<見返り>

pressココロ上




 参院選の火蓋が切って落とされました。数日前から街中に立ち始めていた候補者用掲示板にもポスターが次々と貼り出されました。僕が通勤途中に通る信号のところにも掲示板が立っていました。
 ある日、信号待ちをしているときに何気なく掲示板を見ますと、見覚えのある顔を見つけました。そのポスターは若い起業家の顔で、この方はアメリカで成功しているコーヒーチェーン企業を日本で立ち上げた人でした。なぜ、顔を覚えていたかといえば、この方が日本法人を立ち上げた際に悪戦苦闘した話を本にして出版していたからです。しかし、そうした本はたくさん出版されていますので、それだけなら覚えていなかったかもしれません。ですが、その本は表紙がとても印象に残るものでした。その本を見たときに、編集者のセンスに感動した覚えがあります。
 同じように表紙を見ただけで感激した本に、ダウン症のお子さんを持つ親御さんが綴った本があります。その表紙は、海辺で親御さんが子供を抱きしめている写真だったのですが、その抱きしめている様子から親の子供に対する強い愛が伝わってきました。たった1枚の写真から、ご両親の強い愛が感じられるのですから、どれほど素敵な写真か想像がつくと思います。写真にはご両親の愛が込められていました。本の評価が表紙によっても大きく影響を与える好例です。
 参院選に立候補した若い起業家の方が書いた本の表紙も、その方の人柄が伝わってくる笑顔が素晴らしい写真でした。カメラを意識していない爽やかな表情を写し取ったアングルは最高でした。
 その若い起業家が、今回立候補したところから考えますと、立ち上げたコーヒーチェーンの経営からは退いたのでしょう。この方に限らず、若い起業家の方たちは企業を立ち上げたあと、ある程度軌道に乗ると経営から退く傾向があります。もちろん、起業家の最終目的は「利益を得る」ことですからタイミングを計って利益を得ようとするのは当然の行動です。ですから、「利益を得た」あとに経営から退く道を選択するのも頷けます。だいたい2~3年を目処にしているようです。
 起業家が「利益を得る」方法には主に2通りあります。1つは、企業を上場させて上場利益を得る方法で、あと1つは、立ち上げた企業を他の企業に売ることで売買利益を得る方法です。どちらにしましても、企業を「経営するもの」と考えるのではなくではなく「売るもの」と考えていることになります。
 こうした方たちに共通しているのは、利益が出る「システムを作る」ことを第一に考えていることです。確かに、どんなに高邁な信条や理念を唱えて企業を立ち上げても、利益が出ない「システム」なら成功することはできません。しかし、「システムを作る」ことだけに重点を置く考えには全面的に賛同する気持ちにはなれません。システムには働いている従業員という存在もいるのですから、「システムを作る」ことだけに考えを偏らせることは、従業員をないがしろにすることにつながるように思います。そこには「経営する」という発想が欠けています。
 また、こうした方たちの性格的な特徴として「飽きっぽさ」があるように見えます。自伝などを読みますと、意外と本人も自覚していることが多いのですが、1つの「システムを作る」と、そのシステムに携わっていることに飽きるようです。それゆえに、短期間で経営権を第三者に明け渡すか、もしくは会社そのものを売ることを考えるのでしょう。しかし、真の意味で企業を立ち上げるということは、企業を継続させることであり、システムを運用し続けることです。本来はそのことのほうが難しいはずですから、継続させて初めて企業を立ち上げたと言えます。分かりやすくいうなら、脱サラでラーメン店を開業したとき、「開業すること」より、「営業を続けること」のほうが難しい、のと同じです。そして、営業を続けることができて初めて脱サラに成功したと言えることと同じです。どんな企業でも、立ち上げるよりはそれを継続させるほうが難しいはずです。別の言い方をするなら、システムを作ったあとに、それを運用し続けることが本当の意味での「経営」です。
 MBAを取得した人たちの本を読みますと、米国では「立ち上げた企業を売る」ことが当然のように考えられているようです。こうした考えが日本の若い起業家の方たちの心を掴んだようで、同じように考えている若い起業家を多く見かけます。意地の悪い見方をするなら、システムを運用するという苦労に煩わされるよりは、短期間で利益を得ることを選んでいることになります。少ない努力で大きな「見返り」を求めることです。起業家の最終目的が「利益を得る」ことであるなら、そうした考えも当然かもしれません。しかし、そこには「1つのことに打ちこむ美しさ」が見られません。
