<業務上過失冤罪>

pressココロ上




 先週の出来事で、やはり僕が一番心に残ったのは足利事件の菅家さん裁判です。取り調
べ室での菅家さんと検察官とのやりとりが納められているテープが公開されました。とても嫌な感情が涌き出てくるのを抑え切れませんでした。テレビニュースよりも新聞のほうが詳しく出ていましたが、取り調べ室の中というのは人間の最も下劣な側面が現れる場所のようです。
 僕は人間関係に上下を表す言葉遣いが嫌いです。例えば、相手を「○○君」と「君」づけで呼ぶのにも抵抗があります。相手を「君」で呼ぶのは自分が「上」であることを示す最もわかりやす呼称です。会社などでは上司が部下を呼ぶとき、なんの躊躇もなくなんの疑いもなく当然であるかのように「君」づけが行われていると思います。しかし、相手の肩書きが下だからといって人間として「下」というわけではないはずです。例外を言うならば、親密さを出すために使うことはあるように思います。
 僕は人間の上下関係を嫌っていますが、かと言って上下関係を否定するものでもありません。僕は基本的には「体育会系」の性格ですので否定どころか「好む」部分もあります。高校まではずっと運動部に属していましたから、先輩からは「君」どころか「呼び捨て」で呼ばれていました。特に僕が所属していた運動部は学校内でも練習が厳しいことで一目置かれるクラブでしたので先輩後輩の上下関係はより厳しい規律がありました。理由は顧問の先生が日本体育大学出身の筋肉隆々のロボットのような体型をした先生だったからです。
 それはともかくそれほど厳しいクラブでしたので上下関係はきっちりとしており当然先輩は後輩を「呼び捨て」で呼んでいました。このような環境で、僕は「呼び捨て」で呼ばれることに心地よさを感じていました。なぜなら、「呼び捨て」にされることで先輩からクラブの一員であることを認められているように感じたからです。つまり親近感を表していたことになります。
 このように「呼び捨て」には親近感を示す意味もありますが、「君づけ」にも同じような意味合いがあるケースもあります。しかし、それほど親しくもない相手を「君」づけするのは親近感というよりも優越感を示す意味合いが強いように思います。ちょうど猿の世界でボスが行うマウントのポーズと同じです。マウントは上位の者が上位であることを示威する行為です。僕はマウントが嫌いです。
 基本的に、取調べ室の中はマウントが行なわれる場のようですが、まだ容疑者の段階であるにも関わらず立場に上下関係があるのは公平でないように思います。このような状況で正しい取調べができるのでしょうか。
 今週、本コーナーで紹介しています「聞き上手は一日にしてならず」はインタビューの名手といわれる人たちに永江朗氏が「インタビューのコツ」を聞いている本ですが、その一人に元刑事の方がいました。その元刑事の方の章には刑事として一人前になるべく受ける教育について紹介されていました。その一例として「容疑者が目を伏せるときは嘘を言っていると思え」という教えがあるそうですが、僕は疑問です。
 菅家さんの取調べ室でのテープにも似たような発言が検事から発せられており、検事のその言葉に菅家さんは心が揺れ動いたようでした。犯人でないのに犯人と認める供述をせざる得ない心境に追いつめられていく場面です。
 なぜ、「目を見て話さないのは嘘を言っている」と決めつけてしまうのでしょう。この発想はエリート意識がなせる業です。マウントポジションを取る者だけが考える発想です。刑事にしろ検察にしろ自分たちがマウントポジションにいる自覚をもっと持つべきです。そうした人たちの研修には是非、心理学の先生を呼んで勉強してほしいものです。世の中には、気が弱かったり照れ屋だったり恥ずかしがりやだったりで目を見て話すことが苦手な人はたくさんいます。マウントポジションにいる人たちの間違った思い込みでは、そうした人たちが容疑者となったとき全員が嘘を言っていることになってしまいそうで不安です。
 僕はタクシー乗務員になりたての頃、新人研修を受けました。基本的に乗務員は40才代が多いので20才代は僕一人でした。そんな教室内で講師の方は若い僕が目立ったのでしょう。しきりに僕に向かって話しているようでした。実際、40才代の方々は真剣に話を聞いている雰囲気がありませんので自然と僕に向かって話すようになったのかもしれません。
 僕も一生懸命、講師の方の話を聞いていたのですが、その中で特に印象に残っている話があります。
 年末も押し迫ったクリスマス前、ある運転手が大雨の中、慎重に運転したそうです。大雨ですので視界は悪いですし年末のため街もせわしない雰囲気だったそうです。運転手は幹線道路を走行していました。お客を乗せていたわけではありませんので歩道側の車線を走っていました。すると、なにかに乗り上げた感触があったそうです。運転手は車を止め外に降り後方を調べたそうです。するとそこには男性が倒れていたのでした。
 結論を言いますと、酔っ払った男性が歩道の脇に寝込んでしまいその男性をタクシーが轢いてしまったのでした。
 僕からするとこの事故は不可抗力に見えますが、講師の方がいうにはそれでも立派な業務上過失致死または業務上過失傷害になるそうです。大雨の夜、どんなに慎重に運転していても道路の脇に寝込んでいる人間に気がつくのは稀です。
 菅家さんの「謝罪して欲しい」という要望に元検察官は「当時は最善のやり方」を理由に謝罪を拒否したそうです。ビジネスの世界では、経営者はいつも「最善の方法を探し考え」て経営を行っています。しかし、結果的に倒産という憂き目にあう企業はたくさんあります。そのとき経営者は結果責任を負わされます。結果責任はビジネスの世界に限りません。すべての行為について結果責任は生じます。もし結果責任を負わなくてよいなら誰も「最善」など考えはしないでしょう。どのような世界でも結果責任を負うことが前提になって初めて成り立ちます。
 元検察官の方は今までに「業務上過失」として多くの人を起訴してきたことでしょう。その同じ人が自らに対しては「業務上過失」という観点は持ち得ないのでしょうか。僕はそれが不満です。
 折りしも、小沢幹事長の疑惑が佳境を迎えています。元検察官の方が菅家さんへの謝罪を拒否するなら検察に対する国民の期待は雲散霧消してしまうでしょう。
 僕が小学生2年生とき、担任のクロヌマ先生は言ってました。
「間違って他人を傷つけたときは謝りましょう」
ところで…。
 このような僕の性格ですので、ラーメン点を開業した当初、パートさんやアルバイトさんの呼称に悩みました。パートさんは女性ですので「さん」づけでよかったのですが、男子学生の場合が悩みでした。アルバイトと言えども働くということは社会人になっているわけですから、「君」と呼ぶことに違和感があり、さりとて「さん」づけも学生の人に対して使うのは慇懃のようにも感じたからです。
 そこで考えた答えが「ちゃん」づけです。「ちゃん」ですと、まだ完全に社会人になっていない学生にふさわしいですし、親近感もあります。ただし、ときには「ちゃん」が適していないケースもあります。
 アルバイトさんはいろんな人がいましたが、中には無断で休んだり出勤間際に「休み」を連絡してきたり僕にとっては不愉快な勤務態度の学生さんもいました。そういうアルバイトさんにまで親近感を表す「ちゃん」を使うのは僕の心中としてはわだかまりがあります。そこで僕は不真面目バイトさんには「ぢゃん」と濁点をつけて呼んでいました。
 じゃ、また。




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