<努力と才能>

pressココロ上




 最近、僕のサイトの分析を見ていて気になることがあります。僕のサイトの主なコンテンツは「失敗体験談」と「手っ取り早く開業」のテキストですが、その読まれ率が「失敗談」より「手っ取り早く開業」のほうが高いことです。おおよその数字でいいますと「4:6」で「手っ取り早く開業」のほうが多く読まれています。このことは「手っ取り早く開業」は読んでも「失敗談」を読まない読者がいることを意味しているように思います。僕はそのことが気になって仕方ありません。
 テキストにも書いていますが、脱サラ・独立して飲食店を開くことは簡単です。最近ではネットをはじめとした多種類のメディアがありますので店舗のことから役所への申請、そしてレシピまでありとあらゆる情報を手に入れることが容易にできます。そんな中、「手っ取り早く開業」が好まれているのは「手っ取り早く」という言葉の響きに惹かれてのことのように思います。僕はそこに「楽して」という潜在意識があるように感じます。しかし、どんな職種・職業であれ「楽して」仕事をすることはあり得ません。「失敗談」を読まず「手っ取り早く開業」だけを読む人たちからは「楽して開業すること」を目論んでいるように感じてしまいます。
 しかし、僕のテキストを読む人が脱サラ・独立を志望している人だけとは限りません。ちょっとした興味本位で面白おかしく読む人もいるでしょう。そのような人が多いことが読まれ率に反映しているならば問題ありませんが、そうでなく本気で脱サラ・独立を目指しているなら「手っ取り早く開業」だけを読み、事足りたと得心しているなら感心できません。「手っ取り早く開業」は「失敗談」と合わせて読んで初めて意味があります。また、興味本位で読む人も「手っ取り早く開業」を読んだだけでは本当の意味での「手っ取り早く開業」を読んだことになりません。せっかく飲食関係の脱サラについて知識を得たいならその核心に触れてほしいものです。
 前にも書きましたが、僕のサイトと似たような趣旨のサイトは他にも幾つかあります。その中には僕のテキストを読んでまとめたような内容のものも混じっています。僕のサイトには「格言コーナー」がありますが、それまでも上手に散りばめて作り上げているのには感心させられます。それらの文章を読みますと、管理人の後ろめたさを感じることもあります。やはり、心の中に躊躇いがあるのでしょう。文章の書き方に「仄聞」のニュアンスが含まれています。僕からしますと、そういう点がとても面白く感じます。
 僕のサイトはラーメンを主題にしていますが、脱サラしてお店を構えるという点においては他の業種にもあてはまります。先日見た僕の体験談パクリサイトはラーメン店ではない他の業種でした。それはともかく脱サラしてお店を構えるということにおいて最も重要なのは心構えです。それを知るという意味でも「手っ取り早く開業」を先に読んだ方は「失敗談」も合わせて読んでほしいと思います。
 「楽して」というのは最近の若い人の特徴なのだろうか…。そんな思いが心にモヤっていたときに本屋さんで興味深い本を目にしました。「しがみつかない生き方」。これは精神科医として有名な香山リカ氏が書いた本ですが、タイトルを目にしたとき新聞に出ていた宣伝広告文を思い出しました。そこには「勝間和代を目指さない」と大きな文字で書いてありました。そうです。昨年来、経済経営分野でベストセラーを連発している勝間和代氏を指しています。
 勝間氏は誰もが認める成功者であり、勝間氏の本の共通するテーマは「効率」です。如何にして「無駄な時間をなくすか」を指南して「皆さん、勝ち組になりましょう」と訴えています。まるで「時間に勝つから勝間」とでも言いたげな活躍ぶりで、バリバリの有能なキャリアウーマンの考え方です。実際、勝間氏の生活ぶりを見聞きしていますと、少しの時間も無駄がないように見えます。香山氏はそうした考え方に疑問を呈しています。
 みんながみんな、勝間氏を目指す必要はない。
 香山氏はそう提案しています。勝間氏の考え方をそのまま実践するならその先にあるのは成功者です。流行りの言葉で言うなら勝ち組ですが、その勝ち組の割合は全体から見るとわずかでしかありません。なぜなら全員が勝つことはあり得ないからです。勝ちを続けていくと最後に残るのはたった一人でしかありません。たった一人の勝ち組が極端だとしても多めにいっても勝ち組と言われるのは上位20%くらいでしょう。そこまで勝ち続けるためには少しの時間も無駄にしない効率的な生活ぶりをする必要があります。もちろんそのような生活が気の抜けないものであるのは当然です。
 「幸せ」の価値観は人によりさまざまです。中には「気の抜けない生活」を苦痛に感じる人もいるでしょう。しかし、昨今の市場競争社会において勝間氏のような考えが主流を占めるようになってきました。そしてそうした考えを受け入れない人たちを見下す風潮にもなってきているようです。この最近の風潮に違和感や不快感を持っている人もいるはずで、香山氏の主張はそうした人たちに一筋の光明を与えるように思います。
 人は誰でも、できれば勝ち組に入りたいと考えます。ですから勝ち組を目指しますが、その前に重要なハードルがあります。才能です。持って生まれた才能です。誰でもがボルトのように早く走れるわけではありませんし、イチローのようにヒットを連発できるわけでもありません。これはビジネス界の勝ち組も同様で、誰でもが仕事に成功できるわけではありません。どんなに努力をしようが才能が伴わなければ勝ち組に残ることはできないはずです。
 しかし、勝ち組の人たちからしてみますと、才能という言葉で片付けられては立つ瀬がないというものです。やはり努力という要素を強調したくなるのも当然です。この「努力」という要素が認められないなら、勝ち組の人たちの価値がなくなってしまいます。
 僕は冒頭で「楽して」と考えている人に対して危惧感を持ちました。「楽して」の対極にあるのは「努力」です。その「努力」も才能が伴わなければ実ることがありません。では、才能のない人は努力をしなくてもいいのか。そんなことはないはずです。自分の才能の範囲内で努力するこは求められて然るべきでしょう。
 しかし、世の中には「努力すること」そのものを賞賛しない人もいるのではないでしょうか。だとしたらその人たちは人間としての価値がないことになるのか。いえいえ、そんなこともないはずです。もしそれを認めてしまうなら優生学、劣っている人を抹殺する残虐な世の中になってしまいます。あのナチスのホロコーストのような許されない世の中になってしまいます。優れた才能を持ち合わせていなくとも普通に生きていける世の中こそが動物と違う人間社会というものです。そうでないならばせっかく人間に生まれてきた甲斐がありません。天才でない平凡な人々が幸せに生活できる社会が本当に人間らしい社会です、よね。頑張れ!民主党の皆さん。
 ところで…。
「努力」と「才能」。この兼ね合いはとても難しいですね。生まれてこのかた50年以上経ちましたが、明快な答えを出せないでいます。そんな僕がとても印象に残っている言葉があります。ある若手女優がインタビュアーに「将来、どんな大人になりたいですか?」と聞かれたときの答えです。
「努力する天才になりたい!」
 ああ、努力するのにも才能がいるんだ…。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする