<現場のために>

pressココロ上




 僕のお店の向かいには道路を挟んでIT関連企業の営業所があります。道路は片道一車線ずつの道路ですので営業所との距離はあまり離れていません。店内から反対側の歩道を歩いている人に声をかけて聞こえるほどの距離です。
 その営業所に週に一度くらいの割合で30代半ばの女性が訪れていました。もうかれこれ1年くらい続いているでしょうか。その女性はなにかの営業職であるのは間違いないようで、いつも礼儀正しい物腰でドアを開けます。しかも、「礼儀正しい」も通常の範囲を超えているように見えます。なぜなら、営業所は曇りガラスのドアなのですが、女性は営業所の前に来るときちんと身づくろいをして正面に立ち、腰から曲げて深々とお辞儀をしているからです。つまり営業所の人には全く見えないにも関わらずお辞儀をしていることになります。見ようによってはガラスに向かってお辞儀をしている、と言ってもよいでしょう。
 女性はいつも丁寧にお辞儀を終えてからガラスドアを開け中に入って行きます。中に滞在している時間はそれほど長くはありません。1分もしないうちに出てくるときもありますし、5~6分かかるときもありますが、平均すると2~3分くらいです。
 女性は営業所から退出するときも丁寧です。ドアを開け外に出ると営業所内に向かって几帳面にお辞儀をし、ゆっくりとまるで割れ物を置くようにドアを閉めます。もちろんドアが閉まり終わるまでドアから手を放すこともしません。ドアが閉まり終わるのを確認すると、身体はドアに向けたまま数歩下がり、またそこで深々とお辞儀をします。そして上半身を起こして初めて自らの緊張感を解いたように歩き始めます。
 僕はその女性が訪れるたびに、女性のそうした行動・所作を見ながら感心していました。人によってはこのような行為に反感を持つ人もいるでしょう。女性の動作が新興宗教の輩と見えなくもありませんし、現代ふうに言うなら「クサイ」という表現がピッタリとも言えるからです。けれど、僕は毎回繰り返している姿勢に好印象を持っていました。
 昔、現在中日の監督を務めている落合氏が清原選手のある行動について苦言を呈したことがあります。それは、清原選手がグランド内に入る前に帽子をとり一礼をする行為についてです。当時から落合氏は他のプロ野球選手と考え方が違っているようでしたが、「一礼をすること」に意義を見出していないようでした。プロ野球の世界に入ってくる選手はほとんどが高校時代から強豪校と言われる学校で鍛えられていた選手たちです。そうした選手たちは洩れることなく礼儀についても厳しい規律を叩き込まれていました。そういう経験を経てきた選手がグランド内に入るとき一礼をするのは身体に染み込んだ習慣でしょう。清原選手に限らず「一礼をする」選手はたくさんいます。しかし、落合氏はそうした習慣が好きではなかったようです。この違いは落合氏の経歴とも関係あるのでしょうが、最終的には個人の考え方の違いです。大げさに言えば人生観の違いです。僕は、清原選手の行為を支持するタイプの人間です。
 僕が女性のうしろ姿を見るようになって数ヶ月を過ぎた頃、お辞儀を終え緊張感を解き歩き始めようとした女性がたまたま僕のお店のほうを見ました。そして僕と目が合うと微笑みかけてきました。僕が思わず軽く会釈をしたのは言うまでもありません。僕、女性が好きですから…。
 それからは営業所を訪れるたびに僕に会釈をするようになり、挨拶の声をかけるようにもなりました。そしてある日、道向こうから言葉を投げかけてきました。
「涼しくなりましたら買いますからね」
 そのときの季節は夏でしたので、買ったあとに食べるまで時間が経過するのを気にかけていたようでした。
 年が明け、先週ついに女性が買いに来てくれました。
「涼しくなったら『買う』なんて言っておきながらなかなか買えなくて済みませんでした」
 僕としては期待はしていましたが、社交辞令の部分もあるはずでそれほど本気に受け取めてもいませんでした。それだけにうれしさも大きいものでした。少しお話をしました。
