<記者>

pressココロ上




 結局、大方の予想通り参院選は民主党の大敗で終わりました。それにしても、選挙の結果を受けての菅首相の記者会見が深夜から始まったのはあまり褒められた対応ではありません。やはり、大敗したからこそ、その結果を真正面から受け止め、真摯に反省の弁を述べなければいけなかったと思います。そのためにももっと早く記者会見を開くべきでした。例え、選挙後の対応を協議する時間が必要であったにしても、もう少し早めに国民の前に姿を現したほうが好印象を与えたように思います。
 菅首相は、敗因として「唐突に消費税の話をしたから」と述べていましたが、僕は違うように思います。その証拠に議席を大幅に増やした自民党も「税率アップ」を掲げていましたし、また、「税率アップ反対」を訴えていた社民党や国民新党が議席を減らしていることも、「税率アップ」が投票に影響を与えなかったことを示しています。
 税金を取られて喜ぶ国民はいませんが、今の社会状況ほど「税率アップ」のコンセサスが得られている環境はないように思います。「税率アップ」を表明したのは自民党が先ですが、野党の立場でありながら「税率アップ」を掲げた度量は評価に値するように思います。昔の野党でしたら、間違っても「税率アップ」などは言わなかったでしょう。たぶん、「税率アップのコンセサスが得られている環境」と無縁ではないと思いますが、それを割り引いても価値ある「税率アップの表明」だったように思います。
 「みんなの党」が躍進しましたが、これも一時のブームのことのように思います。「税率アップの前にやることがある」という訴えが功を奏したかのように報じるメディアもありますが、それも違うように思います。単に、民主党を支持するでもなく自民党でもない支持層の受け皿になったに過ぎません。「無駄を省く」だけでは財政を健全化できないことも、もしくは「無駄を省くのが簡単にはできない」ことも国民は既に理解しています。それを認識させてくれたのは政権を取ったあとの民主党でした。
 多くの国民は現在の「借金財政でよい」とは思っていないはずです。是非とも、与野党は力を合わせて国民が将来に不安を感じない日本になるように努力してほしいものです。
 さて、深夜に始まった菅首相の記者会見でしたが、僕はリアルタイムで見ていました。その中でとても興味を引かれた場面に遭遇しました。
 菅首相が会見場に現れ椅子に座ったあと、司会の女性が言いました。
「それでは、挙手のうえ所属会社と氏名を告げてからご質問ください」
 確か、最初に質問をしたのは大手テレビ局の記者だったように思います。ここまでの記者会見の流れは今までにもよく見た光景ですので、僕はさほど真剣に見ていたわけではありません。ですが、選挙に大敗し、しかも深夜にずれこんだ会見ですから、菅首相がどのような発言をするかには興味がありました。しかし、1番目に質問した記者の質問内容にも、またそれに対する菅総理の答えも格別衝撃的なものではなく、過去に見てきた受け答えと変わり映えがなく期待外れの感がありました。そのやりとりは、その後の展開が平凡な記者会見になることを予想させました。しかし、次に質問した記者の発言に、僕は驚いたのです。
 僕の想像するところでは、総理大臣が開く記者会見などは、大手マスコミが中心となって作っている記者クラブという組織が取り仕切るのが慣例になっていると思います。たぶん、質問する順番も「あうんの呼吸」で自然と決まっているでしょう。ですから、1番目に質問した記者が大手テレビ局の記者であったことも想定内のことでした。
 1番目の記者の質問に菅首相が答えたあと、司会の女性が次の質問者を指名しました。そして、マイクから流れてきた記者の声に僕は驚いたのです。
「ニコニコ動画の○○です。……」
 僕は思わず心の中で叫びました。「えっ? ニコニコ動画?」
 なんと、質問した記者はニコニコ動画の記者でした。そもそも、こうした公式記者会見にニコニコ動画のようなメディアが参加している、できていること自体が驚きだったのですが、しかも2番目の質問者として登場したことはさらに驚きでした。一昔前では決して考えられないことです。
 このように言ってはニコニコ動画さんに失礼ですが、「ニコニコ動画さんは大手マスコミなどからは正式なマスコミと思われていない」はずです。まだ「素人に毛が生えた程度の、アマチュアの存在」という認識でしょう。そのニコニコ動画さんが2番目に質問したことが画期的です。僕が想像するに、この出来事はマスコミ界では波紋を広げたのではないでしょうか。
 基本的に、僕は記者クラブ制度に反対です。この制度は、大手の仲間内だけの仲良しクラブの観があります。マスコミはかつて金融界を護送船団方式と批判していましたが、まさに記者クラブ制度は護送船団方式のマスコミ版です。にも拘らず、大手マスコミ界に属する人たちが自らの業界に疑問を感ずることなく今に至っているのは納得しがたいものがあります。僕がマスコミを全面的に信頼していない理由の1つでもあります。
 たぶん、政治の世界での記者会見が一昔前よりも開かれた場になったのは民主党政権が誕生したことが関係しています。そうしたことから考えますと、政治の公開性という面で、民主党の果たした役割は大きいものがあります。その意味で、民主党と言わず、政権交代が行われたことは大きな意義があります。
