NHKで土曜の夜11時30分に面白い番組が始まりました。「ディープピープル」という番組名ですが、毎週登場する人たちが違い、一つの世界で頂点を極めた人が3人集まって話し合う、という内容です。どんな世界であろうと、頂点を極めた人たちが「話し合う」と普通の人ではわからない、到達することができない感覚や感性を知ることができます。それぞれの考えを聞いているだけで「なるほど」と感心することがしばしばありました。僕が見たときは、柔道で金メダルを獲得した細川伸二氏、吉田秀彦氏、野村忠宏氏の3人が集まって話をしていました。
番組の構成は、3人が話し合っている場面がほとんどなのですが、そのところどころで「話し合っているビデオ」を見ている女性アナウンサーとタレントの関根勤さんがコメントを挟む形式になっています。関根さんのコメントは長い芸能生活の体験で培われた観察力洞察力で、専門家だけが理解するのではなく一般の人でもわかるように面白おかしく砕いて解説するように努めています。そして、その解説は番組を堅苦しくしすぎない効果があるように思います。頂点を極めた人たちの会話は、ややもするとマニアックになりがちですが、それを関根さんのコメントで一般向けに柔らかくする意図がNHKにあるのでしょう。
しかし、僕的には、関根さんのコメントを挟む構成は無用のように思います。現代のテレビはどの局もバラエティ化が好まれており、制作する側は「バラエティ的にしないと視聴者に支持されない」と思っているように感じます。たぶん、関根さんの起用もそうした意図からなされているのでしょう。ですが、中にはバラエティとは一線を画した番組があってもいいのではないでしょうか。マニアックは行き過ぎにしても「真面目で堅い話」を求めている視聴者もいるように思います。
その番組であと一つ興味を引いたのは、制作が大阪のNHKであったことです。先々月でしたか、NHK教育番組でやはりほかの番組とは毛色の変わった番組を放送していました。
街中のうらぶれた商店を新人ディレクターがハンディカメラを手にして「利益が出ていますか?」と尋ねて歩く番組でした。僕の店がうらぶれていますので、興味を引かれ見た次第です。それはともかく、一風変わった番組に好奇心を持ったのは確かです。どこのチャンネルを回しても似たような番組内容に辟易していましたので、とても好感でした。
実は、この番組も制作したのは愛知だったか名古屋だったか忘れましたが、東海地方のNHKでした。社会的に批判されることが多いNHKですので、東京一極集中の組織を活性化させるためにいろいろと思考錯誤しているのかな、という印象です。
さて、柔道の道を極めた3人の会話の中で、本人はそれほど意識してはいなかったと思いますが、僕にはとても印象に残る言葉がありました。
会話の中で、吉田選手が大先輩である山下泰裕氏と組み手をしたときの話をしました。山下氏はロサンゼルスオリンピックの金メダリストで国民栄誉賞も貰っている国民的英雄です。その山下氏を指して、吉田選手は当然のようにごく自然に「山下先生」と言いました。
「山下先生と組み手をしたときに…」と話したのです。
この「先生」という言葉が吉田選手の口から発せられたときに、柔道の経験がない僕は引っかかるものを感じました。吉田選手が発した「先生」という言葉には、単に学生が教師や教授を指して使うときのような「先生」という響きではなく、もっと厳かな「神聖な」ニュアンスを含んだ響きが感じられました。僕が想像するところでは、柔道選手にとって山下氏の存在はそれこそ神のように思えるなにかがあるのでしょう。
確かに、山下氏は現在、大学の教授ですし、吉田選手が学生の頃はコーチだった可能性もありますから、大学生が教授を指して「先生」と言うように、吉田選手が「山下先生」とつい口に出た可能性もあります。しかし、あの場面で吉田選手が山下氏を「先生」と呼んだ雰囲気には、学生にとっての先生という呼称以上の尊敬、畏怖の感情が込められていたように思います。