 女性のお仕事は、女性曰く「保険屋なんですよぉ」でした。しかも僕が以前加入していた保険会社でした。「以前」と書きましたが、僕はその会社に不信感を持つ出来事があり更新しなかった経緯があります。もちろんそのような話はしませんでしたが、少しばかりがっかりしたのが正直な気持ちです。
 「誰も見ていないときにこそその人間の本性が出る」と僕は思っていますのでその女性のうしろ姿にはいつも感心していました。それだけに、僕が不信感を持った生保に所属していたのはとても残念でした。女性が所属している会社は好きではありませんが、女性の仕事が順調に進むことは祈りたいと思います。
 数年前、生保に対する批判が高まる中、保険会社の中で生保レディの評価方法を見直す会社が相次ぎました。それまでは新規契約を増やした人が評価されるシステムだったのですが、そのシステムが生保が批判される根源となっていたからです。また生保レディは離職率が高く、その理由にノルマの強制が言われていました。ノルマをクリアするための「自爆」という言葉さえマスコミで紹介されていました。
 このような悪弊をなくすために新しいシステムは「解約率が少ないこと」も評価の対象にするようにしました。現在テレビで流れる生命保険会社のCMは、新規獲得よりも「解約を防ぐ」ことに重点を置いているのがわかります。こうした流れは生保レディの離職率を低下させることにつながるはずですし、契約者の立場からみても好ましい傾向です。
 昔の保険会社はお客様に接する現場で働いている女性たちを軽視する傾向がありました。会社にしてみますと、新しい営業職員を雇い入れ、その友人・知人を保険に加入させればそれで目的は達成されたからです。ノルマが達成できず辛くなり退職しても契約が残ればなんの問題もなかったからです。まだこうした旧い感覚の会社もあるかもしれませんが、最近では減ってきているのではないでしょうか。
 僕がうしろ姿を見ていた営業の女性は人柄もよさそうで、たぶん人間的にも善良な人なのではないか、と思います。そのような人の能力を生かすも殺すも企業の経営方針一つで決まります。なんでもいいから「儲かればいい」というのではなく、直接お客様と接する現場で働いている人が満足感・達成感を得られるような仕事環境を整えたうえで「儲かる」やり方を作るのが企業の使命です。というか「使命であってほしい」と感じた先週でした。
 ところで…。
 僕のお店には問屋さんが配達に来ますが、年明けに配送の人に「お正月はどう過ごしました?」と尋ねたところ、「仕事でした」という返事でした。配達先にチェーン店があるようで飲食店は正月も営業するのが普通です。世の中には、正月といえども休めない人もたくさんいます。
 配達の人との会話の中で僕が不愉快に感じたことがあります。配達の人たちが正月も働いていたのに会社の幹部、上司の人たちは休んでいたことです。配達という現場の人たちに働かせておいて自分たちだけは普通に休みをとっているのは不快です。本来、企業は役職が上に行けば行くほど働く量が増えるのが正しい組織のあり方です。その反対を行なっている企業の将来はきっと暗いものでしょう。
 株式市場で一部上場されている大企業には幹部候補生と言われるエリートがいます。採用の段階から一般社員とは別扱いですから企業の末端である現場をあまり知りません。そうしたエリートの方々は現場で働いている人の気持ちや待遇には思い至らないように思います。そうしたエリートが順番に幹部に登用されるのですから現場が荒んでいくのも当然です。現場が荒んでいる企業の業績が上がるはずはありません。こうした状態もいわゆる大企業病の一つです。
 大企業病の最も大きな問題点は病気が進行していることがわかりづらいことです。なぜなら病状は少しずつ少しずつしか進行しないからです。大企業ですから多少業績が悪くとも倒産することはありません。そうした余裕が病気の存在を隠してしまいます。病気の存在は倒産するときに一気に表面化します。今週、法的整理の申請をする日本航空がよい例です。
 大企業病は少しずつ少しずつ企業を蝕みます。一部上場されている企業の中で大企業病に犯されている企業を「一部徐々企業」と言います。
 じゃ、また。




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