 菅首相の記者会見を見ていて思うことがありました。菅首相に質問する記者の声です。全員の声が若いのです。つまり、あのような場にいる記者が全員若い人であることを示しています。マスコミ各社は、何故ベテランとまでは言わなくとも、ある程度経験を積んだ40才前後の記者を会見場に配置しないのか僕は不思議でなりません。
 ニコニコ動画の記者の声ももちろん若かったのですが、あの大手有名マスコミがたくさんいる中で質問をするのはかなり勇気がいることだったと思います。その勇気には敬意を払ってもいいと思います。
 質問をする際に、一度に幾つも質問する記者が幾人かいましたが、この質問方法はあまり褒められたやり方ではないように思います。菅首相にしましても、一度にたくさんの質問をされても全ての質問を覚えていられませんし、それよりも質問者にとってもひとつひとつの質問の価値が薄れてしまうように思います。少ない質問機会を有効に活用しようとして一度にたくさんの質問をするのかもしれませんが、それでは返って質問した甲斐がなくなってしまいます。
 それ以上に、答える側にとっては「一度に多くの質問」のほうが都合がいいことがあります。それは、多くの質問があることによって「答えたくない」もしくは「逃げたい」質問を意識的に除外することができるからです。要領よく核心をついた質問をするには、せめて2つくらいに絞って質問したほうが中身の濃い質問にすることができます。
 それにしても、ある程度年月を積んだ記者が記者会見という現場を離れる日本の記者業界の慣習は弊害のほうが大きいのではないでしょうか。アメリカでは高齢とまで言われる記者が大統領のまん前に座り記者会見に臨み質問を浴びせています。そう、「浴びせる」ような厳しい質問です。それに対して日本ではある一定の年齢に達したなら現場から離れるのが慣例になっているようです。もしかしたなら、ベテランになっても現場にいることを「マイナスのイメージ」「エリートらしくない」と考える風潮があるのかもしれません。もしそうであるならば、記者業界で働いている人たちには、高齢でも現場で働いている一般庶民の気持ちはいつまでたってもわからないでしょう。
 ところで…。
 数ヶ月前より車のパワーウィンドウの調子が思わしくありませんでした。助手席の窓ガラスが「下げる方向」には動くのですが、「上げる方向」にはなかなか動いてくれなかったのです。つまり、窓ガラスを閉めることができない状態です。「上げる方向」のスィッチを押しても、3回に1回の割合でやっと動く状態でした。
 その動く割合が先月の終わりあたりから4回に1回になり、今月に入ってからはとうとう5回に1回ほどしか動かなくなってしまいました。この状態はとても不安なことで、このままではいつしか窓を閉められなくなることもあり得そうです。そこで、自分で修理することを考えました。
 ネットで調べますと、電気系統の故障は「接触不良」が原因であることが多いようでした。そこで僕は思案しました。
 お店にはインタフォンを設置しているのですが、その方式は電波式です。スィッチを押すと電波が飛んで受信機の音が鳴るような形式でした。そのインタフォンの音がたまにしかならなくなってしまったことがありました。そこで、スィッチを分解したところ、接触部分に問題があることがわかりました。黒ずんで汚れていたのです。そこで、僕はその部分に潤滑油を射し入れてみましたところ、不具合は完璧に解消されました。
 同じ修理法をパワーウィンドウにも適用したわけですが、さすがに、修理に失敗しても簡単に買いかえることができるインタフォンと、車のパワーウィンドウではプレッシャーが違います。それでも恐る恐る兆戦したところ無事に修理することができました。
 素人的に考えますと、接触部分に錆びなどの異物が入りこみ、それらが接触を悪くしていたことが故障の原因だったように思います。潤滑油を注入することによって異物を取り除くことができたのです。接触部分がいかに大切かを学んだ次第です。
 民主党が参議院で過半数を下回り、衆参で「ねじれ」状態になったことで、国会運営に支障をきたすことを不安視する論調があります。どこかと連立を組む必要性を説く識者もいます。けれど、僕は思います。無理して連立など組まずに、法案ごとに賛成する党を募ればいいのではないでしょうか。連立を組んだところで、全てにおいて政策が一致するわけではありません。もし、一致するなら同じ党になればよいのですから、幾つかの政策が違って当然です。それならば、法案ごとに賛成する党を募ることとあまり違いはないように思います。
 考えようによっては、「ねじれ」を当然とする国会があっても然るべきです。そのような状態の国会では、与党となった政党は今までの国会運営のやり方では収集がつかないこともあるかもしれません。しかし、「ねじれ」が普通になるなら、それに見合ったやり方を見つけるのが政党の責任です。今後は「ねじれ」を当然とする国会運営を行える政党が伸びて行くでしょう。「ねじれ」を当然とする国会は、複数の政党が政策を話し合う必要に迫られますが、それは本来の国会のあるべき姿のはずです。そして、その際に重要なのは他政党とのコミュニケーションです。そのコミュニケーションをスムーズに行うには接触する部分が常に機能していることが大切です。接触が悪いと動かないのはパワーウィンドウも国会も同じです。
 じゃ、また。




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