 僕は、今の経済を取り巻く状況は、金融があまりに表に出過ぎていると思っています。一般的に、企業は「ヒト」「モノ」「カネ」の3つを有効に活用して利益を得る努力をしますが、金融界においては、そのうちの「カネ」だけが突出しています。その理由は、デリバティブなどの金融商品が発達したことですが、あまりに大きな金額を動かしすぎです。大きな金額を動かしますから、当然「見返り」も大きなものとなります。その「見返り」を求めて有能な若い人が金融界に集まる現状があります。
 僕は、近年のこうした現状は正常なあり方ではないように感じています。その意味で、最近、EUで行われている「金融に対する規制強化」の流れには賛成です。そして、米国では経営者に対する報酬にも関心が寄せられていることにも賛成です。人間は、嫉妬ややっかみといった醜い性向を持っていますが、それを割り引いても、経営者へのあまりに多い「見返り」には納得できない気持ちがあります。
 アメリカンプロフットボールでは、サラリーキャップという制度があります。これは、選手の年棒に上限を設けるシステムですが、理由はお金持ちの球団がその資金力を背景に有望選手を集める弊害を取り除くことと、選手の年棒が高騰することで赤字球団が出ることを防ぐためです。つまり、アメリカンフットボールという業界を存続させることを目的としています。
 同じ意味で、経済界全体を1つの業界と考えるなら、経営者や金融関係者に対する「見返り」にも上限を設けることは必要な措置のように思います。現在、世界的に貧富の差の拡大という格差社会が問題になっていますが、富める者はさらに富み、貧しい者はますます貧しくなっている社会を是正するには、この制度は有効ではないでしょうか。
 「見返り」ばかりを期待して動くことは「損得だけで」動くことと同じです。損得だけで動く様からは人類としての美しさが見られません。
 ところで…。
 ワールドカップでの日本の活躍は目を見張るものがあります。本大会に入るまでのふがいなさからは想像もできない好結果を出しています。やはり、勝負ごとは勝ってこそ盛り上がるというものです。
 日本の好結果の立役者が本田圭佑選手であることは多くの人が認めるところでしょう。本大会前まで、「自己主張が強すぎる」などと言われていました。実際、マスコミなどの取材に対しても強気の言動を繰り返していましたから、謙虚さを尊ぶ日本人の特性からしますと受け入れ難い部分がありました。ですが、本大会が近づくにつれ、その言動が変わっていく様子が見られました。そうしたところから考えますと、本田選手の強気の言動はマスコミを意識してのことだったように感じます。僕は、その変化を見ていて、「自分を客観視できる人」という印象を持ちました。外見の派手さに反して細かい神経の持ち主のようです。
 日本が好結果を出している一番の理由は「チームが1つになっている」というのも多くの人が認めるところでしょう。やはり、個人競技ではなくチーム競技においてはチーム和ークは重要な要因です。
 フランスが予選リーグで敗退しましたが、その大きな原因はチームの不和とマスコミで解説されています。また、マスコミなどでは、10代からプロとして活躍した代表選手たちの収入にまで批判が及んでいるようです。若くして大金を得た選手たちが自己中心的な人間になってしまった、と批判しています。いくら技術が優れていようと自己中心的な選手の集まりではチームとして機能するはずはありません。
 それにしても、本田選手が3点目をアシストした場面は「チーム和ーク」を象徴するプレーでした。本田選手が決して自己中心的な人間ではないことを証明するアシストでした。そして、勝利が決まったあと、控えの選手も一緒になって歓喜している光景にはチーム和ークがもたらす大きな感動が映し出されていました。僕が特に印象に残っている場面は、控えの中村憲剛選手が本田選手に駈け寄り抱きついた場面です。本心では、中村選手は本田選手をライバルとして意識していますから、控えに甘んじていることに不満もあると思います。しかし、そうしたことを乗り越えて心から喜んでいる姿がとても素敵でした。
 チーム和ークを生み出す条件は、チーム全員が「見返り」を過度に求めないことです。人間ですから、少しくらいなら許してもいいですが、「過度」に求めてはいけません。但し、選挙では「少しの見返り」も求めてはいけないのは当然です。投票は「見返り」を求めるためではなく、公平な社会を作るために行うものです。
 先に、「人間ですから少しくらいの見返り」なら許してもよい、と書きましたが、その「少しくらい」の境目は微妙です。チーム和ークを保つためには境目の線引きはとても重要です。そして、ケースバイケースでそのラインは移動してもおかしくはないでしょう。しかし、標準となるそのラインはいつも揃っていることが必要で、そのラインを崩さないことがチーム和ークを生み出す要となります。そのようなラインをオフサイドラインと言います。
 じゃ、また。




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