭いました者です。病院で検査をしましたところ打撲だけでしたのでご連絡をいたしました。ご迷惑をおかけして済みませんでした。それでは失礼します」
 僕はこれを聞いて一安心しました。それ以降なにも連絡はありませんので問題はないと思いますが、やはり心配性の僕としては100%安心したわけではありません。もうしばらくは心を引き締めて日々を暮らすつもりです。
 日常生活を営んでいますと、なんの前触れもなく自分が加害者になったり加害者の「ような」立場に立たされたりすることがあります。加害者であることが確定しているならあきらめもつきますが、その場の空気で加害者の「ような」立場になってしまうのは簡単に納得できるものではありません。今回の僕の自転車事故は正しくそのような状況だったのですが、たまたま相手の方が良心的な方でしたので事なきを得ることができました。運がよかったと思っています。
 …と、僕は自分に非がないことを前提に事故について書いていますが、僕の主張が本当に正しいかどうかは相手方の意見も聞かないと正確なことはわかりません。対立する2つの立場があったとき、私たちは双方の主張・考えをなんの先入観もなく素直に受け入れなければいけません。このとき注意しなければならないのは、主張・考えの情報源についてです。その情報源とは主にマスコミですが、そのマスコミの立ち位置によって空気は全く正反対のものとなってしまいます。賢いに“ズル”がつく人たちはそうした特性を利用することに長けています。先週の新聞を見ていますと、中国の新疆ウィルグ暴動やJR西の福地線事故、水俣病の認定などが報道されていましたが、本当に正しいのはどちらなのか、それがわかりにくければ本当に悪いのはどちらなのか…。そのときにそこに漂っている空気を見抜く感性を持つことが大切です。
 …もうすぐ衆議院選挙。
 ところで…。
 当店にはほぼ毎日商品を配達してくれる問屋さんがやって来ます。いつも決まった人が配達してくれるのですが、配達時に妻はたまにバックルームでお休みになっていることがあります。そういうときは僕は配達の人に「今、悪魔は寝てるから静かに荷物を置いてね」とできるだけ小さな声で言います。すると配達の人もそこは心得たもので、僕に調子を合わせてくれて囁き声で「はい。悪魔を起こすと大変ですからね」と笑いながら答えてくれます。
 僕は、日によってこの「悪魔」を「鬼」に変えることもあります。まぁ、そのときの気分で「悪魔」と「鬼」を使い分けています。
 ある日、やはり配達の人が来たときに妻が寝ていましたのでいつものように「今、鬼は寝てるから…」と言うと配達の人が聞いてきました。
「あの、奥さんは悪魔と鬼、本当はどっちなんですか?」
 この配達の人。面白いでしょ。
 じゃ、また。




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