<責任を負う人々>

pressココロ上




 民主党政権が発足して2週間あまりが経ちましたが、矢継ぎ早の行動は目を見張るものがあります。いくらマニフェストに書いたからと言ってここまで徹底的にやるとは想像もしていませんでした。今までの自民党ですと、選挙が終わったあとはマニフェストの実行は遅々として進まず、結局時間だけが過ぎていき少しの手直しでお茶を濁すのが恒例でした。そうした光景を見慣れていただけに今回の民主党の動きは新鮮に映ります。まだ結果は出ませんが、期待してもいいのではないでしょうか。
 マスコミで取り上げられることも少なくなった自民党の総裁選ですが、「出直し」とか「改革」と叫んでいたにも関わらず、派閥の領袖が総裁に就任するという相も変わらない結果には少々期待はずれの感は否めません。この結果から「今後も自民党は旧態依然とした政党のままである」と想像するのは僕だけはないでしょう。
 自民党敗北の理由として「小泉元首相の構造改革により格差社会が広がった」などという意見がベテラン議員を中心に語られています。しかし、僕は思います。もし、9年前に小泉さんが「自民党をぶっ壊す!」と訴えていなかったなら、あの時点で自民党は敗北していたはずです。ベテラン議員はあのときの自民党の勝利の理由をきちんと分析してほしいものです。
 一応順調に滑り出した連立先政権ですが、気になりますのが亀井金融担当大臣です。僕は基本的には、現在の金融業界のあり方に批判的ですが、それでも「借金のモラトリアム」には賛成出来かねます。あまりに現実を無視した政策です。もしモラトリアムが現実となったなら経済が大混乱になるのは必定です。それを承知で声高に叫んでいる亀井氏は民主党にとって不気味な存在のはずです。亀井氏が連立政権の命運を握っていると言ってもいいのかもしれません。それにしても亀井氏の本当の狙いはなんなのでしょう。
 民主党は今までの慣例を覆す行動をとっていますが、そうした中で一番印象に残るのはその「強引さ」です。今のところ官僚の人たちの抵抗は表立って伝えられていませんが、心の中では不愉快に思っているのは間違いありません。
 民主党のやり方を企業に例えるなら、業績不振企業に外部からやってきた社長が側近を連れて乗り込む姿です。そうしたとき必ず起きるのが、それまで働いてきた従業員の抵抗であり反乱です。そうした従業員は上からの命令に素直に従うはずがありません。いくら有能な社長といえども従業員が反乱しては再建は覚束ないでしょう。そもそも有能な社長とは反感的な従業員を取り込むのに成功し前向きな気持ちに転換させるのですが…。
 僕からしてみますと、官僚は企業における強力な労組に見えます。労組の目的は「よい待遇を得る」ことですので、極端に言うなら「経営について」は経営陣に任せるのが本来の姿です。下手に経営に立ち入るなら、自分たちの要求を主張しづらくなってしまいます。それよりは自分たちの待遇のことだけを考えていれば済むほうが楽なのは誰しも想像がつきます。
 しかし、官僚は自分たちの待遇ばかりでなく、企業の経営にあたる政策についてもひとかどの強い意志を持っています。そうした自負を持っている官僚をコントロールすることは容易ではありません。民主党はこれからが正念場です。
 強力な労組と言えば日本航空の労組が有名ですが、その日航は現在危機が取りざたされています。僕は日航の危機の最も大きな原因は労組にあると思っています。これまで日航にはいろいろな経営者が立て直すべく就任してきました。しかし、全て返り討ちに遭っています。有能な社長がいくら再建策を練ろうが、それを労組が受け入れ実行しなければ再建できるはずがありません。現在の西松社長もとても苦労しているようですが、労組をうまく取り込めなければ再建は難しいでしょう。
 麻生政権は日航危機を収束させるすべく有識者会議を発足させました。また、新閣僚の前原氏はタスクフォースというチームを設置しました。僕はこれらの動きが不思議に思えて仕方ありません。
 有識者会議であろうがタスクフォースであろうが、これら専門家チームがいくら綿密な作戦を練ったとしても必ず成功するとは限りません。それにも関わらず、こうしたチームを作ることであたかも危機が収束されるかのように喧伝するのは傲慢のように思います。
 元来、僕は責任をとる立場にない、見方を変えると「責任を負わなくてもよい」立場にいる人が高い位置から「上から目線」で意見を言うことに反発心を覚えます。責任を負わなくてよく、責任を追及されることがない人が現場で指揮をとっている人に意見を言うことは失礼にあたります。もし意見をするにしてもそこには謙虚さが求められます。しかし、マスコミ登場したタスクフォースのあるメンバーは、あたかも「自分の意見が絶対正しい」とでも言いたげな口ぶりで自らを全能の経営者と思っているように見えます。それほど自信があるのなら第三者として意見を言うのではなく、自らが経営をする当事者になったほうが危機は早く収まるのではないでしょうか。
 専門家チームの姿は、山中で道に迷った人に道を指し示す「道しるべ」に似ています。道しるべは進むべき方向は示しますが、自らが山中をさ迷い歩くことはしません。実際に歩く人は迷っている当人です。山中には生い茂った草木もありますし、一歩誤ると谷底に転落する危険な獣道もあります。また獰猛な野獣もいるでしょう。そうした困難で危険な中を自らの足で歩かなければならないのは迷っている当人です。その当人に対して道しるべが上から目線で指図をするのは傲慢というものです。
 仮に、うまく困難を切り抜けられたとき道しるべは自らの手柄としがちです。そしてまたマスコミも道しるべのほうを賞賛する傾向があります。僕はそのことに強い不満を感じてしまいます。
 皆さん、実際に危険に向き合っている当人にもっと目を向けましょう。ものごとを見るとき、誰が責任を負っているか。危険を引き受けているのは誰か。それを見誤らないことが最も大切です。世の中、ズル賢い人が多いですから…。
 責任を負う立場になった民主党。これから真価が問われます。野党となった自民党には批判する際に謙虚さが求められます。もちろんマスコミも。そしてもちろん国民も。皆さん、長い目で見守りましょう。
 ところで…。
 昔と違い近年は教育機関にも採算が求められるようになってきました。国からの補助金が削減されるようになり自ら収益を得る必要に迫られています。そうした背景の中、大学などは資金運用が重要な要素を占めるようになってきました。
 資金の運用と言いますと、真っ先に思い浮かぶのは株式売買です。しかし株式売買は簡単に利益が得られるものではなく、以前有名私立大学が株式運用で多大な損失を発生させたことが報道されていました。
 株式運用で損失を発生させるのは決して珍しいことではありませんが、「大学が」となるとやはり「えっ」と驚きの声が出てしまいます。大学には経済学部がありそこには経済を専門とする教授の方々がいるはずです。一人ではなく多数いるはずです。それにも関わらず株式運用で損失を発生させるのが不思議でなりません。
 大学が収益を求められることは即ち大学という組織をきちんと経営することですが、それも容易ではないようです。しかし、これも株と同じく経営学部が大学にはあるのですから経営に関してはなんの心配不安もないのは本来の姿であるはずです。しかし、そうではありません。
 教授と言いますと、学生に専門の知識を教えるのが仕事ですが、学校経営や資金運用の実態を見ていますと、その知識が現実の世界ではなんの役にも立たないように見えます。もしかしたら専門家とは「専ら門を構えているだけ」で中味はないことを指しているのかもしれません。
 じゃ、また。




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