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 僕の息子の職場には生命保険の営業の方が週に1回ほどの頻度で訪問するそうです。その目的はもちろん保険に入ってもらうためですが、誰彼かまわず声をかけ「現在入っている保険」の内容などを聞き、自分の会社の保険を勧めているようでした。生保の営業の方はどちらかというと強引な勧め方をする方が多いようで、穏やかな性格の息子は格好のターゲットになっているようでした。生保のセールスに対する息子の「断り台詞」はいつも決まっています。
「親父が保険に詳しいので親父に任せています」
 普通はこのように言いますと引き下がるのですが、今回の営業の方は「それならばお父様に会わせて欲しい」と言ったそうです。というわけで、先月我が家にやってきました。
 やってきた生保の方は40才前後の男性と50才前と思われる女性のペアでした。女性の方は、よく見かけるセールスレディですが、男性は地方から転勤してきたばかりの支社長代理の肩書きでした。男性の話では、それまでは営業ではなくスタッフといえる部門にいたようです。つまり、転勤に伴い営業に異動になったわけで、男性の言葉を借りるなら支社長の「見習い」をしている意味での「代理」でした。
 僕は自分もセールスをしていましたので、セールスする側の気持ちもわかります。我が家に来る前に、僕が「元同業者であること」を告げていましたので、相手の方もそれなりに構えてやってきたはずです。基本的に、僕は生保業界に不信感を持っていますが、そこはやはり大人ですから、それなりに意地悪な言葉は避け相手を傷つけないように話しました。
 最初から「お断りする」ことを前提にお話を聞いたのですが、話をしながら感じたことはお二人とも「まだ生保についてそれほど詳しくない」ということでした。これは僕の推測ですが、僕が元同業者と知りながらセールスに来たのは練習の意味合いもあったのではないでしょうか。なんとなくそんな気がします。
 生保の問題点は一般の人が無知なこと、無関心なことにつけこんで、そして不安を煽って保険料を高くしようとしていること、です。その保険業界についてネット専業生命保険会社の副社長が本を出版しました。今週紹介していますのはその本「生命保険のカラクリ (文春新書)
」ですが、この本はその内容も興味深いですが、それとともに本の販売方法にも新しい試みがなされています。
 以前、本コーナーで紹介しました「フリー」という本が現在売れているようです。この本には、これからはモノやサービスを「無料」で提供することで利益を出す経営が求めれている、ということが書いてあります。つまりはgoogleに代表される「広告で稼ぐ」方法のようですが、その広告業界が今揺れています。
 広告について、先月の経済誌に興味を引く記事が載っていました。米国でのことですが、いわゆる「口コミ広告」に対する規制について書かれていました。日本でもそうですが、ブログなどである商品について感想などが書いてあることがままあります。しかし、その感想が実は「広告」になっている例です。
 一般に「口コミ」で評判なった、などと言われますが、現在の状況は「口コミという包装紙でくるんだマス広告」で評判になった、が実体といえます。度々コラムで書いていますが、現在のマスコミの問題点は記事と広告の境界線が曖昧になっていることです。決して健全な広告方法とは言えません。
 今後、米国では「ある商品を感想などとともに紹介した」ときは、その行為に対してなにかしらの代償(例えば金銭や商品の提供など)がある場合はその旨を表示する義務が発生するようです。僕はこうした規制に賛成です。ただでさえ曖昧な境界線にブログというメディアがさらに輪をかける状況になっています。広告はやはり堂々と広告するべきです。
 先週の新聞に「ネット広告が新聞広告を抜いた」という記事がありました。業界では時間の問題と捉えられていたそうですが、いよいよ本格的にネットの時代になった証とも見えます。新聞に広告を出すよりもネットに広告を出したほうが「効果が高い」「効率がよい」ということですから、ネットでの広告価値が新聞より高いことを示しています。
 ネットにおけるEC市場、日本語で言うなら電子商取引市場というそうですが、そのEC市場ではYahooがダントツの一位だそうです。新聞にその順位が載っていましたが、googleは思いのほか低位でした。ですが、僕はちょっと違う見方をしています。
 僕のサイトは検索からたどり着く方がほとんどですが、その検索ツールで1年前と比べ異変が起きています。1年前、僕のサイトへの訪問者は8割がたYahooからでしたが、現在は逆転していまして約6~7割がgoogleの検索からの訪問です。このことは、ネット利用者が検索をする際にYahooよりgoogleを利用する比率が高くなっていることを示しています。こうしたことから考えますと、今後はEC市場におけるYahooのダントツももうすぐ終焉を迎えるのではないか、と僕は予想しているのですがどうでしょう。
 広告主が新聞からネットにシフトしているのは「新聞よりネットのほうが消費者にアピールできる」と考えるようになったことのほかに、「広告の効果がわかりやすい」という理由もあるそうです。これまで多くの企業が既存のテレビや新聞などに広告を出していましたが、実はその効果は正確にはわからず「なんとなく」の部分が大きかったそうです。つまり既存のメディアでは広告の効果がわかりにくいのに対して、ネットではクリックなどまたはネット特有のシステムで効果を知ることができます。広告主である企業が既存のメディアからネットへシフトするのも当然です。
 商品の売上げに対して広告が果たす役割は大きいものがあります。昔で言いますと「大橋巨泉さんが『ハッパフミフミ』と言っただけで売上げが急増した」と言いますし、先ごろ亡くなりました梶祐輔さんの「白いクラウン」というコピーはクラウンを社会に認知させた、と語り草になっています。こうした広告の重要性は現在まで変わらず、広告が商品の価値を左右すると言ってもよいかもしれません。ですが…。
 僕は広告があまりに前面に出てくるのを快く思っていません。広告は商品のイメージを訴えるものですが、イメージだけで商品を評価するのは間違っています。イメージは雰囲気と通じるものがありますが、雰囲気に流されて商品を買うのは正しい買い方ではありません。雰囲気に流されて行動を起こすことは、かつて戦争に突入したときの国民に似ています。実は、僕が広告に対して敏感なのは「みんなが流されて」突入した戦争を想起するからなのですね。皆さん、行動を起こすときは、その対象の本質を見極めてから行動を起こしましょう。
 ところで…。
 僕もネットで検索を利用することは多いのですが、その際にとても気になることがあります。
 例えば仕事の関係で、ある商品を探そうとしたときにその検索結果に出てくるサイトが特定のショッピングモールに出展しているお店ばかりなことです。これは僕からしてみますと、一種の情報統制のようにさえ思えてしまいます。僕はもっといろいろなお店のたくさんの種類の商品から探したいのですが、最初の数ページはほとんど特定のショッピングモールに出展している店のサイトで占められています。雰囲気で商品を購入するのが損なことと同様に、選択の幅が狭められた中でしか購入できないことも損なことです。
 検索結果もある意味広告といえますが、このような偏った検索結果も好ましい広告とはいえません。このような状況が続くなら、検索結果に出てくるサイトを「このサイト、商品って大丈夫かなぁ」などと「訝しげながら」見ることになってしまいます。もしかしたら、今後は「検索ツール」とは言わずに「詮索ツール」と言うようになるかもしれません。
 じゃ、また。




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