<職人芸とマニュアル>

pressココロ上




 ある本を読んでいましたら、“紙きり芸”を職業としている方のお話が紹介されていました。紙きり芸は、主に寄席などを活動の場にしていますが、たまにテレビなどで見ることがあります。一枚の紙とハサミを器用に操り絵柄を切り抜く芸です。その本を読んで驚いたのですが、紙きり芸は一度のハサミ入れで最後まで完成させるそうで人間の成せる技とは思えません。しかもどのような絵柄に切るかはその場のお客さんの要望によって決めるそうですからまさしく神業と言ってもよいのではないでしょうか。決して素人が2~3日練習して習得できる技ではありません。
 本で紹介されていた方は師匠の立場の方でしたが、弟子として修行していた時代についても書いてありました。その修行方法は、師匠の作品を渡され、その作品と同じように切ることができるまで独りで練習するのだそうです。そしてできるようになったときその作品を師匠に見せ、認められたらまた前回より難しい作品を渡されまた切れるようになるまでただひたすら腕を磨く。これを繰り返して一人前の紙きり芸人となれるのだそうです。
 この修行方法には、師匠が手とリ足とり親切丁寧に教えるというスタイルはありません。昔からよく言われる「師匠の技を盗む」という心構えが基本です。紙きり芸に限らず職人芸はどんな業種でもこのようにして培われていくのでしょう。
 昔と比べ現代は職人芸と言われる職業は少なくなっていますが、その数少ないうちの1つがプロ野球ではないでしょうか。プロが行う野球の技はやはり素人が2~3日練習しただけでは習得できません。草野球で4番を打ちそれなりの実力がある打者でもプロ2軍のピッチャーのボールを打つことはほとんど不可能です。バットにかすりさえしないでしょう。それほど力の差は歴然としています。
 そのプロ野球の修行の場は2軍ですが、そのときの師匠にあたる人は2軍監督であり、実際に接するのは2軍コーチです。プロ野球も職人の世界ですから、その指導方法は紙きり芸と同様に「師匠や先輩の技を盗む」ことが基本です。選手自身が技を向上させるために自分で考え工夫しなければなりません。このときコーチは紙きり芸の師匠のように選手が技能を修得するまで待つのが本来のコーチの姿です。仮にコーチが選手の修行に立ち入るとするならばその範囲は大まかな方向を示す程度ではないでしょうか。間違っても自分のやり方を強制するような方法は職人の世界でのコーチには適していません。。
 しかし、中にはコーチが選手に対して自分と同じ練習方法やひどい場合は同じフォームを強制するコーチもいるようです。あのイチロー選手も2軍時代はその独特な振り子打法ゆえ上層部から認められなかったそうです。そのときにイチロー選手の個性を伸ばすやり方を認めてくれたコーチと出逢ったことが今のイチロー選手を誕生させています。もしそのときにイチロー選手がそのコーチとめぐり合わなかったなら今のイチロー選手は存在していなかったでしょう。もちろんその二人を見守っていた仰木監督の存在も忘れてはいけません。
 職人の世界で求められるのは結果だけです。いくら練習をしようが努力をしようが結果が出なければ認められません。紙きり芸ですと、即興できれいな絵柄を綺麗に切り抜く技量ですし、プロ野球選手ですと誰もが認める打率や防御率を残すことです。そこに至るまでの修行中は選手自身が考え工夫する以外に方法はありません。逆に言うなら、師匠やコーチといった指導する立場の人は事細かに教えることを抑える必要があります。職人の世界での修行は「盗む」ことが基本ですから。このような世界ですから、挑戦する全員が目的を達することはあり得ず途中で脱落する人がいても当然です。しかしそうした人も、単にその仕事に向いていなかったというだけで違う仕事で頑張ればよいのです。
 職人の世界に相対する世界として会社で働く労働者という世界があります。いわゆる会社員ですが、会社員と職人の違いは売っているものの違いです。会社員は労働力を売っていますが、職人は技量を駆使した“結果”を売っています。会社員は労働時間に対して報酬を得られますが、職人はいくら時間を要しようが、“結果”が認められなければ報酬を得ることはできません。紙きり芸人は皆が感嘆する絵柄を見せることができなければ出演する場所がなくなりますし、プロ野球選手は成績が悪いと契約を更改してもらえません。
 このように本来は会社員と職人では求められるものが違いますが、ときに会社員の世界で職人の世界と同じように振舞おうとする先輩社員がいます。そういう先輩は言います。
「仕事は盗むものだ」
 このようにあたかも厳しい師匠のように接する先輩社員は「教えない」ことを正当化するのが常です。そのような先輩社員が跋扈している職場では決してマニュアルが存在しません。
 昨今、マニュアルというとマイナスイメージがつきまといますが、僕はそうは思っていません。新人に仕事を教えるにはマニュアルは大きな効果を発揮します。
 例えば、ある職場に新人が入ってきたときにその新人は仕事のやり方をなにも知らないわけです。そうしたときに「盗んで覚えろ」というよりはマニュアルで丁寧に順序だてて教えたほうが効率的であることは間違いありません。にも関わらず「盗んで覚えろ」という教え方を好む先輩社員からは違う意図を感じます。それは、新人が仕事を覚えることによって自分の地位や立場が脅かされることです。しかしこれではその企業はいつまで経っても成長しないでしょう。いつも同じことに時間を費やすことになるのですから。
 また、違う面で先輩社員が「盗む」ことを指導することがあります。それは職人の世界に対する憧れです。本来は、職人の世界と会社員の世界では求められるものが違うはずですが、「仕事は盗むもの」という言葉の響きに憧れて使う先輩社員もいます。
 あと1つ。それは教える側の手間です。「丁寧にわかりやすく」教えるやり方よりは「盗め」という教え方のほうが教える側にとっては「楽」になることがあります。本来は、どのような方法であろうとも、新人に仕事を教えることは「楽」ではないはずです。ややもすると教えられる側より教える側のほうが辛いことさえあります。しかし「盗め」という教える方法は教える側の心の持ちようでいくらでも手を抜くことができます。職人の世界の指導法はまかり間違うと教える側にとって「楽」になる可能性があります。
 こうした悪い面を利用するように、会社員の世界でも「仕事は盗んで覚えろ」というやり方がまかり通ることがあります。しかし、会社員の世界は職人世界のように長い厳しい修行した人だけが働く職場ではありません。代わりの人が容易に交代できるというメリットがある職場です。そのような職場ではできるだけ簡単にわかりやすく仕事を教えたほうが企業にとって有意義であることは間違いありません。それをより推し進めるのに必要なのがマニュアルです。マニュアルに対してマイナスのイメージを持っている人たちの主張に一分の理を譲るとしても、会社の中におけるマニュアルは「一害あっても百利あり」です。
 ところで…。
 僕は年齢的にはかなり大人の部類ですが、大人に相応しくない癖が一つあります。本当は一つではありませんが、文脈的にはとりあえず一つということにします。
 その癖とは、なにかに熱中しているときに無意識にシャツの裾をしゃぶることです。実は、今現在このコラムを書いていたときも肌着の裾の前をしゃぶっていました。コラムが完成し、なにげなくシャツの裾を見ましたらグッショリと濡れていた次第です。
 しゃぶると言いましても歯でかじることもありますので、しっかりと歯型もついています。もちろん無意識に咬んでいますので、その歯型はランダムな形跡です。この癖はかれこれ40年以上続いていますので、もしこの歯型でなにかしらの絵柄が作れるようになっていたなら立派な職人芸になっているんですけど…。
 じゃ、また。




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