昔から、「あいつは音楽バカだよなぁ」とか「野球バカだよなぁ」などと、一つのことだけに熱中している人を尊敬の意味を込めて「○○バカ」と表現することがありました。このような「○○バカ」の人は一つのことに熱中するあまり、ほかのことには無頓着で、世間的な常識的なものごとを知らない、といった傾向があります。これはある意味当然なことで、全神経全集中力を一つのことに傾けていたならほかのことにまで意識が回らなことがあっても不思議ではありません。そこまで熱中できるのは、やはり凡人ではない証拠ですから「神」に近いのかもしれません。ですが、「神」に近いのは専門分野においてのみであることには違いありません。
「裸の大将」「放浪画家」として有名な山下清氏をご存知の方も多いでしょう。テレビ番組にもなっていましたから、知らない人を探すほうが難しいくらい有名な画家です。その山下氏が純粋すぎるくらいの純粋な感性で描く絵はまさしく神に近いものがあります。しかし、その山下氏は絵を描くこと以外は幼子と同じです。生まれつきの言語障害・知的障害もあり、ものごとの判断においては子供のままの発想しかできません。ですから、子供の頃は「バカ」と馬鹿にされたこともあったようです。今で言うなら、いじめにあっていたことも想像がつきます。その山下氏も絵画については「先生」ですが、それ以外の面では常識を外れたことをたくさん行っています。つまり、「絵画バカ」と言ってもいいでしょう。
山下清氏の例を見てもわかるように、「絵画バカ」は「絵画先生」でもあります。つまり、「バカ」と「先生」は裏表の関係になっていることになります。
このことは、ある人にとっては「先生」に思える人でも、ほかの人から見ると「バカ」としか見えないことを教えています。また、「逆も真なり」で、ある人にとっては「バカ」としか思えない人でも、ほかの人からすると「先生」に思われていることもあります。
皆さん、バカな人を「馬鹿!」などとバカにして蔑むことがあってはなりません。バカに見える人もほかの第三者からは尊敬されているかもしれないのです。
また、「先生」と呼ばれている皆さん。「先生」と呼ばれているからといって、自分を「神」と勘違いしてはなりませぬ。「先生」は自分が得意にしている分野にいる人からだけの呼称にすぎません。ほかの分野にいる人からは「バカ」と思われているかもしれません。そのことを常に念頭に置き、謙虚な心を失わないように心がけましょう。
ところで…。
お店を営んでいますと、ホントにいろんな人がやってきます。先日は変なオジさんがやって来ました。
店の中から通りを歩いている人を見ていますと、「ん?」と感じる人がたまにいます。そのオジさんもそんな一人でした。オジさんの服装はこぎれいにしているとは言い難く、どちらかというとホームレスに近い服装でした。店の反対側の歩道を歩いていたのですが、僕の店を見ながら歩いているときの目つきがほかの人とは違うものがありました。まるで、店内で立っている僕を値踏みをしているような感じがしたのです。
オジさんが僕の視界から消えたのち、しばらくして、案の定やってきました。つまり、戻って来たことになります。オジさんは店先に立つと、僕の「いらっしゃいませ」の言葉が聞こえないかのように、右の手のひらに乗せた4枚の10円玉を見せながら早口で話し始めました。
結論を言いますと、「お金を貸してほしい」という話なのですが、電車で帰るのに「280円足りない」ということでした。もちろん、初めて見る会うオジさんですので、僕は断りました。しかし、僕の断りの言葉に負けじと、「自分は足の手術をして歩くのが辛い」とか、「絶対、返すから」などと粘りました。オジさんがお金が足りなくなった理由は褒められたものではなく、ギャンブルで負けたのが原因でした。
でも、話を聞いているうちに、そして足の手術跡を見ているうちに、僕は段々とかわいそうな気持ちになってしまいました。結局、僕は根負けして280円貸した(あげた?)のでした。
一応、お金を渡す前に名前だけを尋ねたところ、間髪入れずに「鈴木って言うんだ。絶対、返しにくるから」と答えました。
僕からお金を受け取ったときのオジさんの顔はとてもうれしそうでした。…でも、僕ってバカですよねぇ。
それにしても、答えた名前が「鈴木」はちょっとねぇ…。日本で一番多い苗字…、慣れてます。きっと、その世界では「先生」と呼ばれているのでしょう。
じゃ、また。